竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

モーツァルト『ピアノ・ソナタ第11番イ長調 k.331』の名盤

2009年07月06日 10時42分09秒 | 私の「名曲名盤選」




 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第12回」です。


◎モーツァルト*ピアノ・ソナタ11番

 モーツァルトのピアノ・ソナタの中でも人気の高い曲だが、第一楽章がソナタ形式ではなく変奏曲となっており、終楽章が有名な「トルコ行進曲」と、リラックスした気分にあふれた愛らしい作品だ。
 ピリスの新盤は第一楽章の変化に富んだ演奏が、まず魅力だ。各変奏のリピートごとの曲想の描き分けや、大きなリタルダンドも無理なく聴こえる小柄の音楽を守り、その中に挟みこまれた決然としたリズムで軽やかに飛び跳ねる音は、健康的でさわやかだ。第二楽章も、重量感を感じさせないピアノの響きが美しい。終楽章は〈そそ〉とした入り方で始まり、ひとつひとつの音を楽しむように遅めの滑らかな音楽を展開する。だが、こうした意識操作の痕跡を露骨に残した演奏の出現を、どう考えたらよいのだろうか? という問題は残る。
 その点、一九五五年のバックハウスの演奏には自然に生まれでてくる素朴な愛情が感じられ、リリー・クラウスの五六年盤は、多少の大叩きによるフォームの崩れにも頓着しない情熱的な音楽のほとばしりが貴重で、それぞれ往年のモーツァルト演奏のスタイルを今に伝えている。
 バレンボイムは緻密な設計がバランスのとれた演奏と言えるだろう。第一楽章では特に音の強弱をはっきりさせた進め方で山場をいくつか設けてメリハリを付け、意識的な操作の跡を隠さない。その確信を持った音楽は終楽章で引締まった表情の行進曲がきびきびと響き始めると最高潮に達する。緊張感の持続する澄んだ世界だ。
 また、エッシェンバッハも各変奏の描き分けに細心の注意が払われ、楽章間のペース配分も均衡感がある。指揮者に転向したこの二人のピアニストの演奏が意識操作の跡を残していても、ピリスのように〈ピアノ演奏〉としての意識の過剰ではなく、〈音楽〉の総体の中で消化されているのは興味深い。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 ファジル・サイの演奏は、上記の様々な今日の演奏家の努力を軽々と飛び越えてしまったと言ってもいい、現代に生きる私たちのモーツァルトだと思います。そのことについては、4月に刊行されたばかりの許光俊ほか編『クラシック反入門』(青弓社)の174~175ページで詳しく書きました。この10年くらいの間で、最も強い印象を得たモーツァルトのピアノソナタ録音でした。
 モーツァルトのピアノソナタについて私が書いた名盤選原稿は、この1曲だけで終わりました。次回からはベートーヴェンになります。