2009年6月27日(土)今朝は朝早くからさんさん輝く太陽の明るさで目覚める。湿気の少ない高原特有のさわやかな空気が満ちあふれ、道の駅「草津運動茶屋公園」の周りにある緑の景観が一層さわやかな気分にひたしてくれる。
昨日は白根山の湯釜を見学した後、志賀草津高原道路(R292)を下り、麓の草津温泉「西の河原(サイノカワラ)露天風呂温泉」(=入浴量=500円で年中無休)で入浴する。
この温泉は、山沿いに出来た広さ500㎡の露天風呂で、まるで池かプールのような大きな温泉で、男女別々に造られている。 洗い場はないが大自然の緑や清流のせせらぎ、澄みきった青空を眺めながらゆっくりと浸れる温泉、それに草津温泉の豊富な湯量が、心身ともに疲れた体をリフレッシュしてくれる思い出深い温泉である。
今日は、朝食を済ました後すぐに草津温泉中心部に出かけて、湯畑近くに愛車を止め散策に出かけて行った。
車中泊していた道の駅「草津運動茶屋公園」の景観
草津温泉の歴史はとても古く、人々から愛され、人々を癒してきた名湯として全国に知られ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)や行基、源頼朝が開湯したという伝説も伝えられている。
歴史的にも草津温泉は、日本最大の湯量と優れた治癒効能で全国に知られ、戦国時代には多くの武将が湯治に訪れている。
また、江戸時代には、文人、歌人をはじめ、年間1万人を超える来浴者が往来し、「草津千軒江戸構え」 と詠われるほどの賑いをみせていた。
徳川八代将軍吉宗も、草津の湯を江戸城まで運ばせて入浴したと伝えられている。
明治時代には、ドイツ人医師のベルツ博士により、温泉の魅力や効能などが発見され世界に紹介された。
草津温泉の中心部で観光のシンボルである湯畑周辺の景観
草津温泉は日本三名泉(下呂温泉/有馬温泉/草津温泉)の1つに数えられている。
温泉の自然湧出量は日本一を誇り、毎分32,300リットル以上、1日にドラム缶23万本分 もの温泉が湧き出している。
草津の旅館や温泉施設では 「源泉かけ流し」 がされている。これは草津の豊富な湧出量のおかげで、 ”源泉の湯” を心ゆくまで堪能できる温泉であることを伝えている。
また、草津温泉の特徴は、何と言っても、泉質にある。 その泉質は 日本有数の酸性度で、pH値はナント2.1(湯畑源泉)と驚くべき数値を示している。
この強酸性の数値は、ほとんどの細菌や生物が生きていけないことを意味している。
従って、体の外傷や雑菌などの消毒作用には、抜群の効能がある。
草津温泉は、こういった効能が古くから全国に知れわたり、湯治や入浴に訪れた多くの人々の心と体を癒し続けてきた名湯として有名であった。
また、国民の人気度も、草津温泉は「2009年温泉100選」で1位を獲得、なんと7年連続で1位をキープ、このことからも、草津温泉が、人々から本当に愛され、楽しませてくれる温泉である。
湯量の豊富な草津温泉の大源泉で、草津観光のシンボルでもある湯畑
草津温泉のシンボルは大源泉の湯畑で、温泉街の中央に位置し、周囲にはみやげもの店や飲食店が軒を連ね、いつも大勢の人たちで賑わっている。
湯畑を中核とする草津は、標高1,156㍍の高地に位置する山あいにあり、人気のポイントは、湯畑で湧き出たお湯が何列も並んでいる木樋を通り、滝となって流れ落ちる『湯滝』の温泉情緒豊かな景観にある。
湯滝から流れ落ちる滝壺には、硫黄の臭いと共に、淡いエメラルドグリーンのお湯が輝き、滝壁の色彩と共に、魅力的な温泉情緒を一層かもし出している。
平成14年には『かおり風景100選』にも選ばれている。
大源泉から数列に並んだ木桶を通じて流れ落ちる湯畑の光景
草津の湯畑(ゆばたけ)とは、温泉の源泉を地表や木製の樋に掛け流し、温泉の成分である湯の花の採取や湯温を調節する施設である。
木桶から勢いよく流れる落ちる滝と独特の温泉色に染まった滝壁や湯滝・エメラルドグリーン色の滝壺にある。
湯滝方面から望む湯畑と草津温泉街の光景
私たちは、草津の温泉情緒をかもし出し、全国に紹介されている湯畑を見学した後、西の河原(さいのかわら)公園方面に向かって行く。
みやげ店の立ち並ぶ湯滝通りを5分ほど歩くと、樹木で囲まれた白根神社の石段が見えてくる。
折角だからと思い、真っ直ぐに伸びた急勾配の石段を上って行く。石段の中央には鳥居があり、その上にも100段以上の石段が真っ直ぐに続いている。
石段を上りきると、そこは平坦な境内で、石畳が白根神社拝殿に向かって一面に敷かれ、両側には石の燈篭が並んで立てられている。
本殿拝殿までの中央には白い鳥居が建ち、鳥居の上部には「白根大明神」と彫られた額が掲げられている。
私達も、手水舎で体を清め、石畳を拝殿に向かって進み、参拝を済ませた。
湯畑の近くにある白根神社
白根神社は、草津温泉を発見したといわれる、日本武尊(やまとたけるのみこと)を御祭神として祀っている。
毎年7月17・18日には、十数基の神輿が町を練り歩く白根神社祭礼が賑やかに行われている。
大明神と書かれた拝殿前の鳥居
境内にある石楠花の群生地
神社の周辺は、囲山公園(かこいやま)として整備され、広々とした境内には、石楠花(しゃくなげ)の群生地がある。 5月上旬には石楠花のピンク色の可憐な花が咲き、訪れた人達を楽しませてくれる。
参拝を済ませ散策路を進んでいくと、下記のような松尾芭蕉の句碑が立てられている。
白根神社境内にある松尾芭蕉の句碑
松尾芭蕉の句碑には 「夏の夜や谺(こだま)にあくる下駄の音」と彫られている。
この句碑は、どうやら芭蕉が草津滞在中に詠んだものではないらしい。
芭蕉は、元禄4年(1691)に、京都嵯峨の門人去来を訪ね、その落柿舎で作ったもので、芭蕉の「嵯峨日記」に収められている。
150年ほど後に、草津の俳人「一夏庵坂上(いっかあんさかうえ)」と「竹烟(ちくえん)」が、「この芭蕉の句は、地元である草津温泉街そのものを詠んだ」といって、ここに句碑が建てられた。
白根神社のある囲井山公園の散策を終え、一般道路に出て下って行くと、途中に片岡鶴太郎美術館があった。私達は立寄らずにそのまま進んでいくと、温泉が湧き出し、川となって流れている西の河原(さいのかわはら)公園がある。
白根神社のある囲井山公園の散策を終えた後一般道路に出る。
西の河原(さいのはら)公園の入り口に当たる西の河原園地と書かれた案内板
草津温泉の西側にある事から西の河原公園と呼ばれるようになった。
付近一帯は上信越国立公園の特別指定地区に指定され、河原のあちこちから毎分14000リットルの温泉が湧き出し、湯の川となって流れ出している。
この風光明媚な景観は、四季折々に変化し、源泉「湯畑」と共に、温泉情緒溢れる散策コースとして人気を集めている。
西の河原公園内の遊歩道は、奥にある西の河原露天風呂まで通じ、その途中には、微笑ましい鬼の茶釜碑や句碑、湯滝やベルツ博士の像、草津の自然を紹介したビジターセンターなどがある。
園内のいたる所から温泉が湧き出している湯けむり漂う散策エリアである。
草津を世に広めたベルツ博士や、斎藤茂吉・水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)など、偉人・文人の歌碑や記念碑も園内に立てられている。
下記の両博士の胸像については、明治時代の東京帝国大学で 「内科にベルツ、外科にスクリバあり」といわれて日本近代医学の基礎を築いたのが両博士であると伝えられている。
両博士とも無二の親友で、共に草津温泉を研究し、その医学的効能を世界に知らしめる。
また、スクリバ博士は、町民に無料で診察を施し、町民から深く親しまれていた。
この胸像は、元は東京大学構内の両博士の胸像であったが、戦時中に供出された時、コンクリートでコピー(草津ベルツ記念館に展示)されたものである。
戦後、草津町に贈られたものを、平成4年5月に姉妹都市締結事業にて立て替えられたものである。
日本近代医学の恩人ベルツ・スクリバ゛両博士の胸像
日本の医学向上に多大な貢献をしたベルツ博士について少し触れてみる。
本名は エルヴィン・フォン・ベルツ(Erwin von Bälz, 1849年 - 1913年)、ドイツ帝国の医師で、明治時代に日本に招かれ、27年の永きににわたって日本で医学を教え、医学界の発展に尽くした人である。
ベルツ博士と草津温泉との関わりについてベルツ博士は、草津温泉を再発見し、世界に紹介した人物でもある。
ベルツ博士は荒井花子と結婚、1878年(明治11年)頃より草津温泉を訪れるようになり、「草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある。 もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、カルロヴィ・ヴァリ(チェコにある温泉)よりも賑わうことだろう」と評価し、草津温泉を世界に紹介する。
また、ベルツ博士が冬季に滞在中に旅館の女中達がヒビ、アカギレなどで苦しんでいる姿を目撃して、凍傷治療薬を変方して「ベルツ水」を考案する。これはグリセリンとエタノールを主原料として誰もが簡単に作れるものにして日本国内の普及を図った。ベルツ水は現在でも薬局で販売されている。
斉藤茂吉の碑 水原秋桜子の碑
斉藤茂吉の句碑には 「 いづこにも湯が噴きいでて流れるる 谷間を行けば身はあたたかし」
ドイツで医学を学び、歌人でもある茂吉は、近代短歌に大きな影響を与えた作品を残している。
水原秋桜子の句碑には 「胸像は永久に 日本の 秋日和 」 と彫られている。
これは医学博士である秋桜子が、草津町の恩人であるベルツ博士の遺徳を偲んで詠んだものである。
いたる所で温泉を噴出す池と湯川が流れる西の河原公園
至るところから源泉が湧き出し湯川となって流れ、周囲には琥珀の池、瑠璃の池などと名付けられた湯溜まりが点在している。
エメラルドグリーンの色をした琥珀の池 なぜか硬貨が投げられている!
代表的な温泉の湧口であった鬼の茶釜
西の河原公園は、その昔、鬼の泉水と呼ばれ、「湧き出る湯口はわれもおそろしや、鬼の茶釜の湯土産噺」と怖がられていたが、今は遊歩道のある公園になっている。
荒涼とした景観にあり温泉が湧いている二つの池
河に造られた滝壷に置かれて祀られている不動明王
祀られている不動明王のある滝と、分かれて岩肌を流れる川
西の河原公園の奥には、昨夜入浴した西の河原露天風呂の施設がある。私たちは不動明王の祀られている滝の見学を終えた後、中心部の湯畑方面に帰っていった。
道中には、みやげ物や温泉饅頭などを製造直売している店が並び、蒸しあがったばかりの饅頭をサービスしながら、呼び込み勇ましく販売している光景が見られた。
私は湯畑にある駐車場に帰り、洗面用具を持参して立ち寄りの湯である「白旗の湯」に入浴する。
草津温泉には、無料の立ち寄り湯が十数箇所ある。湯畑の隣にある無料の立ち寄り湯の「白旗の湯」
白旗の湯には、5~6人が入浴していたが、その熱さには驚かされた。比較的に熱い湯を好む私も、最初には一分も入っていられなく、体を慣らした後、再度試みて入浴するが1分が限度であった。
草津温泉には不思議な魅力が感じられる。温泉の良さは勿論であるが、湯けむり漂う景観と共に山裾にある緑の森や、白根山など自然と一体となった温泉の風景が私たちを惹きつけてやまなかった。
草津温泉の散策や入浴を終えた後、私たちは日光ロマンス街道を、沼田方面に走らせて行った。
昨日は白根山の湯釜を見学した後、志賀草津高原道路(R292)を下り、麓の草津温泉「西の河原(サイノカワラ)露天風呂温泉」(=入浴量=500円で年中無休)で入浴する。
この温泉は、山沿いに出来た広さ500㎡の露天風呂で、まるで池かプールのような大きな温泉で、男女別々に造られている。 洗い場はないが大自然の緑や清流のせせらぎ、澄みきった青空を眺めながらゆっくりと浸れる温泉、それに草津温泉の豊富な湯量が、心身ともに疲れた体をリフレッシュしてくれる思い出深い温泉である。
今日は、朝食を済ました後すぐに草津温泉中心部に出かけて、湯畑近くに愛車を止め散策に出かけて行った。
車中泊していた道の駅「草津運動茶屋公園」の景観
草津温泉の歴史はとても古く、人々から愛され、人々を癒してきた名湯として全国に知られ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)や行基、源頼朝が開湯したという伝説も伝えられている。
歴史的にも草津温泉は、日本最大の湯量と優れた治癒効能で全国に知られ、戦国時代には多くの武将が湯治に訪れている。
また、江戸時代には、文人、歌人をはじめ、年間1万人を超える来浴者が往来し、「草津千軒江戸構え」 と詠われるほどの賑いをみせていた。
徳川八代将軍吉宗も、草津の湯を江戸城まで運ばせて入浴したと伝えられている。
明治時代には、ドイツ人医師のベルツ博士により、温泉の魅力や効能などが発見され世界に紹介された。
草津温泉の中心部で観光のシンボルである湯畑周辺の景観
草津温泉は日本三名泉(下呂温泉/有馬温泉/草津温泉)の1つに数えられている。
温泉の自然湧出量は日本一を誇り、毎分32,300リットル以上、1日にドラム缶23万本分 もの温泉が湧き出している。
草津の旅館や温泉施設では 「源泉かけ流し」 がされている。これは草津の豊富な湧出量のおかげで、 ”源泉の湯” を心ゆくまで堪能できる温泉であることを伝えている。
また、草津温泉の特徴は、何と言っても、泉質にある。 その泉質は 日本有数の酸性度で、pH値はナント2.1(湯畑源泉)と驚くべき数値を示している。
この強酸性の数値は、ほとんどの細菌や生物が生きていけないことを意味している。
従って、体の外傷や雑菌などの消毒作用には、抜群の効能がある。
草津温泉は、こういった効能が古くから全国に知れわたり、湯治や入浴に訪れた多くの人々の心と体を癒し続けてきた名湯として有名であった。
また、国民の人気度も、草津温泉は「2009年温泉100選」で1位を獲得、なんと7年連続で1位をキープ、このことからも、草津温泉が、人々から本当に愛され、楽しませてくれる温泉である。
湯量の豊富な草津温泉の大源泉で、草津観光のシンボルでもある湯畑
草津温泉のシンボルは大源泉の湯畑で、温泉街の中央に位置し、周囲にはみやげもの店や飲食店が軒を連ね、いつも大勢の人たちで賑わっている。
湯畑を中核とする草津は、標高1,156㍍の高地に位置する山あいにあり、人気のポイントは、湯畑で湧き出たお湯が何列も並んでいる木樋を通り、滝となって流れ落ちる『湯滝』の温泉情緒豊かな景観にある。
湯滝から流れ落ちる滝壺には、硫黄の臭いと共に、淡いエメラルドグリーンのお湯が輝き、滝壁の色彩と共に、魅力的な温泉情緒を一層かもし出している。
平成14年には『かおり風景100選』にも選ばれている。
大源泉から数列に並んだ木桶を通じて流れ落ちる湯畑の光景
草津の湯畑(ゆばたけ)とは、温泉の源泉を地表や木製の樋に掛け流し、温泉の成分である湯の花の採取や湯温を調節する施設である。
木桶から勢いよく流れる落ちる滝と独特の温泉色に染まった滝壁や湯滝・エメラルドグリーン色の滝壺にある。
湯滝方面から望む湯畑と草津温泉街の光景
私たちは、草津の温泉情緒をかもし出し、全国に紹介されている湯畑を見学した後、西の河原(さいのかわら)公園方面に向かって行く。
みやげ店の立ち並ぶ湯滝通りを5分ほど歩くと、樹木で囲まれた白根神社の石段が見えてくる。
折角だからと思い、真っ直ぐに伸びた急勾配の石段を上って行く。石段の中央には鳥居があり、その上にも100段以上の石段が真っ直ぐに続いている。
石段を上りきると、そこは平坦な境内で、石畳が白根神社拝殿に向かって一面に敷かれ、両側には石の燈篭が並んで立てられている。
本殿拝殿までの中央には白い鳥居が建ち、鳥居の上部には「白根大明神」と彫られた額が掲げられている。
私達も、手水舎で体を清め、石畳を拝殿に向かって進み、参拝を済ませた。
湯畑の近くにある白根神社
白根神社は、草津温泉を発見したといわれる、日本武尊(やまとたけるのみこと)を御祭神として祀っている。
毎年7月17・18日には、十数基の神輿が町を練り歩く白根神社祭礼が賑やかに行われている。
大明神と書かれた拝殿前の鳥居
境内にある石楠花の群生地
神社の周辺は、囲山公園(かこいやま)として整備され、広々とした境内には、石楠花(しゃくなげ)の群生地がある。 5月上旬には石楠花のピンク色の可憐な花が咲き、訪れた人達を楽しませてくれる。
参拝を済ませ散策路を進んでいくと、下記のような松尾芭蕉の句碑が立てられている。
白根神社境内にある松尾芭蕉の句碑
松尾芭蕉の句碑には 「夏の夜や谺(こだま)にあくる下駄の音」と彫られている。
この句碑は、どうやら芭蕉が草津滞在中に詠んだものではないらしい。
芭蕉は、元禄4年(1691)に、京都嵯峨の門人去来を訪ね、その落柿舎で作ったもので、芭蕉の「嵯峨日記」に収められている。
150年ほど後に、草津の俳人「一夏庵坂上(いっかあんさかうえ)」と「竹烟(ちくえん)」が、「この芭蕉の句は、地元である草津温泉街そのものを詠んだ」といって、ここに句碑が建てられた。
白根神社のある囲井山公園の散策を終え、一般道路に出て下って行くと、途中に片岡鶴太郎美術館があった。私達は立寄らずにそのまま進んでいくと、温泉が湧き出し、川となって流れている西の河原(さいのかわはら)公園がある。
白根神社のある囲井山公園の散策を終えた後一般道路に出る。
西の河原(さいのはら)公園の入り口に当たる西の河原園地と書かれた案内板
草津温泉の西側にある事から西の河原公園と呼ばれるようになった。
付近一帯は上信越国立公園の特別指定地区に指定され、河原のあちこちから毎分14000リットルの温泉が湧き出し、湯の川となって流れ出している。
この風光明媚な景観は、四季折々に変化し、源泉「湯畑」と共に、温泉情緒溢れる散策コースとして人気を集めている。
西の河原公園内の遊歩道は、奥にある西の河原露天風呂まで通じ、その途中には、微笑ましい鬼の茶釜碑や句碑、湯滝やベルツ博士の像、草津の自然を紹介したビジターセンターなどがある。
園内のいたる所から温泉が湧き出している湯けむり漂う散策エリアである。
草津を世に広めたベルツ博士や、斎藤茂吉・水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)など、偉人・文人の歌碑や記念碑も園内に立てられている。
下記の両博士の胸像については、明治時代の東京帝国大学で 「内科にベルツ、外科にスクリバあり」といわれて日本近代医学の基礎を築いたのが両博士であると伝えられている。
両博士とも無二の親友で、共に草津温泉を研究し、その医学的効能を世界に知らしめる。
また、スクリバ博士は、町民に無料で診察を施し、町民から深く親しまれていた。
この胸像は、元は東京大学構内の両博士の胸像であったが、戦時中に供出された時、コンクリートでコピー(草津ベルツ記念館に展示)されたものである。
戦後、草津町に贈られたものを、平成4年5月に姉妹都市締結事業にて立て替えられたものである。
日本近代医学の恩人ベルツ・スクリバ゛両博士の胸像
日本の医学向上に多大な貢献をしたベルツ博士について少し触れてみる。
本名は エルヴィン・フォン・ベルツ(Erwin von Bälz, 1849年 - 1913年)、ドイツ帝国の医師で、明治時代に日本に招かれ、27年の永きににわたって日本で医学を教え、医学界の発展に尽くした人である。
ベルツ博士と草津温泉との関わりについてベルツ博士は、草津温泉を再発見し、世界に紹介した人物でもある。
ベルツ博士は荒井花子と結婚、1878年(明治11年)頃より草津温泉を訪れるようになり、「草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある。 もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、カルロヴィ・ヴァリ(チェコにある温泉)よりも賑わうことだろう」と評価し、草津温泉を世界に紹介する。
また、ベルツ博士が冬季に滞在中に旅館の女中達がヒビ、アカギレなどで苦しんでいる姿を目撃して、凍傷治療薬を変方して「ベルツ水」を考案する。これはグリセリンとエタノールを主原料として誰もが簡単に作れるものにして日本国内の普及を図った。ベルツ水は現在でも薬局で販売されている。
斉藤茂吉の碑 水原秋桜子の碑
斉藤茂吉の句碑には 「 いづこにも湯が噴きいでて流れるる 谷間を行けば身はあたたかし」
ドイツで医学を学び、歌人でもある茂吉は、近代短歌に大きな影響を与えた作品を残している。
水原秋桜子の句碑には 「胸像は永久に 日本の 秋日和 」 と彫られている。
これは医学博士である秋桜子が、草津町の恩人であるベルツ博士の遺徳を偲んで詠んだものである。
いたる所で温泉を噴出す池と湯川が流れる西の河原公園
至るところから源泉が湧き出し湯川となって流れ、周囲には琥珀の池、瑠璃の池などと名付けられた湯溜まりが点在している。
エメラルドグリーンの色をした琥珀の池 なぜか硬貨が投げられている!
代表的な温泉の湧口であった鬼の茶釜
西の河原公園は、その昔、鬼の泉水と呼ばれ、「湧き出る湯口はわれもおそろしや、鬼の茶釜の湯土産噺」と怖がられていたが、今は遊歩道のある公園になっている。
荒涼とした景観にあり温泉が湧いている二つの池
河に造られた滝壷に置かれて祀られている不動明王
祀られている不動明王のある滝と、分かれて岩肌を流れる川
西の河原公園の奥には、昨夜入浴した西の河原露天風呂の施設がある。私たちは不動明王の祀られている滝の見学を終えた後、中心部の湯畑方面に帰っていった。
道中には、みやげ物や温泉饅頭などを製造直売している店が並び、蒸しあがったばかりの饅頭をサービスしながら、呼び込み勇ましく販売している光景が見られた。
私は湯畑にある駐車場に帰り、洗面用具を持参して立ち寄りの湯である「白旗の湯」に入浴する。
草津温泉には、無料の立ち寄り湯が十数箇所ある。湯畑の隣にある無料の立ち寄り湯の「白旗の湯」
白旗の湯には、5~6人が入浴していたが、その熱さには驚かされた。比較的に熱い湯を好む私も、最初には一分も入っていられなく、体を慣らした後、再度試みて入浴するが1分が限度であった。
草津温泉には不思議な魅力が感じられる。温泉の良さは勿論であるが、湯けむり漂う景観と共に山裾にある緑の森や、白根山など自然と一体となった温泉の風景が私たちを惹きつけてやまなかった。
草津温泉の散策や入浴を終えた後、私たちは日光ロマンス街道を、沼田方面に走らせて行った。
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