竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

バルビローリの南国的なブルックナー演奏で「第8」を聴く〈特異な〉体験!

2012年07月13日 11時27分54秒 | BBC-RADIOクラシックス





1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 ――と、いつも繰り返し掲載しているリード文に続けて、以下の本日掲載分は、同シリーズの89枚目。

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【日本盤規格番号】CRCB-6100
【曲目】ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調
【演奏】バルビローリ指揮ハレ管弦楽団
【録音日】1970年5月20日

■このCDの演奏についてのメモ
 このCDの演奏は、名指揮者バルビローリにとって、ロンドンの聴衆を前にした最後のコンサートの記録となったものだ。演奏が行われたのが1970年5月20日で、バルビローリが突然の死を迎えたのは、大阪万博でのコンサートを指揮するための初来日を目前にした7月29日だった。
 当CDの演奏会のプログラムは、ブルックナーの「第8交響曲」に先立って、エルガーの「序曲《南国にて》」が演奏されている。同じプログラムでハレ管弦楽団の本拠地マンチェスターでの演奏会があり、次いでイングランド北部のシェフィールドでの演奏会、そして、当夜のロンドン公演という日程だった。
 バルビローリとハレ管弦楽団とは長い付き合いで、当時は首席指揮者の地位を高齢のため退いていたが、終身桂冠指揮者の称号をこのオーケストラから受けていた。言わば、ぴったりと息のあったところを聴かせていた時期にあたる。バルビローリのファンの方ならば、すぐに気付かれたと思うが、演奏会の冒頭にエルガーの「序曲《南国にて》」が置かれているのが、いかにもバルビローリらしい。エルガーは、バルビローリが得意にしていた作曲家であり、そのエルガーのイタリア・地中海体験から生まれた「序曲《南国にて》」は、バルビローリの中にあるイタリア人の血を思い起こさせるものだ。
 「序曲《南国にて》」は、後期ロマン派的な作品ではあるが、それでも、エルガー。普通の感覚では、やはりブルックナー・サウンドとはかなり隔たりがある。だが、実際のところ、この一見奇妙な取り合わせの曲による演奏会のブルックナーは、ほんとうに〈南国的〉だ。ひとつひとつ階段を昇って行こうとせず、一気に駆け上がり、小休止ももどかしげにグイグイと突き進む。呼吸は、あくまでも大らかで開放的。全身で表現するクレッシェンドがはちきれそうだ。これならば、エルガーの「南国にて」のあとに演奏されたブルックナーは、とてもよく似合っていただろう。オーケストラも懸命に随いてくる。
 いずれにしても、実に堂々とバルビローリ流に高らかに歌い上げられたブルックナーだ。ブルックナーを聴き慣れた人ならば、第1楽章の冒頭を聴いただけで、すぐに「おや?」と思われるに違いない。地の底からじわじわと上がってくるような厳しさ、切り立った、どこかひんやりとした冷悧さが影をひそめ、バルビローリのブルックナーは、とても暖かい。いきなり高い声で歌い出されて面食らうような、陽気なイタリア人気質。バルビローリの本質は〈英国紳士〉的なものではないのだ。そのことがとてもよくわかる演奏だ。愛すべき仲間、バルビローリの遺産に乾杯! (1997.5.30 執筆)