喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

愛媛県 県立高校一般入試 ~勉強するってこと~ 

2019-03-08 | 教育
 3月7・8日と愛媛県では、県立高校一般入試が行われた。
中学3年生にとっては、自分の進路を決める大きな節目。
 

 太宰治の『正義と微笑』という作品の中で黒田先生が次のように語っている。

「人をわずか1・2時間の中で評価するのは、神様のなせる業だ。
神でもないのにそんなことをする試験官は地獄に落ちるだろう。」



 なんで勉強しないといけないのだろうか?
大人になって役に立つから。
試験のために勉強しないといけないのか。

 こんな思いは、誰でも学生の頃、一度は考えたことがあるだろう。


 これに対する答えとして、主人公(学生)が回想する、「黒田先生」の別れ際の言葉がグッとくる。


 「もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。
勉強というものは、いいものだ。
 代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。
 
 植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強しておかなければならん。

 日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。

 何も自分の知識を誇る必要はない。
勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。
 覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。

 カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記していることでなくて、心を広く持つという事なんだ。
つまり、愛するという事を知る事だ。

 学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、必ずむごいエゴイストだ。
 学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
 これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。

 そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。」




 大事なのは、(必ずしも役に立つとは限らない)勉強の過程において「カルチベート」され、心を広く持つ、
つまり愛するということを知ること。

 そして一生懸命に勉強して人格を磨き、自分勝手なエゴイストにならないようにしないといけない。


「こんなこと勉強して何の役に立つの? つまらん」などと思うのではなく、
「なにそれ面白そう」と感じる心、つまり好奇心が大事なのだ。



 好奇心をもって生きていくために、勉強が大切なのだ。

 好奇心多き人生は、豊かな人生だ。


        岬人(はなんちゅう)