創価学会に悩むすべての人へ

創価学会問題の構造を紐解く(※コメント不可。トラックバック歓迎!)

一本筋の通った創価学会員

2005年10月20日 | Weblog
上の人間に、言うべき事は毅然と言う。
そんな、ハタから見ると、一本筋の通った創価学会員も、
実は創価学会上層にとって、都合の良い存在だ。

なぜならば、会員が全員イエスマンだと、創価学会が「全体主義」だと思われてしまう。
もちろん、創価学会は言うまでもなく「全体主義」だ。
だが、世間に人には、そう思われたくない。
入会者が減るからだ。

だから、創価学会が全体主義ではない、というカモフラージュをする必要がある。
そのカモフラージュとして用いられているのが「一本筋の通った創価学会員」だ。

「創価学会の上の人間はおかしい」「上から来る打ち出しはおかしい」

と、歯に衣を着せず(実際には着せているのだが)、ズバリと言う会員が居る事で、「創価学会は全体主義の団体ではない」という「演出」が出来る。

だから、どんな支部や地区にも、一人は、こういう「一本筋の通った創価学会員」を飼っている。
だが、そういう会員は、幹部にはなれない。
なぜならば、創価学会という組織を、ピュアーに見過ぎているからだ。

例えば、大仁田厚というレスラー参議院議員がいる。
彼は、政治の世界をピュアーに見過ぎているようだ。
だから、彼は自民党の幹部にはなれないだろう。
せいぜい、自民党の衛兵として、用いられるだけだ。
本当に出世できるのは、「政界は汚い」という前提で、黙々と自民党と自分の利益のために働く、小沢一郎のような人物なのだ。

「一本筋の通った創価学会員」は、ピュアーだから、創価学会を批判できる。
だが、その批判が絶対に及ばないところがある。
それが、池田大作である。
池田大作だけは批判できない。
なぜならば、創価学会は池田大作という唯一の支配者を崇拝する団体だからである。
もし、池田大作を崇拝する事をしなければ、たちまち、組織から除外される。
「一本筋の通った創価学会員」であっても、池田大作だけは批判できない。

なおかつ、どんなに「一本筋の通った創価学会員」が組織で吼えても、彼は重要なセクションに居ないから、決定力が無い。
組織にとって安心なのだ。

かく言うわしも、ある程度、大きな組織のリーダーだった時、サブ役職についていたのが、この「一本筋の通った創価学会員」だった。
彼は、会合の場で、わしに文句を言ってみせるのだ。
文句を言ってみせるものの、そこには決定力が無い。
なぜならば、彼は「サブ」に過ぎないからだ。
水戸黄門みたいなものである。
そして、やはり人気というのは、「リーダー」に集まる。
だから、どんなに「サブ」が吼えても、組織の舵取りはリーダーの意志で決まる。
サブを吼えさせるのは、リーダーの独裁ではないと思わせる、カモフラージュ作戦に過ぎない。

創価学会全体もまた、「一本筋の通った創価学会員」を上手に使いながら、組織を守っているのだ。
だから、「一本筋の通った創価学会員」を見て、創価学会にはまだ改革の兆しがあるなどと考えてはならない。
「一本筋の通った創価学会員」は、「口だけ番長」であり、結局、組織を動かす力は無い。
本当に組織を動かしているのは、「創価学会は汚い」という事を承知の上で、組織と自分の利益のために、黙々と働く、一握りの「真のバリバリ創価学会員」である。