創価学会に悩むすべての人へ

創価学会問題の構造を紐解く(※コメント不可。トラックバック歓迎!)

精神分裂症と創価学会

2005年10月22日 | Weblog
「職員がメシを食うための創価学会」

これが上層の「ホンネ」である。
「仏教」も、そのための手段に過ぎない。

創価学会における不変の真理は、

1.創価学会は正しい
2.三代会長(牧口・戸田・池田)は素晴らしい


これだけである。
これ以外は、釈迦も日蓮も、ハッキリ言って、どうでもいい。

しかし、末端の会員は、この「どうでもいい」事を真理だと思い込まされている。
だから、色んな事に「矛盾」を感じてしまう。

宗教とは、キレイにマインドコントロールされる事に価値がある。
不安の充満する世の中である。
だから、「AとはBである!」「CとはDである!」と、確信を持って言い切ってくれる宗教にあこがれる。
確信ある言葉に、不安が解消される。

だが、創価学会には矛盾が多過ぎる。
なぜ、矛盾が多いかと言えば、やはり「宗教」を道具とした「経済体」だからだろう。
純粋の教義を求めている宗教団体には、これほどの矛盾は無い。
浄土真宗、曹洞宗などは、実にマジメに仏教に向き合っている。
確かに、坊主もメシを食う必要があり、「法の純粋性」と「経済」という矛盾からは、どうしても逃れられまい。
だが、浄土真宗、曹洞宗などの場合は、「法の純粋性」を求める気持ちのほうが強い。
正真証明の「宗教団体」なのだ。

創価学会を宗教団体だと思っているのは、末端の会員だけであり、上層の人間は「経済団体」であるとハッキリ自覚している。
これを自覚できない者は、出世できない。

「経済団体」だから、教義もコロコロ変えてしまう。
「大御本尊を拝まぬものは幸せになれない」などと言っていた口が、コロッと逆の事を言い出す。

こういう本性が、創価学会運営のいたる所にあらわれる。
指導と現実が、いたる所で異なる。
聖教新聞に載っている指導と、実際に、幹部を通じて流れて来る指導が異なる。
「ウラの指導」と「オモテの指導」がある。
だから、純粋な会員は、この矛盾を、どう理解したら良いかわからなくて、迷う。
キレイにマインドコントロールされたいのに、それが不可能なほど、創価学会には矛盾が多い。

「信じよう」「信じよう」と自分には言い聞かせるものの、「信じられない」という声が、心の底からこだまする。
その心の声を封印するかのように、創価学会の書物を読んだり、幹部の口先の指導を聞いて、無理に納得しようとする。

そうなると、人間はどうなるか?
精神が壊れるのである。


先日、加藤諦三の、神経症の話をした。
創価学会は神経症的な人間関係である。
池田大作が絶対的な強者であり、その他の数百万の会員は弱者である。
弱者が強者に、絶対的に服従する事で、双方の安心が得られる。
神経症者同士の依存関係である。

加藤諦三の説明する神経症は、自分の気持ちを上手に表現できないという性格的傾向に過ぎない。
だが、この性格的傾向がこじれると、ウツ病、精神分裂という、本格的な心の病いになる。
神経症は、さまざまな心の病の原因となっている。

創価学会員には、極めて神経症的傾向の強い。
という事は、いつ心の病いなってもおかしくないのだ。
創価学会の数々の矛盾に遭遇し、それでも、その矛盾を無理に自分の中で解釈し、自分の心を偽る事で、本格的心の病が噴出する。


精神分裂とは、精神機能の統一性が損なわれる病気で、現実を正しく判断する能力が妨げられ、感情の正しいコントロールや正しい意志決定が出来なくなる。
幻覚、妄想、周囲への無関心、学業不振、労働意欲の低下、急激な興奮を引き起こす場合もある。

創価学会員には、精神分裂的傾向を持っている人間が多く見られる。
幻覚、妄想まで至る人間は少ないが、精神が不安定で興奮しやすく、仕事や家事などの意欲が低下してしまう。
中にはひきこもり的になる
タイプもある。
仕事も勉強もせず、いわゆるニートで、人と接するのは創価学会の会合だけ、という人間もしばしば見かける。

これは、創価学会の教えによって、「心の声」を長く抑圧する事で、精神的な統合がとれなくなってしまう。
これが精神分裂の発生原因になっていると考えられる。

創価学会本部の周辺に、しばしば精神分裂を煩った創価学会が来て「池田先生に遭わせて欲しい」と懇願する。
彼等はマルセ(精神病)、マルキ(キチガイ)と暗号で呼ばれ、証拠写真を撮って追い返される。
精神分裂患者を生み出したのは創価学会という組織なのに、精神分裂になった会員には、創価学会は冷たい。

まあ、創価学会員が個人経営する精神病院が数多くあり、そこで患者を面倒みている(金を貢がせている)のだが・・・

創価学会を脱会した後も、精神分裂の傾向がとれない人もいる。
「創価学会にストーカーに遭っている」などとネットで頻繁に訴えてる。
これは明らかに「妄想」であり、精神分裂の症状である。

ここまでは行かないにせよ、「精神が不安定で興奮しやすい」という傾向が、多くの脱会者にも見られる。

自分のノイローゼを全て創価学会の責任として押し付けるあり方にも疑問がある。
しかし、創価学会という組織が、ノイローゼを生み出す大きな原因となっている事は間違いないだろう。

活動家である創価学会員に言いたいのは、創価学会に対し不安を感じたならば、活動を停止せよ、という事。
活動を停止する事で、今まで抑えつけていた、自分の心のフタを開ける事が出来る。
それも、中途ハンパな期間ではなく、数年は活動を停止すべきである。
活動停止して期間が短いと、まだ心の不安定さから逃れられない。
ちょっとした他人の言動に、影響力を受けやすい。
そこで活動に戻ると、大変に危険である。
分裂傾向を助長させる結果になる。

すでに脱会した人で、まだ心が不安定であるという人は、創価学会関係から自分の環境を完全に遮断する事。
インターネットで、創価学会関係のサイトを覗かないほうがいい。
ましてや、書き込みなど、しない事。
(わしのこのブログを読む程度ならばいいだろう)

ネットで創価学会問題に取り組んでいる人間が何人か居る。
だが、ちゃんと創価学会を客観視し、冷静に事実を伝えるには、精神がある程度、安定している必要がある。
精神が不安定なままでは、いたずらに感情的に、ネット上の創価学会員を叩くだけの結果となり、中立的な世間の人への「アピール」にはつながらない。
それどころか、創価学会の毒気が自分に伝わってしまい、余計に精神が不安定となる。

わしも、創価学会問題をネットでやるようになったのは、創価学会の活動をしばらく休止し、ある程度、心が安定した後である。
それでも、創価学会問題というのは、いじるだけでも心に毒であり、ストレスを解消するための、色んなテクニックを駆使している。
それで、やっと、こういう活動を持続できているのだ。

わしのように、創価学会問題を本気でやろうと思うのならば、まず、精神的にある程度落ちついて、それから「生活」の上でも、ある程度、落ちついてからのほうがいい。
特に、女性は独身のうちは、こうした事はやらないほうがいい。
女性はただでさえ感情が乱れやすい。
創価学会問題で、興奮してしまうと、それが日常生活の足を引っ張ってしまう。
男性ならば切り替えが効くが、女性は興奮を一日中引いてしまう。
これが女性の生理的特徴だ。
創価学会問題を一日中考え、ピリピリした顔をしていては、男も寄って来ない。
だから、独身女性は、創価学会問題をいじらないほうがいい。

子供が幼い主婦の人も、感情が乱れやすいので、インターネットには充分に注意してください。


P.S.わしを快く思わない人間が、残念ながら、ものすごーく多いため、このブログはコメントを受け付けていません。
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