ワレフスカの36年ぶりの来日コンサート・ツアー、その終盤を大いに盛り上げた上野学園・石橋メモリアルホールでのリサイタルは、2010年6月5日(土)に、多くの聴衆の熱気と称賛の拍手が鳴り響く中、無事に終わった。私は、そのリサイタルを大成功へと導いた名演を支えた若いピアニスト、福原彰美の名前を生涯忘れないだろうと思う。まだ、私の中で当日の演奏の記憶が生々しい分だけ、整理されていないことが多いので、少々とりとめがないかもしれないが、感じたことを以下に記しておきたい。
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当日のリサイタルは、バッハのカンタータ第156番の「アリオーソ」で開始されたが、その最初の一音が出た瞬間、私は思わず涙をこぼしそうになった。それほどに心に響く音楽が開始されたのだった。この日、休憩時間にロビーで同じ趣旨のことを話している人がいたが、おそらく、あの日会場にいた多くの人たちが同じ思いだったと思う。あたりの気配が、瞬間で変化したのを感じた。音楽は、時として、そうしたことを可能にする。あの日、ワレフスカの演奏を隣の席で聴いていた知人のI氏が「心にしみる音楽を持っている人だ」と表現していたが、その通りだと思う。
実は、録音された音楽にも、最初の一音が出た瞬間に、ハッとして心を奪われる演奏というものがある。かつて、ワレフスカのドヴォルザーク「チェロ協奏曲」のレコードを聴いた時がそうだったし、例えばリパッティのピアノにも、そうしたところがある。それが何に由来するものなのか未だにわからないが、おそらくそれが、人間という不可思議な生きものの営みの神秘なのだろう。
福原彰美は、ワレフスカとの共演が決定していたピアニストとの演奏がうまく行かず、ツアー最終日近くなって、急遽ニューヨークから緊急帰国して最後のいくつかのリサイタルだけ参加したピアニストだ。代役である。私は初めて聞く名前だったが、ワレフスカから出た名前だと聞いていたから、既に何度も共演しているのかと思ったら、そうではないと主催者から聞かされて驚いた。演奏会終了後の会食で福原自身が私に語ったところによれば、ニューヨークで、先月、一度だけショパンのチェロソナタの伴奏で合わせたことがあっただけだという。それに続けて福原は私に、こんなことを語った。きちんとメモを取ったわけではないので、少し違うかもしれないが――
「ワレフスカさんの音楽に触れた瞬間、こんな音楽の世界があったのか、と衝撃を受けました。それは今までに体験したことのない感覚でした。ワレフスカさんの世界に必死で随いて行って、不思議な充実感を味わいました。」
――確か、そんな話だったと思う。私は、そのほんの2時間ほど前に終えたばかりのリサイタルでの、ワレフスカと福原の素晴らしいデュオを思い出しながら、納得してその話を聞いた。
すべて、めぐり合いである。ワレフスカが困り果てて、共演のピアニストをどうしようかと思った時、ふっと思い出したのが福原だったというのも、理由は同じだろう。相性とはそういうものだ。降りたピアニストが言っているような、日程がきつかったとか、入念なリハーサルを行う時間が足りなかったとかいうことではない。
福原彰美は1984年大阪生まれだから、まだ26歳という若さだ。1999年に渡米し、現地の高校に通いながらサンフランシスコ音楽院のマック・マックレイ教授に師事。既にアメリカ国内のコンクールで数々の受賞をして、将来を嘱望されている。プラッツから既に2枚のCDを発売している。1枚目は渡米前のデビュー・リサイタルのライヴだそうで、それは聴いていないが、2001年8月に夏季休暇中に一時帰国してセッション録音したセカンドアルバムがワレフスカのCDと並んで会場ロビーで売られていたので購入して帰った。今から9年ほど前、福原がまだ17、18歳頃の録音である。
実は、今日、そのCDを初めて聴きながら、この稿を書いている。もう2周目が終わりそうだが、急に思い立って福原のことを書きたくなったのは、このCDの力である。福原のCDもまた、最初の一音で私の心を捉えてしまった。
最初の曲はショパン『舟唄 嬰ヘ長調 作品60』。私は、これほどに深い愁いと翳りを若くして持っているピアニストを、他に知らない。ちょっと記憶を辿ってみたが、初めてのような気がする。これは、奇跡といってもいいような稀有な例だと思う。福原の音楽に対する俊敏な感応性は特筆されるもので、これがあったからこそ、ワレフスカという「大きな」音楽との共演が成功したのだと確信した。少々失礼な言い方かもしれないが、17歳の少女の音楽とは信じられない。私は、半世紀にひとり現れるかわからない稀有な才のピアニストだと直感した。
こうした才は、音楽ビジネスのつまらない部分に足元を取られる気づかいはないと信じているが、福原には、自身の内にある音楽の心を、自由に解き放ち続けて行って欲しいと思っている。福原の音楽世界には、独特の畏怖の感覚があり、それが濃密な雰囲気を生み出す源泉にもなっているのだが、どんな世界も、必ず、はるか遠くに光が差し込んでいるはずで、その光への希求が、音楽を前進させる力なのだと、私は信じている。そうした「突き抜ける何か」をしっかりと見失わないで見つめ続けて欲しい。それが、半世紀ほど様々な演奏家の音楽を聴き続けてきた私が、福原彰美に願うことである。
またひとつ、希望の星を見つけた。
[参考]
私が購入した福原彰美のCDは、下記アドレスにアクセスすればアマゾンの該当項目にアクセスします。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3-%E8%88%9F%E6%AD%8C-%E7%A6%8F%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E7%BE%8E/dp/B00005YUVE/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1275966909&sr=1-1
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当日のリサイタルは、バッハのカンタータ第156番の「アリオーソ」で開始されたが、その最初の一音が出た瞬間、私は思わず涙をこぼしそうになった。それほどに心に響く音楽が開始されたのだった。この日、休憩時間にロビーで同じ趣旨のことを話している人がいたが、おそらく、あの日会場にいた多くの人たちが同じ思いだったと思う。あたりの気配が、瞬間で変化したのを感じた。音楽は、時として、そうしたことを可能にする。あの日、ワレフスカの演奏を隣の席で聴いていた知人のI氏が「心にしみる音楽を持っている人だ」と表現していたが、その通りだと思う。
実は、録音された音楽にも、最初の一音が出た瞬間に、ハッとして心を奪われる演奏というものがある。かつて、ワレフスカのドヴォルザーク「チェロ協奏曲」のレコードを聴いた時がそうだったし、例えばリパッティのピアノにも、そうしたところがある。それが何に由来するものなのか未だにわからないが、おそらくそれが、人間という不可思議な生きものの営みの神秘なのだろう。
福原彰美は、ワレフスカとの共演が決定していたピアニストとの演奏がうまく行かず、ツアー最終日近くなって、急遽ニューヨークから緊急帰国して最後のいくつかのリサイタルだけ参加したピアニストだ。代役である。私は初めて聞く名前だったが、ワレフスカから出た名前だと聞いていたから、既に何度も共演しているのかと思ったら、そうではないと主催者から聞かされて驚いた。演奏会終了後の会食で福原自身が私に語ったところによれば、ニューヨークで、先月、一度だけショパンのチェロソナタの伴奏で合わせたことがあっただけだという。それに続けて福原は私に、こんなことを語った。きちんとメモを取ったわけではないので、少し違うかもしれないが――
「ワレフスカさんの音楽に触れた瞬間、こんな音楽の世界があったのか、と衝撃を受けました。それは今までに体験したことのない感覚でした。ワレフスカさんの世界に必死で随いて行って、不思議な充実感を味わいました。」
――確か、そんな話だったと思う。私は、そのほんの2時間ほど前に終えたばかりのリサイタルでの、ワレフスカと福原の素晴らしいデュオを思い出しながら、納得してその話を聞いた。
すべて、めぐり合いである。ワレフスカが困り果てて、共演のピアニストをどうしようかと思った時、ふっと思い出したのが福原だったというのも、理由は同じだろう。相性とはそういうものだ。降りたピアニストが言っているような、日程がきつかったとか、入念なリハーサルを行う時間が足りなかったとかいうことではない。
福原彰美は1984年大阪生まれだから、まだ26歳という若さだ。1999年に渡米し、現地の高校に通いながらサンフランシスコ音楽院のマック・マックレイ教授に師事。既にアメリカ国内のコンクールで数々の受賞をして、将来を嘱望されている。プラッツから既に2枚のCDを発売している。1枚目は渡米前のデビュー・リサイタルのライヴだそうで、それは聴いていないが、2001年8月に夏季休暇中に一時帰国してセッション録音したセカンドアルバムがワレフスカのCDと並んで会場ロビーで売られていたので購入して帰った。今から9年ほど前、福原がまだ17、18歳頃の録音である。
実は、今日、そのCDを初めて聴きながら、この稿を書いている。もう2周目が終わりそうだが、急に思い立って福原のことを書きたくなったのは、このCDの力である。福原のCDもまた、最初の一音で私の心を捉えてしまった。
最初の曲はショパン『舟唄 嬰ヘ長調 作品60』。私は、これほどに深い愁いと翳りを若くして持っているピアニストを、他に知らない。ちょっと記憶を辿ってみたが、初めてのような気がする。これは、奇跡といってもいいような稀有な例だと思う。福原の音楽に対する俊敏な感応性は特筆されるもので、これがあったからこそ、ワレフスカという「大きな」音楽との共演が成功したのだと確信した。少々失礼な言い方かもしれないが、17歳の少女の音楽とは信じられない。私は、半世紀にひとり現れるかわからない稀有な才のピアニストだと直感した。
こうした才は、音楽ビジネスのつまらない部分に足元を取られる気づかいはないと信じているが、福原には、自身の内にある音楽の心を、自由に解き放ち続けて行って欲しいと思っている。福原の音楽世界には、独特の畏怖の感覚があり、それが濃密な雰囲気を生み出す源泉にもなっているのだが、どんな世界も、必ず、はるか遠くに光が差し込んでいるはずで、その光への希求が、音楽を前進させる力なのだと、私は信じている。そうした「突き抜ける何か」をしっかりと見失わないで見つめ続けて欲しい。それが、半世紀ほど様々な演奏家の音楽を聴き続けてきた私が、福原彰美に願うことである。
またひとつ、希望の星を見つけた。
[参考]
私が購入した福原彰美のCDは、下記アドレスにアクセスすればアマゾンの該当項目にアクセスします。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3-%E8%88%9F%E6%AD%8C-%E7%A6%8F%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E7%BE%8E/dp/B00005YUVE/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1275966909&sr=1-1
僕のブログ(URL欄参照)からもリンクさせていただきました。
点と点がつながって形になった今回のワレフスカさんの来日、これからも、すてきな様々な点とつながっていくことを願っています。
私の中では、今これを弾かせたら日本一…と言われているピアニストの方よりも、心惹かれた演奏でした。
2011年12月21日のリサイタルより、アンコール演奏「樅の木」を、当方「写録」の録音サンプルとして公開させていただいております。
http://soundcloud.com/486recordings/sibelius-the-spruce-op-75-5
当日、足を運べなかった方々にもお聴きいただければとコメントいたしました。