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カラブチェフスキー指揮フェニーチェ歌劇場の2001年東京公演『椿姫』の革新性は、当時、理解されなかった? 最近のヴェルディ演奏は脱トスカニーニ?

2019年04月06日 21時58分53秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

 「ロイヤル・オペラ」での2019年の『椿姫』について書き終えたこの欄を読み返して、この日の印象によく似た映像があったような気がしてコレクション棚をじっと眺めて思い出したソフトがあった。2001年のフェニーチェ歌劇場の日本公演の記録映像である。「BUNKAMURA」での6月30日の収録で、パイオニアLDCから、DVDで発売されている。

 指揮は当時音楽監督だったカラブチェフスキー、ヴィオレッタをテオドシュウが歌っている。このDVDを観た際の感想を記した私のメモが解説書の裏に貼ってあった。まったくのメモ書きなのだが、今回のロイヤル・オペラの感想とそっくりなので我ながら驚いた。下記にそのまま転記する。

 

・音楽に芯がある

・恰幅のいい朗々と鳴る音楽

・流れがいい

・三人がしっかり組み合った充実した音楽が豊かで、彫りの深い表情の歌唱。

・近年のヴェルディ再考のさきがけ

 

 このメモ書きにある「近年」は、私が2、3年前からオペラを丁寧に聞き直し始めているので、その頃、マゼール盤と比較したくて聴いた際のことだと思う。

 いずれにしても、このDVDの仕上がりは、改めて観てみたが、確かに出色のものである。高く評価する人がほとんどいないようだが、もっと知られていいものだと思いながら、何気なく、初めてライナー・ノートの黒田恭一氏の解説を読んで、合点がいった。

 黒田氏のような旧世代の評者の理解を越えたスタイルで、斬新な『椿姫』が繰り広げられていたということだったのだ。多くのファンが、その言辞に惑わされてしまったということだと言ってしまっていいと思う。黒田氏の解説を引用しよう。

「カラブチェフスキーが指揮してきかせてくれる第1幕への前奏曲をきいて、びっくりなさる方は多いに違いない。トスカニーニ以降、といっていいと思うが、ヴェルディの音楽は、総じて速めのテンポで演奏されることが多い。」

 ここまで読んだ時、私は、マゼールの2種ある映像、つい先日のネゼ=セガンのテンポなどを思い出して、そちらの方向に話が行くものと思った。だから、この後の黒田氏の論の展開に、あぜんとした。

 「しかし、カラブチェフスキーは、あたかも時代が逆行したかと思われるような、ゆったりしたテンポで前奏曲を演奏している。近年、ほとんどどこでも耳にすることのなくなった、この先を急がず、思い切り甘美な旋律をうたわせた前奏曲の演奏は、古き佳き時代の、いわば伝統的なオペラを彷彿とさせるものである。」

 この黒田氏の、私から見れば「途方もない勘違い」は、さらにエスカレートしていく。

「旋律的な美しさをきわだたせようとするカラブチェフスキーの方法が前奏曲だけでとどまるはずもなく、全曲が叙情的な視点でとらえられて進展していく。このようなカラブチェフスキーの、いくぶん保守的といえなくもない流儀によった表現が、近年の、劇的な起伏をたっとんだ演奏になれた耳には平板に感じられたとしても不思議はなかった。」

 散々な物言いである。私が、「革新的」と捉え、その後、現在のスタイルへと移り変わってきたさきがけがカラブチェフスキーであるという見方と真逆である。もっと早くに、この記述に気づいていれば、生前の黒田氏とどこかで論争が出来たのに、と、感慨深いものがあった。

 もう半世紀以上も、さまざまな演奏を比較検討してきている私が、最近、ますます確信していることに、「偉大な作曲者は、いつも時代の数歩先を行き、優れた演奏者が50年ほど遅れてその作品の秘密に気づき、鑑賞者は、さらに50年遅れてその演奏の価値に気づくのではないか」というのがある。文化史でも言えることだが、「50年」は、世代が入れ替わる目安なのだ。その意味では、トスカニーニの影響は長すぎた、ということかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

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