竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

リカルド・オドノポゾフというヴァイオリニストとドイツ・シャルプラッテンに、接点はあるのか? という話

2014年06月17日 10時31分10秒 | エッセイ(クラシック音楽)

 このところ、ちょっと必要があって我が家にあるシューベルトの器楽曲のコレクションを振り返っていて、以前から気になったまま放置していたことを、ひとつ思い出した。それが、冒頭に掲げた写真のCDである。「Marchenbilder」(aにはウムラウトが付くが、私のパソコン環境では簡単に出せないのでご勘弁)と大書され、これはしばしば「おとぎの絵本」といささか外れた訳題が与えられているシューマンの作品113(「メルヘン風の挿画」とでも訳すか)のタイトルだが、その下に書かれた「ロマンティック室内楽曲集」の通り、そういうコンセプトの2枚組CDアルバムだ。シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスの曲を収めている。この中のシューベルト作品を演奏しているヴァイオリニスト、リカルド・オドノポゾフについて書いた短文で、このアルバムを紹介したことがある。
 それは、もう15年ほども前の『クラシックの聴き方が変わる本』(洋泉社)というムック中の「演奏家たちの歳のとり方」というエッセイの一部分だったが、一昨年刊行した私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア)に再録した時に、慌しく編集作業をしていたため、初出時に字数制限で注記できなかったままのものを、ふたたび、そのままにしてしまっていたことを思い出したのだ。
 以下、その短文の再掲載と、とりあえずの注記、そして、追記である。

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■飛ぶ空がなくなった「能ある鷹」
――リカルド・オドノポゾフ(vn)

●シューベルト:ヴァイオリン・ソナタ イ長調、幻想曲ハ長調/エドゥアルト・ムラツェク(pf)[独ART:0029252ART]a.1972
●ガーシュウィン(ハイフェッツ編曲):《ポーギーとベス》組曲/ハンス・リヒター・ハーザー(pf)[独BAYER-DACAPO:BR200-004CD]1953

 1914年生まれのオドノポゾフは、34年には若くして、クレメンス・クラウスの推薦でウィーン・フィルのコンサート・マスターに就任した。だが、シュナイダーハンとの第1コンサート・マスター争いに破れ、37年にウィーン・フィルを去ってアメリカにわたり、56年まで、ニューヨークを本拠地に活躍した。アメリカは必ずしも、オドノポゾフの音楽傾向が深く理解される環境ではなかったようで、56年から再度ウィーンに戻り、ウィーン音楽アカデミーの教授として後進の指導にあたった。オドノポゾフが、ウィーン・フィルの第1コンサート・マスター争いに破れた背景には、おそらく、ヴァイオリン奏法の上での、当時のウィーンの主流のスタイルとのズレがあったものと思われるが、アメリカにわたった彼は、そこでもまた、文化伝統とのギャップに悩まされたようだ。結局、演奏家として第一線での活躍の機会を逃したまま、全盛期を過ぎてしまったオドノポゾフ。そういう不運な人の美しい歌がシューベルトだ。

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 ここまでが、再録の短文。以下、注記と追記。
 まず、シューベルトの曲名、「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」だが、これは、このCDの表記をそのまま和訳したもので、ここで演奏されているのは、最近は「二重奏曲」(デュオ)と表記されている作品である。
 次に、レーベルを「独ART」と書いているが、写真にも写っているように赤いロゴマークは確かにその通りだが、盤面や○P表示などを見ると「edel company」とある。1995年製造のドイツ盤。つまり東西ドイツの統一後の製品だ。そして、その当時から気になっていたのが、この録音の原盤ソースがどこなのか、である。これは、70年代のレコード目録を丹念に見るのを怠けているので、まだわかっていない。ただ、つい最近、たまたま、カップリングされているシューマン「チェロとピアノのための民謡風の5つの小品 op. 102」の演奏者が無記載だったのが気になって、いっしょにカップリングされている「op. 113(おとぎの絵本)」を曲名+演奏者でドイツのアマゾンでチェックして、当たりを付けて意外なところに行き着いた。両曲ともに収録されたエテルナのレーベルのCDが出ていたのだ。演奏時間が一致するから、この演奏者で間違いない。
 それで、一気に連想風に思い出したのが、キングレコードから「ハイパー・リマスタリング」シリーズで7年前に発売された「ドイツ・シャルプラッテン」レーベルの「シューマン室内楽曲集」。ひっぱり出して見てみたら、やはり、作品113、102とも同じ演奏だった。「灯台下暗し」である。演奏家がわからないと思ったまましまい込んでいたCDが、数年前から私の手元にある盤と同一だったというわけだ。どちらの曲もピアノがアマデウス・ウェーバージンケ、チェロがユルンヤーコブ・ティム、ヴィオラがディトマール・ハルマンという陣容である。
 ということは、1995年の「ART」というロゴで発売されたオドノポゾフの演奏も、東側の録音だった可能性が出てきた、というわけである。たしか、ヨーロッパに戻ったオドノポゾフは、最晩年に因縁のウイーン・フィルから名誉団員の称号を受けたはずだが、1971~72年あたりに、東側での録音を残す機会があったということなのか。またひとつ、調べなくてはならないことが増えてしまった。このヴァイオリニストについては、以前にも、ウィーンの演奏スタイルの変遷史の中にきちんと置いて考えてみたい演奏家のひとりだと、どこかに書いたままにしていたことまで思い出してしまった。クーレンカンプやシュナイダーハンよりも、その、時代とのギャップの在り様で、興味深いことが出て来そうな予感がするのだが…。
 オドノポゾフに、話題を戻そう。オドノポゾフの「デュオ」は、例えば、グリュミオーとヴェイロン=ラクロワとの堂々たる演奏に較べて小ぢんまりした世界なのだが、「かつて」の、軽やかな音楽の、心地よい幸福が残された世界が味わえる。それは、このドイツ・シャルプラッテン盤のいわゆるライプチッヒゆかりの演奏家で固められた「シューマン室内楽曲集」についても言えることで、一種のタイム・カプセルを開いたかのごとき体験が得られる演奏と言っていいだろう。じつに居心地のよい音楽が展開されている。
 ちなみに、この「edel company」あるいは「ART」というレーベル、キングのハイパー・リマスタリングに対抗しうる高音質で、その、芯のしっかりとした温かな音が魅力だ。おそらく、かなりいい状態のマスターを使用している。決して怪しげなレーベルではない。――私が、このCDの価値を知らないだけなのかも知れない。確か、私の記憶では、このCDは、当時、渋谷のHMVに居た板倉重雄氏にオドノポゾフを探していると言った時に、強力に勧められて購入したはずだ。
 懐かしい店のことまで、思い出してしまった。きょうは、このところネット検索ばかりしている自分を、少々反省した。




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