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『女声唱歌』と『セノオ楽譜』との関連で、ひとつわかったこと。

2010年02月08日 13時54分22秒 | 「大正・昭和初期研究」関連
 昨年12月22日付けで掲載の当ブログ「『女声唱歌』と『セノオ楽譜』との間、――再説」に、一昨日寄せられたコメントは公開扱いにしましたので、ご覧になった方もおられると思いますが、以下にコメント全文を引用して、若干のご返事をしたいと思います。コメントをくださった「誠」さん、ありがとうございます。

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タイトル:お久し振りです。
名  前: (誠)
日  時:2010-02-07 11:53:08
コメント:

最近,妹尾幸陽氏に関する新しい記事がありました。
 http://www.keiogakuyukai.com/Forum-06-ozasa.htm
セノオ楽譜に関する内容に多少誤りもありますが,
戦後の妹尾氏の動向について,大変興味深いエピソードが載っています。
さて本題ですが,記事中に『1910(明治43)年から楽譜出版に手を染め、
1915(大正4)年には「セノオ音楽出版社」を設立』とあり,
私もこの説に同意します。その根拠としまして,
(後の)セノオ楽譜2番の初版(明治43年7月1日発行)の,
印刷者は妹尾氏個人の名であり(発行者・出版社は別),
今の所,これより古い発行年を持つものは見ていません。

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 セノオ楽譜は大正4年から発行という記述が多いのですが、明治43年7月1日という発行日の「第1集」があると指摘した私でしたが、この誠さんの記述で、それが個人名での仕事であったらしいことが、わかりました。これは重要なことです。
 そして、「セノオ楽譜誕生は大正4年」という多くの記事の誤りは、どうやら、「セノオ音楽出版社の設立」との混同だったということでしょう。
 誠さんがご紹介くださったネット上の記事は、慶応義塾大学楽友会のサイト内の「フォーラム」に寄稿された小笹和彦さんの長大な論文です。これもセノオ楽譜周辺ばかりではなく、様々に参考になりそうです。ゆっくりと読んでから、ご紹介したいと思っています。

 いずれにしても、12月22日のブログで私が表明している「謎の探求」は、まだまだ続けなくてはなりません。特に、近藤朔風と妹尾幸陽と二見孝平の三人を繋ぐものの発見、です。

《付記1》
2月13日付けで、再度「誠」さんから、このページにコメントで貴重な情報が寄せられました。ありがとうございます。たいへん参考になりました。公開扱い処理をしましたので、このページの少し下、「コメント(1)」の(1)の部分をクリックしてみてください。別ウインドウで「コメント文」が表示されます。

《付記2》
上記コメント中にあるセノオ楽譜332番は『独唱 ただよふ小舟』で、私の手元にもあります。誠さんのご指摘で、近藤朔風訳が使えない云々の記述の存在を知った次第です。見落としておりました。このことに関して、2月13日付けの当ブログに書きましたのでご覧ください。




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