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このごろ思っていること。「METライブビューイング」のこと、「映像オペラ鑑賞会」のことなど。

2017年05月23日 15時04分34秒 | エッセイ(クラシック音楽)

 この「竹内貴久雄の音楽室」でも、数年前から時折、「METライブビューイング」を話題にしているが、じつは、3,4年ほど前に映画評論をしている友人に声を掛けてもらって以来、ほぼ毎回、観るようになっている。「METライブビューイング」とは、ご承知のように、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演を映像収録して、いち早く全世界いたるところの映画館の大スクリーンで鑑賞するという主旨のもので、私自身の「鑑賞日記」としても意味のあることだと思っていたから、最初の内は何とか時間をつくってこの欄にも載せるようにしていた。だが、『唱歌・童謡120の真実』の執筆に気をとられて中々はかどらないまま、いつの間にか、書きたかったことのメモばかり、もう10本以上も溜まってしまった。

 ひとつには、なるべくなら推敲に推敲を重ねてから公けにしたいという生来の編集者癖から、かんたんにブログにUPできないということもあるが、「演奏史」「音盤史」の視点を明確にしたいという欲求が出てきて、手間のかかる方向にはまり込んでしまったのが一番の理由だ。その日に聴いたものをアップデートで感想として書くことを躊躇するのは、「音楽文化史家」などと名乗ってしまったからでもあるが、実際、どれを聴いても(観ても)、目の前の演奏(公演)に至る歴史のプロセスが見え隠れしてしまって、熟考してから発言したいと思うようになったことも事実なのだ。もう20年以上前に出版した『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社)の「はしがき」で、様々の同曲異演が「点から線になり、面が見えてきた」と書いていることが、ますます実感となってきている。

 じつは、昨年から、知人を介して知った「オペラ映像」の鑑賞サークルで、年に4回ほど、解説をするようになった。月に一度の会に150人ほどが参集する本格的な団体で、登録会員は200名近いという。そこで配布する「手引き」も執筆しているが、必ず「音盤史」を掲載することにしている。これまでにラヴェル『スペインの時』『こどもと魔法』、ウエーバー『魔弾の射手』、ヤナーチェク『イェーファ』などを鑑賞したが、今後の予定は、『サムソンとデリラ』(サン=サーンス)、『ファウスト』(グノー)、『ラ・ボエーム』(プッチーニ)、『愛の妙薬』(ドニゼッティ)、『ノルマ』(ベルリーニ)、『ワルキューレ』(ワーグナー)と続く予定。3ヶ月に一度くらいのペースだが、もう下調べを始めている。既に終了した分については、当ブログへの掲載も考えているし、それを中心に、「ライブビューイング」の短評も交えて、また1冊、まとめたいと思っている。もっとも、その前に、ヤマハミュージックメディア(4月から「ヤマハミュージックホールディングス」だったかに社名が変わったらしいが)さんと、私がライフワークと決めた「日本人の西洋音楽受容史」三部作の2冊目(1冊目は『ギターと出会った日本人たち』として既刊)を来年春までに完成させるとお約束しているので、もちろん、それが終わってからになるが、少しずつ、オペラの音盤史を書き溜めて行きたいと思っている。

 きょう、こんなことを話題にしているのは、昨晩もライブビューイングで『エフゲニ・オネーギン』を観たからなのだ。増え続けるメモを前にして、これは何とかしなければ、と決心した次第。こうして公けにすれば書き始めるだろう、と自分の怠け心を叱咤激励するつもりでの公言である。黙って書きはじめれば良いものを、こんな風に敢えて書くのも、編集者時代からの「自註癖」。ご寛容いただきたい。

 ――さて、本日は、ここまで。明日はまず、『エフゲニ・オネーギン』。音盤史としては、1958年のボリス・ハイキン指揮ボリショイ劇場、ヴィシネフスカヤの名唱、1974年のショルティ/コヴェントガーデンあたりから。久しぶりにひっぱり出したのは、夕べ帰宅した深夜。それは、昨晩のメトに感動したから? 不満だったから? それは明日、お伝えする。一晩、熟考。

 

 

 

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