氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
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251 負けず嫌い

2005-12-09 16:01:49 | Weblog
気まぐれ剣士の言いたい放題

251 負けず嫌い

メルマガに載っていました。
「負けず嫌い」でも構いませんが、 勝つことと、幸せ度が、比例するものではありません。
勝つことが正しくて、負けることが間違っているのではありません。 さらに勝つことや正しいことが「幸せ」と結び付いているワケではないのです。

「勝つ」ことによって、確かに一瞬の達成感や高揚感を味わうことは出来るかもしれませんが、それは永くは続かないものです。
勝つことや正しいことが「幸せ」と結び付いているとしたら、最も勝ち続けた人や最も正しさを証明した人が、 最も「幸せな人」になるハズですが、 常に勝ち続けている人や常に正しさを証明する人は、果たして「幸せな人」でしょうか?

「勝ちたい」とか「負けたくない」「負けたら口惜しい」と思う心も 悪くありませんが、いつもいつでも「比較・競争の世界」に生きていると、自分以外は全て敵になってしまうので、心が休まる時がありません。

「負けず嫌い」の気持ちをバネにして、頑張ったり、 努力したりするのも悪くありません。
しかし「負ける」=「ダメだ」「価値がない」という価値観に縛られしまうと、 どうでも良いことまでも「負けるのが嫌い」になってしまいます。

まったくその通りですね。いくら強くたって必ず負ける時が来ます。勝つことだけを目的にすると、昇り調子の時はいいけれども、負けると今まで頑張ってきたことが全て否定されてしまいます。一生懸命稽古して、その結果だけで評価されては寂しいものがありますね。同じ稽古をし、勝てば誉められ、負ければ貶されては身も蓋もありません。

また、勝ったとしても誉めてもらえるのはその時だけですよね。普通の人は3日もあれば忘れてしまいます。

それよりつらい稽古も楽しめればいいですね。結果も大切だけれども、その道のりはもっと大切ですね。一気に強くならなくても、ゆっくりと強くなっても遅くはないですね。「注意一秒、怪我一生」という標語がありましたが、「稽古一生、結果一瞬」です。たった一瞬のために努力するより、毎日の稽古を楽しめればどれだけ有意義か分かりませんね。

気まぐれ剣士は一生かかって強くなります。これってちっとも強くならない人の言い訳にいいですね。「一生」はお酒の「一升」だったりして。

いつまでたっても飲ん兵衛な気まぐれ剣士でした。

次回もお楽しみに
以上