単独飛行

今は子供の頃などを振り返り自分の中を探検しています

昔読んだ本を、もういちど

2020年03月29日 | 

 数年前から、子供時代や若い頃に読んだ本を読み返すことの楽しさを知った。

 きっかけは、実家を整理したことにあると思う。両親が老人ホームに入居することになり、実家に住む人がいなくなった。早晩、家を取り壊し家財道具も処分しないといけない。それで自分のものの中からいるものをよりわけた。その中にはどうしても捨てられない本が何冊かあった。

 

 「はてしない物語」(ミヒャエル・エンデ著/岩波書店)もその中のひとつで、これは20代の頃、古本屋で求めたものだった。この物語の冒頭にある場面と同じような気がして、出会いを感じたものだ。しかし期待したわりには当時の私にはさほど面白く感じられなかった。

 

 それがどうだ!! この胸を締め付けられるような愛らしく美しく悲しい物語。ページをめくるごとに想像もつかない世界へと誘われる。中に一人だけ「一度しか会えない人」が出てくる。でも、こんなの子供むけのおとぎ話だもの、一度しか会えないという設定でも何かの魔法できっと再会できるに決まってる。しかしそんな期待はむなしくも崩れ去る。そのことがわかったときの悲嘆!! え、ウソでしょ? だめなの? もう会えないの!? そうわかったときは本当に胸がつぶれそうだった。

 

 そして最後のページが近づいてくる・・・子供の頃から最後のページを閉じるのが嫌いだった、本の中で親しくなった人たちと別れないといけないから。

 大人になって今や何もかもわかった気分になっているのに、こんなに気持ちがゆすぶられることに、大いに慌てた。たかが物語なのに。なぜこんなに胸がかきむしられるくらいに辛いんだろう。それは物語にさよならを言って本を閉じないといけないから。それだけはどうすることもできないから。別れる辛さを今この年齢になって、本当にわかるようになってきたからではないだろうか。

 

 本がいつも与えてくれる新鮮な喜びと驚きに感謝して・・・また古い本のページをめくろう。

 

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買収される(泥酔した女とヤッてもなあ、の続き)

2020年03月22日 | 世の中

 では結局、前回の友人の問い

 「夜遅くまで二人で飲んでいたら、それは女性がセックスOKしていると受け取るという男の考え方は許されるか」ということの私の答えは

 「身勝手な妄想だけれど仕方ない。人間だもの。」である。

 考えてみたら「遅くまで二人で飲んでいても、この男は指一本私に触れないだろう」という妄想を女のほうが抱いているだけという言い方もできる。それもまた勝手な言い分である。それどころか、この場の支払いは男がするべきだ、と思う女もいるかもしれない。それもまた勝手な言い分である。

 そもそも、値段にもよるけれど相手に支払ってもらうということは、相手のほうが優位にたつということである。同性でもそうだけど、「今夜は俺のおごりだからな」というときは、相手を食べ物で(心理的に)買収する行為である。社会人になったらそれくらいはわかってるはずだ。

 だから、まずは割り勘にすること、そして〇時になったら帰る、あなたとは今夜はセックスする意志はない。ということを先に告げる。もし貴女がフリーランスなら夫がいると(ウソでいいから)言っておくのも良い(日本人は不倫を嫌うので夫のいる女には手を出さない人が多い)。仕事の席なのでノンアルコールの飲み物を飲む。これらを徹底するべきである。本当は、高校卒業するときくらいにこういう話を女性全員に教えたい。

 ところで私が男だったら、ある程度の高額な支払いを要求されるような店で自分が二人分支払ったら、夜とか昼とか関係なく「この女は自分に心身ともに許す気があるな」と判断しそうな気がする。それくらいマネーの力は強い。

 夜遅くまで飲んでいて、それでいて「あたし実は好きな人がいてさー」なんて話を「ふんふん」と聞いてくれて、「今夜はもう帰って一人で寝たい」と言っても「そっか、じゃー送ってくわ」ということで(食事は割り勘)、タクシーで送ってくれるようなさばけた男もいるにはいる。というか、そういうさばけた関係になれるのは、たぶんお互い気心が知れて、一緒にいて話をしてると本当にリラックスできて楽しい、こういう相手はめったにいないから関係を壊したくない、という場合だけである。

 それでもお互い男と女であることには変わりはない。危うい地点でいつもバランスを取ってることは間違いないのでいつもそのことを忘れない、というようなことすらも楽しむのは、ある程度の年齢にならないと無理かな。

 

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泥酔した女とヤッてもなあ・・・

2020年03月16日 | 世の中

 先日友人がこんなことを話していた。

 夜遅くまで男女二人でお酒など飲んでいたら、男性側からはセックスOKということにとられてしまうというアンケート結果があるそうだ。はっきりと言葉ではOKと言ってないのに、その行動だけでOKと取られるのはおかしいと友人は憤るのである。それは確かにそうだ。私もそう思う。そしてOKと言っていないのに大量に飲酒させ泥酔させ、動けなくなった女性を強姦するような行為でも、そこに合意があったかどうかは立証が難しく、二人で酒を飲んでいただけでその行為が許されることが多いのは、理不尽だと私も思う。

 今後、日本の法律が整備され、OKをはっきり口にしない相手とはセックスをすると罰せられることになればいいと期待する(しかしこれは女性側もOKかNOかをきちんと言う必要があるということである)。

 この話にはいろいろな問題があるが、まず男性側から見たとき「二人で酒を飲んだ挙句、合意なしにセックスするのが犯罪だ」と言いきる人がどれくらいいるのだろうといつも思う。「酒飲んで酔っ払った女とセックスしただけで犯罪とか言われたら困るよな」という男が50%くらい、「実際にやる勇気はないけど女を泥酔させてセックスしてみたいな」と妄想する男が40%くらい、そして残り10%は同性愛者、というのが現在の日本の男性の現実ではないだろうか。つまり、それを悪いと思う価値観がないと思う。

 理性? 常識? そんなものは連中には通用しない。セックスのためならなんだってする、それが男というものである。どんなキツイ仕事でも、どんな危険な任務でも、どんな高額な支払いでも、セックスのためなら厭わない。そこが連中のいいところでもあるからややこしい。ま、女とは別の奇妙な生物なのだ。

 ただ、女性に酒を多量に飲ませて強姦する、というような男は、男としてはひとつの種類に過ぎないということも真実である。そういう男もいる、それだけである。おしゃべりな男もいれば無口な男もいる、というのと同じこと。たとえば、スズメバチを見分けることのできない人は、ハチを見たらすべてスズメバチだと思っていたほうが安全、ということだ。

 男性に対して失礼だとは思いながらも女性が自分の身を護るためなら仕方ないと思う。そして、この男とは絶対にセックスできない、と思うような相手とはサシで酒を飲まないというのをルールにしておくといい。

 いまだに、「あの男は私の体目当てなのかしら」とか「ブサイクな女を口説く男なんかいないわ」などと言ってる女がいるが、女の体を目当てに酒を飲まない男は同性愛者だけだし、セックスするときに相手の顔の美醜を問う男なんかこの世にいない。私は極端なことを言っているだろうか? いや私ならば、私の体を目当てにしない男と酒を飲んでも美味しくない。

 先日ある男と話していたら「泥酔した女とヤッてもなあ・・・」と言っていた。ああー好きやわ、その感覚。ほろ酔いくらいがいいよね、お互い。

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いいです、いりません。

2020年03月07日 | 子供の頃の話

 最近はあんまり見なくなった気がするけれど、スーパーなどで「あれ買って~!!」と泣きわめている子供を見ることがある。オモチャ売り場の前で、欲しいオモチャを買ってもらえなくて地団太踏んで泣いた経験のある方もいるかもしれない。

 しかし私は欲しくて泣くどころか、「何か買ってやるから、ひとつ選べ」と言われても「いらない」と答える可愛げのない子供だった。

 だって「これが欲しい」と言うと「そんなのよくないじゃないの、こっちがいいでしょ」などと言われる。そうなると「いやだ、これがいい」とダダをこねないといけなくなる。それが面倒くさくて「もういらない」と言っていた。欲望が少ないともいえるし、ダダをこねてまで我を通す勇気もないともいえる。

 こういうのは子供によって大きな違いがある(大人になってからもそれは言える)。三つ年下の妹はひっくり返って泣きわめくタイプだった。子供心に、それが少しうらやましかった。

 そして、親の立場からすると、泣きわめく子は手がかかるけれども「何が好きか」「どうしたいか」がわかりやすい子ともいえる。何も言わず「いらない」と沈黙してしまう子は「何を考えているかわからない」となる。本当は欲しいものがあっても、言えないだけなのに。

 この「自分はこれが好きだからこうしたい」という、至極簡単そうなことが簡単に表現できない性格はじつに厄介なもので、簡単には直せないような気がするけれど、少しでも言えるようになったとき人はものすごく開放感を味わうことができる。というのも、最近の私はほんの少しそれが言えるようになってきたので胸がスッとするときがある。

 それでもまだ・・・「何かあげましょうか」と言われるとつい、「いいです、いりません」と断ってしまう、可愛くない自分がいてゾッとする。なぜそんなふうに言ってしまうんだろう。そんな自分が嫌いでたまらない。

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私とは違うあなた

2020年02月29日 | 人との関係

 息子が小学生の頃、町内対抗ソフトボール大会というものがあった。六月から七月くらいだったろうか、放課後(ちょうど日暮れが遅くて明るい時期だ)各町内わかれて四~六年生は近所の公園などに集まって練習をする。監督・コーチは近所のおっちゃん達のボランティア。

 私はもともとスポーツに全く興味のない人なので、見に行くことはしなかったが、近所のお母様たちは毎日のように熱心に見に行く人も多かった。「〇君ソフト上手ねえ、キャッチャーしてるわよ」と聞いて、ええっ、うちの子がキャッチャー!?と驚いて見に行った。

 すると、えっ、あれがうちの息子・・・いつもは女の子に言い負かされたり、ふざけて歌ったりしている顔とは全く違う、息子の真剣に顔があった。我が子ながらすごいやん!! きりっとしてる。十数人の寄せ集めチームだけど、その中心で生き生きとやってる息子がいた。あんなこといつ覚えたんだ!?

 そういえば、ツトム君はどこにいるんだろう。近所の同級生でいつも騒いでいる元気坊主がいるんだけど、さぞかし大活躍してるんじゃないか・・・あ、ほかの子とじゃれあってふざけている。そこにすかさずコーチのおっちゃんから「コラ!! ツトム!! いう通りにせんか、すぐ走れ!!」言われても、マゴマゴぐずぐずしているツトム君、さらにコーチに叱られると今度は泣き出した。

 ありゃまあ。なんて情けない姿・・・。しばらく見ていて、ふと気がつた。スポーツって、コーチの指示に従ってすぐに体を動かせない子かどうかで明暗分かれるのね。

 もちろん、次の段階になれば自分で考えて体を動かすことも必要になるんだろうけど、まずは「指示通りに体を動かさない」子はうまくいかない。

 私も言われた通りにしない子だったからよくわかる。いらぬところで反抗心を出して指示に従えない子。もちろんそういう子供がまるきりダメたということはない。そういう子にもほかにできることはある。だけどスポーツは・・・。

 人からの指示、教えてもらったことを素直に一度やってみることのできる人。息子はそういう子供だったし、私はそうではなかった。

 小さなことかもしれないけれど、大きな違いでもある。息子は私とはまったく違う。我が子であると同時に、私とはまったく違う人格なのだ。それを改めて気づかされた経験だった。

 

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