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宮澤賢治が聴いていたクラシック音楽が再現された、という奇跡

2013年10月09日 16時34分14秒 | エッセイ(クラシック音楽)


 「傾聴する」という言葉がある。じっと耳を傾けて聴く、といったニュアンスだが、CD時代になって、私もさすがにいわゆる「ながら試聴」が増えてしまって、傾聴する機会をずいぶん失ってしまったように思って反省した。
 というのは、つい最近の新刊書、『宮澤賢治の聴いたクラシック』(小学館)に触れたからだ。日本女性史、それも西洋音楽受容史との接点を中心に研究を続けておられる萩谷由喜子氏による解説の冊子と2枚のCDが組み合わされたもので、CDの音源は宮澤賢治が所有、購入、鑑賞していたレコードの研究・収集をしておられる佐藤泰平氏と、SPレコードの世界的コレクター、クリストファ・N・野澤氏の所蔵品によって制作されたもの。これは、労作である。
 私自身も覚えがあるが、その昔、レコードはずいぶんの高値だった。そして、聴くのにも手間がかかった。私が小学五年生の昭和35年が、我が家はLPレコードのプレーヤーに切り替わった年のはずだが、レコードを、そっとジャケットから取り出し、ターンテーブルに乗せ、静かに針を下ろす――。それは、正に「音楽を聴く」という厳粛な儀式の開始だった。レコードは、「よし、きょうはこれを聴くぞ!」と迷いに迷った末に決めた一曲に耳傾ける、特別の時間だったのだ。
 私が幼い頃に親しんでいたSPレコードの時代は、もっと大変だっただろうと思う。宮澤賢治の生きていた時代がそうだった。
 私が中学生のときだったと思う。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んでいた時に、たしか「あ、あれは新世界交響楽だ」というセリフが出てきた。その頃、私が聴いていたのは、カレル・アンチェル指揮ウィーン交響楽団の演奏するフィリップスの10インチ盤だったが、賢治は誰の演奏で聴いていたのだろうなどという興味は、まだ持っていなかった。
 最近の私は、大正・昭和初期を中心にした西洋クラシック音楽の日本人の受容史に関心が高まったこともあって、半世紀以上聴き続けてきたさまざまな録音で残された演奏を、スタイルの変遷という視点で追うようになったので、昭和初期にレコードで聴くことができた演奏、という括り方で整理してみることも増えてきたが、この『宮澤賢治の聴いたクラシック』は、じつに興味深く、また、刺激的な内容だった。世界初CD化も多数ある。98ページの解説書とCD2枚で3000円とはありがたい。
 ベートーヴェン『運命』は、有名なニキッシュ盤ではなく、パステルナーク盤、『田園』も既に復刻のある1926年のプフィッツナー盤ではなく1923年のプフィッツナー盤と、いずれも私のこれまでの想像を覆しており、しかも、世界初CD化である。賢治がしばしば口ずさんでいたというブラームス『第3交響曲、第3楽章』のメロディは、これも世界初CDとなるストコフスキー/フィラデルフィア管の1921年録音(この楽章の旋律のさわりを、SPレコード片面3分ほどに収めた、興味深いバージョン)で聴いていたのだという。
 そして、ドヴォルザークの「新世界交響楽」は、パステルナーク指揮ビクター・コンサート管弦楽団だった。(本書では「パスターナック」と表記されているが、私は、言いなれた表現にさせていただく。)これもSP片面用の短縮版の第2楽章である。そして、この時代特有の、マイクに入る音に楽器を替えていると思われる演奏、つまり、旋律をなぞることが第一義だった時代の録音だ。だが、私は、この貧弱な「家路」のメロディを聴いているうちに、いつの間にか、賢治が聴いていたあの日、あの土地、あの空、といったものが目の前に忽然と現われてくるのを感じた。それは、奇跡とでもいうような一瞬だった、と表現しても言い過ぎではない。これには、驚いた。
 そして思ったのは、この時代の人々の音楽への傾注の凄さ。すべてを洩らさず聴こうとする集中力とは、こういうものに対して行われ、捧げられていたのだろうという思いであった。そういう音楽であり、音なのだ。
 パデレフスキーの弾くリスト『ラ・カンパネルラ』の優美な可憐さも格別だ。こんなに崩したリズムで聴くリストは久しぶりだが、これが賢治のカンパネルラかと思うと、感慨深いものがある。
 何はともあれ、これはご推薦の一書。ただし、CDを聴く際には、昔の人のように、3、4分ごと、小品は1曲ごとにポーズボタンを押し、一服するなり、コーヒーの一杯でもお飲みになって、一呼吸置くことが肝要である。
 じつはこれ、一昨年くらいだったか、日本ウエストミンスターから発売された『小津安二郎コレクション』のSPレコードを板起こししたCDを聴いたときに感じたことなのだ。
小津のお気に入りのジャズを、「便利な」CDで次々に聴かされて、疲れきってしまった時に思ったことなのだ。小津が、こんなふうに連発銃のように続けざまに聴いていたはずがない、と。そして、ハイフェッツのSP期のアンコール曲集で、同じような目に逢ったことを思い出したのだ。
 音楽を聴く緊張の時間は、3、4分ごとに休憩、なのである。

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