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アルバン・ベルク:『ヴァイオリン協奏曲』の名盤

2011年01月05日 11時37分40秒 | 私の「名曲名盤選」



 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第53回」です。本日が最終回です!


◎アルバン・ベルク:「ヴァイオリン協奏曲」

 調性感の喪失と獲得との間で交わされるドラマ――いわば、人間の顔をした十二音技法を、どのように表現するかが、この曲の演奏の聴きどころだ。
 そうしたこの曲の本質を、周到な準備の末に、しかし最終的にはほとんど直感的に掴んで実現している一九三六年の古い録音が、突然CDで登場した。初演のわずか十二日後に初演者のルイス・クラスナーの独奏、アントン・ウェーベルン指揮BBC響で行われた演奏会の録音だ。クラスナーが保管していたアセテート盤から作られたこのCDは、かなり音質的にも改善され、クラスナーの回想の言葉を借りれば、「最高の霊感を受けた瞬間の再創造」を聴くことができる。それは第一楽章のアレグレットに入った部分の足どりを聴いただけでも、これが〈ある特別な日〉の〈選ばれた人々〉による演奏であることが納得できる。この曲はここから出発し、未だにさまよい続けているのだ。
 その後の演奏では、まずスーク/アンチェル盤を挙げたい。この音楽が持っている豊かな色彩感やイメージを、インスピレーションに溢れたみずみずしさと、的確な節度を保った歌心を持込んで描くことに成功した名演だ。
 また、バルトークと親交のあったジェルトレル/クレツキー盤も、豊かで大胆な感情表出だが、枠組みがしっかりしている。よく整えられたオーケストラとやりとりするジェルトレルの即興的な呼吸も良い。
 このクラスナー/ウェーベルンの世界に共通する面を持った2種の演奏は、現在いずれも廃盤だが、そうした精神を、我々の日常に近いところに引き寄せた最新の演奏がツィンマーマン/ジェルメッティ盤だ。
 一方、メニューイン/ブーレーズ盤は、精緻なオーケストラで、この曲から、揺れ動く精神の波動を奪い去ってしまったが、ひとつの可能性を示唆する演奏ではある。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 この原稿が最初に『レコード芸術』誌に掲載された時は、冒頭で触れたクラスナー盤は未発売だったので、スーク盤から書き出しています。ムック化されたレコード芸術・編の『名盤300』も同文のままです。クラスナー盤についての記述は、洋泉社から出版された『コレクターの快楽』に収録する際に書き加えたものです。クラスナー盤を聴くことで、むしろその後の演奏の流れが見えてきた思いがしたのを覚えています。
 ツィンマーマン盤は、あくまでも「代用品」です。それは強調しておきます。スーク盤、ジェルトレル盤ともCD化されましたし、それが今カタログから消えていても、執念で世界中の市場をネットサーフィンすれば、それほど高価でなく入手できるはずです。便利な時代です。
 さて、その後の演奏としては、チョン・キョンファ盤はちょっと方向に疑問があります。むしろ、ウルフ・ヘルシャーと若杉弘/ケルン放送響との録音は、過渡期のスタイルの演奏として、感情の表現に傾聴させられたのを記憶しています。この曲が抱えている「悲しみ」が多分に時代精神を孕んだものであるだけに、現代に生きる私たちの中からは、しばらくはメニューイン/ブーレーズ盤の延長上の佳演を探すしかないのかとも思っていますが、さて――。何か、興味深い演奏をご存知の方、コメントをお待ちします。

 

【「付記」の「付記」】

 この項の下の「コメント」の右側「(1)」とあるところをクリックすると「かいこ」というタイトルのコメントがあります。そのコメントをくださった方が、時系列を少々誤認なさっているようなので、詳しくご説明します。

 この「私の〈名曲名盤選〉」というカテゴリーは、全体として、私の「第一評論集」である洋泉社発行の『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』の一部を転載したものです。1994年に発行されたもので、その時点で加筆・訂正された決定稿です。以前から様々なところに書いていることですが、私は20年以上も前に書いた文章でも、その観点の根幹には何も変更を加える必要がないと自負していますから、このブログへの転載にあたっても、元の文章はまったくいじらずに、必要なことを加筆しています。

 ただ、洋泉社の著書に収録して「決定稿」とするにあたっては、音楽の友社の「レコード芸術」1990年8月、9月号のために寄稿した文章も含めて、さまざまな機会に執筆した文章が集められ吟味されました。私の「ベルク《ヴァイオリン協奏曲」についての文もそのひとつで、1990年に書いたものが、そのまま1993年5月発行の『名曲名盤300』に収録されたのです。再収録にあたって、5人の選者の内、選定の「コメント」を執筆せず、ただ点数だけを付けているお二人は、月刊の新譜紹介雑誌「レコード芸術」の執筆担当者でしたから、1990年8月から93年5月までに発売された「CD」も含めて、点数の付けなおしをしていると思います。

 ちなみに、クラスナー独奏ウェベルン指揮の1936年に録音されたこの演奏は、このCDの英文解説の全訳にも詳しく書かれていますが、1991年になって初めて、世界中で市販された音源です。日本での発売は1992年1月でした。「名曲名盤300」に収録された私たち3人のコメント執筆は1990年9月号のためのものですから、1990年6月には書き終えているのです。私はその後、当時の「レコード芸術」誌と疎遠になりましたから殊更に加筆・訂正のお話がなくて当然ですが、この「300」発売時に同誌編集部とまだ交流のあった友人で執筆者だった評論仲間からも加筆・訂正で大変だったという話は出ませんでしたから、CD番号の訂正などが主な変更だったのだろうと思います。コメントを寄せている中では渡辺和彦氏の選択理由が興味深いですね。彼が93年に執筆したなら「クラスナー盤をバッサリと切ったかなァ」などと思ったりもしました。

 いずれにしても、久しぶりに、ベルクのこの曲を、ゆっくり聴きなおしてみたくなりました。

 

 

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コメント
 
 
 
Unknown (かいこ)
2019-08-06 04:45:46
名盤300はクラシックを聴き始めた頃に発売されたので何度も読み返し購入の参考にしていました。

今では多くの人が第一に推すクラスナー盤も名盤300で推薦しているのは宇野氏だけのようですね。他の選者はクラスナーを聴かないで原稿を書いたか、聴いたけれどベスト3に入るほどの演奏とは思わなかったということなんでしょうけど、どちらにしても驚きです。
ただ貴殿の場合はクラスナーを聴いてその演奏を認めながらも過去の原稿を流用したということでしょうか?なるほど様々なケースがあるのですね。
 
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