氣まぐれ剣士の言いたい放題

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261 偽善

2005-12-29 16:31:48 | Weblog
気まぐれ剣士の言いたい放題

261 偽善

「世の為、人の為…」と言えば聞こえは良いのですが、「偽善」には、毅然とした態度で臨みましょう。夢も希望もなくなると言われるかもしれませんが、「世の為、人の為」と言う大義名分を掲げている人や組織ほど、信用出来ないものはありませんね。

人は生きているだけで価値があり、人は必ず、他の誰かの役に立っているのです。それをことさら声高に、「世の為、人の為」と主張しなければならないのは、そこに「偽善」が隠されているからかもしれません。

「人の為」と書いて、「偽(いつわ)り」となります。良く考えてありますね。

「偽りの善」が、「偽善」ですが、では、一体「真実の善」とはなんでしょう?
この世に、「善」がある限り、「悪」がなくなることはありません。
「善」と「悪」とは同じエネルギーの裏表であり、 それはどちらかひとつでは存在することが出来ないそうです。

一見、「善」に見えるようなものの中に「偽り」が隠されていることを「偽善」というのですが、何が「真実」で、何が「偽り」なのか、 われわれは明確に分けることが出来るでしょうか?

この「善悪」「真偽」「良い・悪い」など、物事をふたつに分けて考えるという意識そのものが 根源的な問題かも知れません。
「良い・悪い」があるからこそ、表面的には「善い」ことのように見せかけて、内面にある「悪い」部分を偽って隠そうとするのかもしれません。

外側に現れる現象は、私たちの内面にある意識の投影です。私たちの中で、本当に「良い・悪い」がなくならない限り、いつまで経っても、残念ながら世の中から「偽善」がなくなるハズもありませんね。

 「人の為」と書いて「偽(いつわ)り」とはよく言ったものですね。お母さん方が良く子供に「あなたのために言っているのよ」というのと同じです。子供を立派に育てたければ、自分で見本を見せればいいだけですね。「お母さんの真似してたらこんな風になってしまった」と言われないように。

 気まぐれ剣士は「先生の真似したらこんなに下手になっちゃった」と言われたら、「下手な手本を見せているんだよ」と言ってやります。

 次回もお楽しみに
以上