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モーツァルト「ホルン協奏曲」、新情報で書かれた曲目解説

2009年06月08日 18時16分46秒 | ライナーノート(日本クラウン編)



 以下は、先日、アラン・シヴィルによるモーツァルト「ホルン協奏曲」のCDのライナーノートを掲載したので思い出したものです。日本クラウンから、「英ASV」が発売されていた頃、日本版のライナーノート用に執筆したものです。
 シヴィル盤は、東芝EMIが「演奏論」だけを依頼してきたものだったので、実際にCDが発売されたとき、併載されていた別の方が執筆した既存原稿の曲目解説が古い情報のままだったのに驚きました。
 当時、モーツァルトの情報は、随分新しいものに塗り変わっていました。それは、今でも変わりませんが、レコード会社では、案外、旧説で書かれた曲目解説をそのまま使ったり、新しく書かれた解説も、昔からある「名曲解説」の焼き直しだったりが、往々にして数多く見受けられるのです。
 今でも信頼している友人ですが、日本クラウンのディレクター氏は真面目な人ですから、恐縮して、最新の情報で曲目解説を新たに書いて欲しいと言われました。でも、それが当たり前なのです。
 そうして出来上がったのが、1991年8月に書かれた以下の「曲目解説」です。当時、まだ、日本語文献は限られていましたが、なんとか最新情報で書き上げました。その後、更に新しい発見があったか、詳細はわかりませんが、それよりなにより、最近、未だに、大昔の情報で曲目解説が掲載されているのをみかけて、愕然としました。「クラシック音楽」は「古典」だから、何十年も昔の本に書いてあることから、少しも変わっていないと思い込んでいる人がいるのでしょう。

 というわけで、以下は、1991年時点での「最新情報」で書き下ろされたモーツァルト「ホルン協奏曲」の解説です。まだ、使用に耐えると思いますので、曲目解説に関しては、引用使用はご自由にどうぞ。
 なお演奏は、原稿後半の演奏論にもあるように、アレクサンダー・シュナイダー指揮ヨーロッパ室内管弦楽団、ホルン独奏はジョナサン・ウイリアムズです。

■ライナー・ノート

《作品について》
 モーツァルトによってホルンのために作曲された作品は、わずか6曲にすぎない。それを列記すると、次のようになる。
 「ホルンのためのコンサート・ロンド 変ホ長調K.371」
 「ホルンと弦楽のための五重奏曲 変ホ長調K.407」
 「ホルン協奏曲第一番 ニ長調K.412」
 「ホルン協奏曲第二番 変ホ長調K.417」
 「ホルン協奏曲第三番 変ホ長調K.447」
 「ホルン協奏曲第四番 変ホ長調K.495」
 このほか、「協奏曲」の断片の存在が知られており、K.494aのケッヘル番号が与えられている。
 これらはモーツァルトがザルツブルク大司教と決裂して旅に出て、今日風な言い方をすれば、フリーランスの音楽家となってウィーンに定住した1781年以降の、いわゆる〈ウィーン時代〉に作曲されており、すべて、モーツァルトの年長の友人でホルン奏者だったヨーゼフ・イグナーツ・ロイトゲプのために書かれている。
 ロイトゲプは1732年にウィーンに生まれた人物で(一説では1745年ザルツブルク生)、1763年頃からザルツブルク宮廷管弦楽団のホルン奏者となったといわれている。もちろんモーツァルト父子との交流はこのころからだが、モーツァルトがザルツブルクを後にして旅に出た1777年に、ロイトゲプもザルツブルクの職を辞して、いちはやくウィーンに移り住んだと言われている。妻の実家であるチーズ屋の商売を継いだが、演奏活動は続けていたようだ。あるいは、続けたいという意志があったのか、ウィーン移住直後に、父親を通してモーツァルトに「協奏曲」の作曲を依頼している。結局それは四年後、モーツァルトがウィーンに定住してロイトゲプとの交友が復活してから実現することとなったわけだ。
 このロイトゲプについては、「いたましいくらいに教養に欠けた音楽家」と表現する研究者の記述もあり、モーツァルト自身も親しみを込めて「愚かなロイトゲプに哀れみを垂れて」と「ホルン協奏曲第二番」の譜面に書き込んだりしているが、ホルンの腕前の方はなかなかの物だったようだ。当時の著名な作曲家ディッタースドルフは「類まれなヴィルトゥオーゾ」と称賛している。下品な冗談を連発するかなり風変わりな楽しい人物で、ウィーンで次第に経済的に困窮していくモーツァルトを、資金援助はとても出来なかったが、精神的孤独から救っていた好人物であったようだ。モーツァルトは、かなり頻繁にロイトゲプの家を訪ねていっており、その死の直前まで一緒に食事をするなど家族同様の親交を続けていたことが、モーツァルトの残した手紙からも確認されている。今となっては、このかなり歳の掛け離れた二人の友情がどれほど親密なものであったか、詳しく知ることはできないが、モーツァルトの死後、演奏活動を休止し、1811年にその長い生涯を終えるまでチーズ業に専念したという事実は、この音楽家のモーツァルトへの友情の深さを象徴しているようにも思える。
 以下に、このCDに収録された四つの協奏曲についての簡単な解説を記した。(収録順)

◇「ホルン協奏曲第一番 ニ長調K.412」
 他の3曲は3楽章構成の作品として完成しているが、この「第一番」だけが未完だ。このため、中間の緩徐楽章のない2楽章という変則的な形で古くから演奏され、今日に至っている。作曲年も長い間不明とされ、これまで、いささか乱暴な推定によって第一楽章が1782年に、第二楽章が1787年にそれぞれ書かれたとされていたが、近年、イギリスの学者アラン・タイソンによる科学的な推定法(自筆譜の使用紙を全てベータ線照射により分類整理し、年代の確定しているものと比較していく方法)によって、その作曲年がほぼ確定した。それによると、第一楽章は最も早くても1786年以降に着手され、完成したのはモーツァルトの死の年である1791年だという。それも最晩年の「魔笛」や未完となった「レクイエム」と平行して書かれていた可能性があるというのだ。そして、第二楽章は草稿のまま未完で終わってしまった。
 第二楽章の草稿とは別に、一部を改作した明らかに同じ作品の「第二楽章」の完成稿が他人の筆跡であることは、二十年ほど前から知られていたが、これが「レクイエム」の補筆完成も行ったモーツァルトの生徒ジュスマイアーによるものであったことも判明した。補筆が終了したのはモーツァルトの死の翌年1792年で、この時、決して才能が豊かとは言えないジュスマイアーによって、第一楽章では使用されているファゴットの登場しない第二楽章が出来上がってしまった。その他にもモーツァルトの作品としては問題となる箇所があるが、この二つの楽章を一つながりの曲として通して演奏するのが通例となっている。 いずれにしても、おそらくは死を予感していただろう最晩年のモーツァルトが、シュタートラーに「クラリネット協奏曲」を、シカネーダーに「魔笛」をと、次々に、中断していた身近の悪友たちからの依頼作を完成していったなかで、ロイトゲプにももう一作残そうとして果せなかった未完の作であることは間違いないことのようだ。オーケストラ編成はオーボエ2、ファゴット2(第一楽章のみ)、弦楽5部。
 第一楽章 アレグロ
 第二楽章 ロンド、アレグロ

◇「ホルン協奏曲第四番 変ホ長調K.495」
 この曲は1786年6月26日に完成している。「ピアノ協奏曲」の分野では「第23番」が完成した年だ。楽曲規模の点では「ピアノ協奏曲」ほどではなく、ずっと簡素な作品だが、この三年前に書かれた「K.417」よりもオーケストラと独奏ホルンとの関係が緊密になっており、このころのモーツァルトのスタイルを示す作品となっている。終楽章は、他の「ホルン協奏曲」と同様、当時人気のあった〈狩の角笛〉の音型が用いられ、活発な雰囲気を形作っている。オーケストラ編成はオーボエ2、ホルン2、弦楽5部。
 第1楽章 アレグロ・モデラート
 第2楽章 ロマンツェ、アンダンテ
 第3楽章 ロンド、アレグロ・ヴィヴァーチェ

◇「ホルン協奏曲第二番 変ホ長調K.417」
 この曲は1783年5月27日に完成した。今日の研究成果では、4曲の協奏曲のうち、最も早くに書かれたものとされている。完成した3曲のなかでは一番規模が小さい曲だ。オーケストラ編成はオーボエ2、ホルン2、弦楽5部。
 第1楽章 アレグロ・マエストーソ
 第2楽章 アンダンテ
 第3楽章 ロンド・アレグロ

◇「ホルン協奏曲第三番 変ホ長調K.447」
 この曲の作曲年も、前述のアラン・タイソンの研究によって、これまで1783年頃と推定されていたものが、1787年から1789年の間であろうと推定され直している。完成した3曲中、最も充実した書法で展開されており、豊かな楽想にあふれた佳曲だ。オーケストラ編成はクラリネット2、ファゴット2、弦楽5部。
 第1楽章 アレグロ
 第2楽章 ロマンツェ、ラルゲット
 第3楽章 アレグロ

 最近の研究成果に従ってこれら4曲を改めて作曲順に並べ直すと以下のようになる。
 「ホルン協奏曲第二番 変ホ長調K.417」
 「ホルン協奏曲第四番 変ホ長調K.495」
 「ホルン協奏曲第三番 変ホ長調K.447」
 「ホルン協奏曲第一番 ニ長調K.412」

《演奏について》
 モーツァルトのホルンのための作品は、そのいずれもが、依頼者のロイトゲプの人柄を反映しているのか、明朗な快活さにあふれている。それがイギリス系の奏者のくっきりとして、のびやかな音楽とよく合うのだろうか、この曲のレコーディング演奏にはイギリス系のホルン奏者による名演が数多くある。
 自動車事故で36歳で急死したデニス・ブレインをはじめとして、アラン・シヴィル、バリー・タックウェルなど、いずれもフィルハーモニア管、ロイヤル・フィル、ロンドン響など、イギリスを代表するオーケストラの主席ホルン奏者を務めた名手によるものだが、ここにまた一枚イギリス系の名演が加わった。
 だが、このCDの演奏の特徴は、アレクサンダー・シュナイダーの指揮するオーケストラによるところが大きい。音色的には前述の三人ほど個性的な魅力をもったものではないウィリアムズのソロを支えて、シュナイダーは、その包容力のある豊かな音楽性で、流麗な心地よさを実現している。時折モーツァルトが冗談のように放り込んだぎくしゃくしたパッセージの扱いも、その存在を強調しながらもよく全体に融け込んでいる。その珠のように転がる自在な流れは、拍節感の明瞭な軽やかさによって確保されたもので、特に「第3番」のようによく書き込まれた曲ほど、その見通しのよいオーケストラ・ドライブのなかにソロパートを取込んで、アンサンブルの奥行をいっそう深いものに仕上げている。その高く大空に飛翔していくような澄んだ響きの美しさは、正にモーツァルトの音楽の持つ純心な美しさの音化と言えるだろう。

 アレクサンダー・シュナイダーは1908年にハンガリーのヴィルナに生まれた。ナチスの台頭を避けて1933年にアメリカに渡り、ブダペスト弦楽四重奏団の第二ヴァイオリニストとして同四重奏団の解散('69年)まで活動したが、カザルスの主宰するマールボロ音楽祭などで指導的役割を果し、指揮活動も行うようになった。このCDのヨーロッパ室内管との関係も深い。
 ソロを吹いているジョナサン・ウィリアムズは、ブレインが事故死した1957年にイギリスのハートフォードシャーに生まれて、マンチェスターの王立音楽院で学んだ人で、ソリストとしての活動のほか、1982年からは、このヨーロッパ室内管弦楽団の主席ホルン奏者としても活躍している。
 ヨーロッパ室内管弦楽団は1981年に若い音楽家たちによって結成された団体で、芸術顧問のクラウディオ・アバドほかの指導でトップレベルの室内管弦楽団に成長した。



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