竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

第2次大戦後のイギリス青少年管弦楽団(ナショナル・ユース・オーケストラ)の歩みを聴く

2013年10月17日 12時35分09秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、第二次大戦後のイギリスの音楽状況の流れをトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 ――と、いつも繰り返し掲載しているリード文に続けて、以下の本日掲載分は、同シリーズの99枚目。

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【日本盤規格番号】CRCB-6111
【曲目】エルガー:「行進曲《威風堂々》第4番」作品39
    ブリテン:組曲「ソワレ・ミュージカル」作品9
    ドビュッシー:「交響詩《海》」
    ホルスト:「組曲《惑星》」作品32より~第4曲「木星」
    シベリウス:「交響詩《大洋の女神》」作品73
    ガーシュイン:「パリのアメリカ人」
【演奏】レジナルド・ジャック、ワルター・ジュスキント、
    ピエール・ブーレーズ、クリストファー・シーマン、
    マーク・エルダー、ポール・ダニエル(各、指揮)
    イギリス青少年管弦楽団
【録音日】1948年4月21日、1959年8月22日、1971年8月23日、
     1977年8月20日、1989年8月6日、1996年8月10日

■このCDについて
 このアルバムは、1948年4月21日に最初の演奏会を行ったイギリスの青少年管弦楽団の結成50周年を記念するもの。その第1回の演奏会から、1996年のプロムスでの演奏までのいくつかを、時代を追って収めている。
 このイギリスの10代の少年たち多数の参加によるオーケストラからは、やがてイギリスを代表する各オーケストラの首席奏者たちが毎年のように生まれており、イギリスの音楽文化を支える重要な事業として定着している。1955年からは、毎年、ロンドン名物のプロムナード・コンサート(プロムス)期間中のゲストとしても登場し、その成果を披露している。1977年の録音で当時22歳のサイモン・ラトルがストラヴィンスキー『春の祭典』を指揮しているのも、このオーケストラだ。(CDが日本クラウンから発売されている。)
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 第1回の演奏会は第2次世界大戦前からオックスフォード管弦楽団などでの指導歴の長かったレジナルド・ジャック(1894~1969)が指揮台に立った。ここに収録された曲目「威風堂々第4番」は、おそらく最初の演奏曲ではなかったと思われる。記念すべき瞬間の記録だ。
 ブリテンの「ソワレ・ミュージカル」を指揮しているワルター・ジュスキント(1918~1980)は、プラハに生まれ1938年にナチスを逃れてイギリスに亡命した。戦後スコティッシュ・ナショナル響の指揮者をしていたが、この青少年管弦楽団を指揮した1959年当時は、カナダのトロント響の指揮者ではなかったかと思う。手堅い指揮ぶりで定評があるから、若い音楽家の指導にも手腕を発揮したのかもしれない。1971年の青少年国際音楽祭管弦楽団を指揮してのドヴォルザーク「交響曲第8番」がLP録音されて市販されたこともある。
 このCDでの一番の魅力が、ピエール・ブーレーズ(1925~ )率いる1971年の録音だ。フランスの前衛作曲家として著名だったブーレーズが指揮活動を活発に行い始めたのは50年代の終わり頃からだが、クリーヴランド管弦楽団の常任指揮者を経て、ニューヨーク・フィルの常任指揮者とBBC交響楽団の首席指揮者に就任したのが、この1971年だ。指揮者としての活動が最も充実していた時期のこの録音は、オーケストラの奏者たちの張り詰めた緊張感とともに、ブーレーズのドビュッシー像が、極めて鋭く抉るように細部まで捉らえられている。ここには、ほんのわずかの風のそよぎさえ見逃さずに置かない強い意志がみなぎっている。最近の手慣れた指揮ぶりを聴かせるブーレーズとは別人のようだ。こうした真剣勝負に打って出ていたブーレーズは、どこへ行ってしまったのだろうか? これはニューヨーク・フィルとの録音でも得られない、ある特別な日の貴重な記録だ。この1曲が聴けるだけでも、このアルバムの価値は永遠にあるだろう。
 ホルストの「惑星」を指揮しているのはクリストファー・シーマン(1942~ )。彼はこの青少年管弦楽団のティンパニ奏者だったという。この録音の1977年の頃はBBCスコティッシュ交響楽団の首席指揮者だった。
 シベリウスの「大洋の女神」は1989年の録音で、指揮はマーク・エルダー(1947~ )。彼も青少年管弦楽団の出身者で、ファゴットの首席奏者だった。このオーケストラも、こうして卒業生が指揮台に立つほどの歴史を重ねてきたということだ。エルダーは76年にロイヤル・オペラにデビュー以来、オペラ指揮者としてキャリアを積み、79年以降90年代に至るまでナショナル・オペラの音楽監督として活躍している。
 このアルバムの最後に収められたガーシュイン「パリのアメリカ人」を指揮しているポール・ダニエルという指揮者については、詳細がわからないが、演奏は、この曲の数多い録音の中で間違いなく優れた演奏として指を折られるものだ。音色の変化が大胆で、開放的な音楽を大きな振幅で鳴らし切っている。当夜はエドガー・ヴァレーズの作品と共に演奏されたというが、かなり意欲的な演奏会だったようだ。有能な指揮者のひとりとして、この名前を記憶に留めておきたい。

■演奏曲目についてのメモ
●エルガー:「行進曲《威風堂々》第4番」作品39
 ロマン派音楽の時代の終わり頃から今世紀にかけて活躍したイギリスの作曲家エルガー(1857~1934)は、同題の行進曲を5曲書いた。その内、最も知られているのは第1番だが、この第4番もそれに劣らない人気曲で、演奏される機会も多い。勇壮な音楽に始まり、中間部トリオには威厳に満ちた堂々たる旋律が響きわたる。この旋律がコーダに再び現われて華やかに締めくくられる。イギリス人好みの旋律の典型のひとつと言ってよいだろう。

●ブリテン:組曲「ソワレ・ミュージカル」作品9
 「セヴィリアの理髪師」「ウィリアムテル」など多くの傑作歌劇を残したイタリアの作曲家ロッシーニ(1792~1868)の残した同題の歌曲集から、今世紀のイギリスを代表する作曲家ブリテン(1913~1976)がお気に入りの3曲を選び、それに第1曲として歌劇「ウィリアム・テル」第3幕の行進曲、第5曲(終曲)にはブリテンの母親が歌っていたという「慈悲」という旋律を配して、近代的な管弦楽法で編曲した1936年、22歳の作品。もともとはバレエのための作品だったが、演奏会用組曲として出版された。題名の「ソワレ」とは日没後に開かれるパーティ=夜会の意味で使われている。姉妹作に「マチネ・ミュージカル」がある。

●ドビュッシー:「交響詩《海》」
 フランス近代音楽の巨匠ドビュッシー(1862~1918)の管弦楽曲の理想が大きく花開いた傑作として知られている。「交響詩」は便宜的に付けられたもので、ドビュッシー自身は「管弦楽のための3つの交響的エスキス」と題している。「エスキス=素描」とは言ってもドビュッシーの音楽は、当時の絵画芸術の傾向と同じく、具象的な描写の音楽ではなく、ずっと感覚的なもの。海のざわめき、海と空とを隔てる曲線、風の通り過ぎる葉陰、遠く聞こえる鳥の声などによって呼び覚まされる目や耳の感覚、そして嗅覚が得たものを、音にした作品。1903年から1905年にかけて作曲された。3つの部分からなり、それぞれに以下の標題が付けられている。
 第1部「海の夜明けから正午まで」
 第2部「波の戯れ」
 第3部「風と海との対話」

●ホルスト:「組曲《惑星》」作品32より~第4曲「木星」
 イギリス近代の作曲家ホルスト(1874~1934)の作品で最も知られた「組曲《惑星》」は、1914年から1916にかけて作曲された。当時まだ存在が知られていなかった冥王星以外の、地球を除いた太陽系の惑星のひとつひとつテーマにした7曲からなる組曲。華麗なオーケストラ曲として人気が高いが、中でも第1曲「火星~戦争を司る神」と、この第4曲「木星~喜びを司る神」が有名。第7曲「海王星~神秘を司る神」ではヴォーカリーズによる女声合唱が加わる。

●シベリウス:「交響詩《大洋の女神》」作品73
 フィンランドの作曲家シベリウス(1865~1957)は、近代の偉大な交響曲作家として7曲の交響曲を残したが、その中でも独自の書法の充実で評価の高い第4番を1911年に書き上げた後、第5番を書く1915年との間にあたる1914年に作曲された。この年シベリウスは、アメリカのノーフォーク・フェスティバルからの招待を受けて渡米し、自作の演奏旅行を行っている。初めて大西洋を越えてアメリカ大陸に向かう感激で書かれたのが、この「大洋の女神」。さっそく新作としてアメリカ公演で披露された作品だ。演奏会を大成功させて故郷へと帰る船中で、シベリウスは、ヨーロッパが第1次世界大戦に突入したことを知る。そうした時代の作品だ。

●ガーシュイン:「パリのアメリカ人」
 ガーシュイン(1898~1937)は、ヨーロッパから独立したアメリカが、その独自のニュアンスを持った文化を音楽の分野で初めてヨーロッパに逆発信した作曲家として、永遠に記憶される作曲家と言ってよいだろう。「パリのアメリカ人」は、1926年に3度目の渡欧でパリに滞在した折に着想された、ガーシュインにとっては初めての本格的交響楽団のための作品。パリの街の騒がしさと、その中に居るアメリカ人の憂愁が見事に描かれている。
(1998年4月21日 執筆)

《このブログへの再掲載に際しての付記》
 ポール・ダニエルという若い指揮者について言及しているのを読んで、少々気になって調べてみた。地味だが着実にキャリアを積み上げているようで、特にオペラの分野での仕事で、イギリス・ナショナル・オペラでの活躍が高く評価されているようだ。シャンドスやナクソスを中心にCDもかなりリリースしている。