氣まぐれ剣士の言いたい放題

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777 鬼塚さんの供養祭

2010-04-15 13:48:45 | Weblog
氣まぐれ剣士の言いたい放題

777 鬼塚さんの供養祭

今回は、説法を通じて“心の豊かさ”を説き続けている南蔵院住職・林覚乗師のお話をご紹介します。
(『致知』1998年10月号掲載)

長崎県の時津町に、打坂(うちざか)という急勾配の坂があります。そのバス停のそばに建てられている記念碑とお地蔵さんの前では、毎年慰霊の行事が執り行われています。

昭和24年のことです。地元長崎自動車のバスが乗客を乗せて、この坂を登っていました。

坂の半ばに差しかかったとき、突然エンジンが故障し、バスは止まってしまいました。運転手はすぐにブレーキを踏んでエンジンを掛け直そうとしましたが、
ブレーキが利かない。補助ブレーキも前進ギアも入りません。

三重のトラブルが重なって、バスはズルズルと後退し始めたのです。

そのバスには、鬼塚道男さんという21歳の若い車掌が乗っていました。運転手は彼に大声で、
「鬼塚、すぐ飛び降りろ。棒でも石でも何でもいい、車止めに放り込んでくれ!」
と指示しました。

鬼塚さんはすぐに外へ飛び出し、目につくものを車輪に向かって片っ端から投げ込みました。

しかしバスは止まりません。乗車のほとんどは、原爆症の治療に通うお年寄りと子どもたちで、脱出はとても不可能です。

その間にもバスのスピードは見る見る上がっていきます。坂の下は崖でした。
ガードレールもなく、落ちればバスは大破します。

崖まであと10m、5m……。全員が観念したところで、バスは奇跡的に止まりました。

我に返った運転手は、鬼塚さんがいないことに気づきます。まだ車止めになるものを探しているのかと思い、乗客と一緒に探し始めます。

ふと、バスの後のほうを見て思わず息をのみました。

そこには何と、後車輪に身を投げ、自ら車止めになっている鬼塚さんの無惨な姿があったのです。内臓破裂ですでに息を引き取っていました。

乗客は鬼塚さんを戸板で運びながら、
「この方は仏さんか菩薩さんの生まれ変わりだ」
と口々に言い、涙に暮れました。

貧しい時代で何もしてあげることができず、また、鬼塚さんの死は、一部の人にしか語り伝えられなかったため、次第にその出来事は忘れ去れれようとしていました。

24年後、乗客の証言にもとづいて、その事件が小さな新聞記事になりました。
それをたまたま目にした長崎自動車の社長は、大変なショックを受けました。
「こんな立派な社員がいたことを、 われわれ役員が忘れてはいけない」

そう考えた社長は、その日のうちに役員会を招集し、会社で打坂のそばに記念碑とお地蔵さんを建てて供養することを決めました。

鬼塚さんの供養祭は、いまでも続いています。 


立派な人がいたものですね。自分の命をなげうって、人の命を助けることは、凡人には出来ませんね。

この社長も偉いですね。やっぱいいい事はすぐにやらないといけませんね。

人は2度死ぬそうです。一度目は自分が死ぬとき。2度目は、人の記憶からなくなる時だそうです。この鬼塚さんは、永遠に人の心に生き続けるでしょうね。

小生なんか、生きてるときから、家族の記憶から消されているかも知れませんね。“だって、いつも家にいないもん”と言われそうです。お粗末でした。

以上