何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

塩野神社 (上田)

2018年09月23日 | 寺社巡り-長野

【長野・上田市】創祀年代は不明。 社伝によると、白鳳元年四月、出雲大杜から勧請された分霊を塩野入の鷲岩に祀り、その後、現在地に遷座し塩野大明神と称し西塩田村の産土神だった。
塩野神社については、宇多天皇(第59代)の勅名で編纂され平安時代の延喜元年(901)に完成した六国史の一つ「日本三代実録」に「信濃国塩野の神」に関する記事があり、また、平安時代中期に編纂された格式「延喜式」(康保四年(967)施行)に式内社として記載されている。
戦国時代の永禄十一年(1568)、甲斐の守護・武田信玄が社領十貫文を寄進、さらに天正十五年(1587)、上田城主で武将の眞田昌幸から七貫文が寄進された。 明治維新に社領を上地されたが、明治六年(1873)に村社に列し、その後、郷社、県社へと社格が上がった。 江戸時代建立の拝殿は一間四方楼閣造り(二階建)という形式で、貴重な建造物。 御祭神は素盞嗚尊・大己貴尊・少彦名尊の三柱。

樹林の前に「式内 郷社 塩野神社」の社号標石が立ち、そこから杉や檜が聳える林の中に続く狭い参道を進む。 社殿境内の前に塩野川が流れ、屋根付きの珍しい太鼓橋が架かっている。 太鼓橋の手前には、屋根を設けた木造の両部鳥居、そして笠が苔生した石燈籠が立派な台座の上に立っている。
太鼓橋を渡ると、社叢の中に厳かな空気に包まれた境内が広がり、正面に楼閣造りで二階建ての珍しい拝殿が建つ。 江戸中期建立の拝殿は、一間社の小さな二階建て建造物だが、上層は尾垂木2本の三手先と詰組、また縁を支える腰組は出組....見事な組物が目を引く。
向拝の水引虹梁上の透かし彫の二羽の兎、木鼻の象と獅子、母屋では小壁の透かし彫の昇り龍・下り龍などいずれも素晴らしい。
拝殿と同時期建立の一間社流造の本殿には装飾彫刻がこれでもかと施されていて目を奪われる。
本殿の彫刻を拝観していて非常に興味深いものを見つけた。 それは側面後方の尾垂木2本の三手先で、上の尾垂木が丸彫りの龍の彫刻になっていて、まるで斗栱から龍が飛び出てきているかのようで実に面白い。 多分、宮大工の遊び心なのだろうと想像しながら境内散策を続けた。
 
「式内 郷社 塩野神社」と刻まれた社号標石が立つ境内の入口....樹林の中の狭い参道の両側に杉や檜が聳え、奥に小さく社殿等が見える

箱棟を乗せた小棟造銅板葺の覆屋に鎮座する御神木....茅葺屋根の上に銅板を葺いている

社殿境内前の風景....立派な台座上に立つ石灯籠とその先に笠木上に銅板葺屋根を乗せた両部鳥居

苔生した笠の石燈籠,柱頭に台輪を乗せた両部鳥居、そして屋根を設けた太鼓橋が並ぶ

木製の両部鳥居....四脚の控柱(稚児柱)があり、額束に「鹽野神社」の額が掲げられている

境内を流れる塩野川に架かる神橋は木製の太鼓橋
 
屋根付きの太鼓橋....屋根は大棟端に獅子口付鬼板が乗る切妻造銅板葺/拝みに蕪懸魚、正面の貫に若葉の文様を施されている

太鼓橋を通して眺めた社殿

社殿境内....正面に拝殿と後方に本殿、左に境内社の十二社、右は神輿庫か

切妻造銅板葺の拝殿....寛保三年(1743)建立、上層に「勅使殿」の額が掲げられている
 
拝殿は一間社楼閣造り、下層正面は両開の腰高格子戸、側面は板壁/上層に擬宝珠親柱の組高欄付き廻縁、廻縁を支える腰組は出組で中備は中央に詰組、両側に蟇股を配す....頭貫や組物の肘木に禅宗様木鼻

軒廻りは二軒繁垂木、組物は台輪上に二手目と三手目が尾垂木の三手先、中備は詰組....拝みに蕪懸魚、妻飾は虹梁蟇股式
  
享保十六年(1731)造立の石燈籠越しに眺めた拝殿/享保十九年(1734)造立の傾いた石燈籠/弘化二年(1845)造立の石燈籠

一間社楼閣造りの拝殿の後方に屋根付き透かし塀に囲まれた本殿....本殿大棟に内削ぎの千木と2本の堅魚木が乗る
 
一間社流造銅板葺の本殿....寛延三年(1750)の建立....二軒繁垂木、組物は三手先で中備は蟇股、拝に蕪懸魚、妻飾は虹梁大瓶束/水引虹梁上(二羽の兎の透かし彫り)、母屋の小壁(昇り竜・下り竜の透かし彫り)、脇障子に精緻な動植物の彫刻が施されている...階段下に浜床

拝殿右手の切妻造銅板葺の建物は神輿庫か
 
社殿左手に屋根付き透塀に囲まれて鎮座する境内社の十二社/乱積の基壇上に鎮座する社殿

境内右手の樹林の中に多くの石祠が岩座に鎮座している
 
基壇の上に鎮座する護国の英霊を祭る美霊社/向拝柱上に連三ツ斗、水引虹梁の中央に刳形蟇股
 
上諏訪社                入母屋造桟瓦葺の建物は神楽殿か
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前山寺-(2) (上田)

2018年09月21日 | 寺社巡り-長野

【長野・上田市】前山寺は独鈷山の麓にあって塩田城の鬼門に位置するので、塩田北条氏の祈祷寺となり、武将の信頼も厚かった。
江戸時代の貞享年間(1684~1688)、天台宗寺院・鶏足寺を離末し、京都の真言宗智山派の総本山智積院末となり新義真言宗信州常法談林所として仏教を学ぶ殿堂だった。 隆盛時は四十数ヶ寺の末寺をもち、歴史ある古刹として知られる。

三重塔境内から石段を下り、古色蒼然たる佇まいの本堂へ....。
小棟造りで分厚い茅葺の本堂は優雅で、古刹を感じさせる雰囲気が漂う。 また、箱棟を乗せた重量感のある唐破風の向拝と、向拝軒下に施されている彫刻群は精緻で見ごたえがある。 彫刻を鑑賞していて、茅の厚い軒に「本」の字が刻まれているのに気づいた....多分、火災などの災難除けで、「水」という字だろうと思う。
参拝者を見守るように、本堂前右手に第35世住持で栄知大僧正坐像が鎮座、その奥に本堂に連なって客殿と庫裡とが建つ。 庫裡前には観賞式の池泉庭園があり、石組護岸の池、そして少し奥まったところに一筋の水が落ちる滝があって趣がある。
山門傍の四阿で野菜を売っていたおばあさんから、上田市特産品の「うえだみどり大根」を買い求めた後、「未完成の完成の塔」といわれる三重塔を何度も振り返りながら山門を出た。

三重塔境内から眺めた小棟造りの本堂

宝篋印塔と銀杏の老木越しに眺めた茅葺の本堂....銀杏は幹回り2.74m(市指定保存樹木)

寄棟造茅葺の本堂....白壁で周囲に切目縁を巡らし、中央間に桟唐戸(内側に腰高明障子)で両脇間は全面ガラス入りの腰高格子窓

瓦葺の箱棟を乗せた茅葺大唐破風の向拝....真言宗智山派の宗紋である「桔梗」の文様が入った紫地の幕が下がる

唐破風向拝の兎の毛通しは蕪懸魚、妻飾は虹梁大瓶束....水引虹梁上や木鼻には精緻な彫刻が施されている
 
向拝の屋根は分厚い茅葺の唐破風/向拝の軒の茅に刻まれた「本」の文字....多分、災難除けで「水」を表していると思う

第35世住持・栄知和尚の像越しに眺めた本堂
 
第35世前山寺住持・大僧正栄知和尚尊像     本堂前に立つ昭和三十八年(1963)造立の石燈籠

大僧正栄知和尚尊像の後方に建つ入母屋造桟瓦葺の客殿の玄関と奥に庫裡

切妻造桟瓦葺の庫裡前の観賞式の池泉庭園
 
石組護岸の池の奥まったところに一筋の水が落ちる滝(?)がある/庭園脇にある手水鉢

入母屋造桟瓦葺の鐘楼....大棟端に鳥衾付鬼板、拝みに蕪懸魚、妻飾は狐格子

組物は柱上の台輪に平三つ斗、柱間に詰組、若葉文様が刻まれた飛貫の中央に透かし蟇股(本蟇股)
 
鐘楼に吊り下がる梵鐘                  鐘楼の左手にある弘法大師空海像
 
寄棟造銅板葺の覆屋に赤い帽子を被って鎮座する子育地蔵尊像

本堂境内から見上げた三重塔境内....石段下に梵字が刻まれた石碑が立つ
 
大日如来の真言の一つの「報身(胎蔵界大日)真言」が刻まれた石碑/宝珠光を背負った聖観音立像....宝冠に阿弥陀如来の化仏をいただく

本堂境内の右奥から眺めた本堂と三重塔
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前山寺-(1) (上田)

2018年09月19日 | 寺社巡り-長野

【長野・上田市】平安時代の弘仁三年(812)、真言宗の宗祖・空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝えられている。 当初は古義真言宗として日本南都六宗の法相宗と三論宗とを兼ねていたが、鎌倉時代末期の元弘元年(1331)、弘法大師空海誕生所である讃岐国(現香川県)総本山善通寺より長秀上人が来旨し、正法院を現在の地に移し、前山寺を開山したと伝える。
境内には室町初期建立(推定)とされる三重塔(重文)があり、二層目と三層目に窓・扉や高欄付き縁がないため「未完成の完成の塔」と呼ばれる。 宗旨は真言宗(智山派)で、本尊は大日如来像。

黒い冠木門をくぐると、赤い帽子と前垂れを着けた六地蔵石仏に迎えられる。 落ち葉が散らばる切石敷の参道を進むと、参道脇に幹周りが5~6mはありそうな欅の古木が聳え、参道奥に石垣の上の白塀と石段が見える。
耳石が苔生した石段の上に、箱棟を乗せた茅葺の山門が建つ。 左右の袖塀の前に重制石幢が佇み、六角形の龕部に六地蔵が浮き彫りされているが、かなり風化が進んでいる。
簡素な山門から伽藍境内を眺めると、正面の石段の上に、葉を落とした銀杏の巨木に隠れるかのように杮葺の三重塔が聳え立つ。 室町初期の建立とされる三重塔は「未完成の完成の塔」と言われるが、二層と三層を一見するとその理由が分かる。 上層にあるべき窓・扉・勾欄付廻縁がなく、廻縁の床の位置に長い胴貫を四方に突き出して全体の調和を図っている。
室町時代の貴重な建造物なのでじゅうぶん国宝に値すると思うのだが、未完の部分が多いという理由で重文となったようだ....が、未完の塔といえども調和のとれた美しい塔なので何か腑に落ちない。

参道入口に道路に面して建つ冠木門と寺号標石
 
冠木門傍の参道の両側に鎮座する六地蔵尊像/風情が漂う参道の脇に聳える大樹は樹齢約700年の欅の木....幹周りは5~6mあるようだ

耳石が苔生している石段の上に建つ茅葺の山門

切妻造茅葺の山門は薬医門....大棟が箱棟になっている....左右の袖塀前に重制の六地蔵石幢が佇む(造立年不明だが江戸時代前期か?)
 
左側の袖塀前に佇む重制石幢....六角形の龕部に六地蔵が浮き彫りされている
 
右側の袖塀前に佇む重制石幢....龕部に六地蔵が浮き彫り
 
山門は柱上に桁と梁を組んだだけで組物がない簡素造り....「独鈷山」の扁額が掲げられている

山門を通して眺めた境内....正面の石段の上に三重塔が鎮座

山門から少し入ると右手に四阿、正面石段上の高台に三重塔、明王殿そして大きな宝篋印塔がたつ
 
大きな台座の上に立つ二重塔式の宝篋印塔....上の塔身は月輪に四方仏の種子(と思う)、下の塔身の三重塔側に宝篋印陀羅尼経の種子が刻まれている/銀杏の巨木に隠れるように建つ三重塔....聳える銀杏は幹回り2.74mで市指定の保存樹木

入母屋造本瓦葺で妻入の明王堂....入口は腰高明障子、和様式建物なので脇間の白壁の幕の下に連子窓があると思う

大棟に鳥衾付き鬼瓦、懸魚は六葉と猪目、妻飾は豕叉首式、柱上に舟肘木の造りは和様式..周囲に簡素な切目縁を巡らす

杮葺の三重塔(重文)....室町時代初期の建立とされる和様・禅宗様の折衷様式で高さ19.5m
 
軒廻りは各層いずれも二軒繁垂木で、台輪上組物は三手目が尾垂木の三手先、また組物間を板壁とし中備は間斗だけ入れ束を立てていない

初層の軒廻りと建具は連子付き桟唐戸....脇間の腰長押上に連子窓を設ける予定だったのでは?
 
正面の二層目の軒下中央に大日如来の額、初層には塔四方仏の額で、正面は釈迦如来(南)/二層と三層には窓・扉・廻縁・勾欄がないが、長い胴貫が四方に突き出して調和させている

前山寺三重塔は未完の部分が多いので国宝とはならず重文に、また「未完成の完成の塔」と呼ばれる
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永源寺-(2) (東近江)

2018年09月17日 | 寺社巡り-滋賀

【滋賀・東近江市】永源寺は臨済宗東福寺派に属していたが、明治政府の政策・指導により明治十三年(1880)に永源寺派として独立した。 坐禅研鑽、天下泰平、万民和楽を祈る道場として全国百有余の末寺を統轄する一派大本山となり、今に至る。
開山の寂室元光禅師は、平安中期の公郷・藤原実頼の子孫。 13歳で出家し、元応二年(1320)の31歳の時に中国(元)に渡って7年間参禅し、嘉暦元年(1326)に帰朝した。 詩・偈頌・墨跡などに優れた寂室元光禅師は、時の天皇や室町幕府から京都天龍寺・鎌倉建長寺などへ招請されたが受けず、晩年72歳で永源寺に入寺開山し、示寂(78歳)されるまで修行僧教化に専念した。

豪壮な構えの本堂の草葺き屋根の大きさに驚く。 琵琶湖に群生する葭で葺かれている本堂は方丈でもあるので、方丈らしく簡素な美しさを見せている。
奥の閑静な境内には質朴な伽藍が整然と建ち並び、回廊で結ばれている。 瑞石山の山裾側には書院、法堂、開山堂など、愛知川が流れる右側には禅堂、経堂などが並ぶ。
書院傍の回廊と禅堂とを繋ぐ境内を横切る唐破風屋根の渡り廊下をくぐって奥の境内に。 黄や白の土壁に花頭窓と桟唐戸だけを設けた禅宗寺院らしい仏堂が数棟あって、歴史ある禅寺の古刹を感じさせる。

本堂前の境内....本堂の左手は庫裡、正面には袴腰付鐘楼が建つ

入母屋造葭葺の本堂(方丈)....明和二年(1765)、井伊家の援助で建立....創建は康安元年(1361)で佐々木氏頼が建立
 
軒廻りは一軒礎垂木、組物はなく柱上に太い丸桁を配して垂木を支えている....建具は正面五間中央に桟唐戸、他は舞良戸、中央三間に明障子欄間を設けている

「瑞石山」と書かれた方丈扁額、正面に鎮座するのは十六羅漢の第一尊者の賓頭盧尊者か....正面と側面の一間は吹き放ち

広い畳敷きの外陣....内陣正面に本尊世継観世音菩薩像を安置

入母屋造桟瓦葺の禅堂....切妻造本瓦葺の門と上部に菱狭間のような透かしにした透塀のような瓦屋根に塀に囲まれている

禅堂と書院側回廊とが唐破風屋根の渡り廊下で繋がっている

書院境内....書院は法堂に近似した建築だが正面は四間....山際の石垣上に境内社2社が鎮座

寄棟造桟瓦葺の書院....正面四間で中央間二間が桟唐戸、両脇間には花頭窓
 
書院境内に鎮座する守護社....左は一間社流造銅板葺の社殿/蕉の句碑「こんにゃくの さしみもすこし 梅の花」

寄棟造桟瓦葺の法堂.....享保十三年(1728)の再建....正面五間で「大雄宝殿」と称す
 
法堂の軒廻りは二軒繁垂木、組物は柱上に舟肘木....建具は中央間三間が桟唐戸、両脇間に花頭窓で真ん中は菱狭間入の桟唐戸

法堂には後水尾天皇により寄進された三尊(釈迦牟尼佛・迦葉尊者・阿難尊者)が奉安されている

入母屋造銅板葺り開山堂....享保十年(1725)、彦根城主井伊直惟より能舞台の寄進を受け再建され、本尊・寂室禅師が祀られている

大きな軒唐破風の向拝、軒廻りは一軒繁垂木、組物は雲斗栱....側面は舞良戸と腰高明障子の引戸
 
建具は正面四間の中央二間が舞良戸で両脇は蔀戸/山堂傍に佇む宝篋印塔....正面に「寶篋印神咒塔」の刻

納骨堂の入口に「普照」の額....奈良時代の法相宗の僧で鑑真に渡来を請うた普照を表す?

宝形造銅板葺の経堂....延宝四年(1676)、南嶺禅師による再建....創建は応永十一年(1404)で佐々木満高が建立

建具は中央間が桟唐戸(内側腰高格子戸)で脇間は花頭窓

軒廻りは一軒繁垂木、組物は柱上に雲斗栱、中備は中央に蟇股で両脇に蓑束を配す
 
切妻造桟瓦葺の蔵/蔵の右奥に建つ入母屋造桟瓦葺の標月堂

門柱に「専門道場」の聯が掲げられている含空院
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永源寺-(1) (東近江)

2018年09月15日 | 寺社巡り-滋賀

【滋賀・東近江市】南北朝時代の康安元年(1361)、近江の領守・佐々木六角氏頼が臨済宗の僧・寂室元光禅師の高徳を慕って帰依し、寄進した領地に伽藍を創建し、禅師を開山として迎えた。 中国で7年間参禅した寂室禅師の名声高く、当時は2千人余の修行僧が集い、山中に56坊の僧坊を有したとされる。
戦国時代(明応・永禄など)、度重なる戦乱による兵火に遭って伽藍や山内の幾多の寺院堂宇を全て焼失、以後、寺運が衰退した。
寛永八年(1631)、永源寺の衰退を嘆いた京都妙心寺(臨済宗妙心寺派大本山)の別峰紹印禅師が再建を開始。 寛永二十年(1643)、名声高い江戸時代の臨済宗の僧・一絲文守禅師 (仏頂国師) が第80世として住山し、後水尾天皇・東福門院(徳川和子)・彦根藩(井伊家)の帰依を得て伽藍が再興され、再び法籠が輝いた。 宗旨は臨済宗(永源寺派大本山)で、本尊は世継観世音菩薩像。

バス停「永源寺前」で下車し、開店の準備をしている門前売店の前を進むと、「和泥水」の額が掲げられ、地蔵石仏が祀られた手水舎ある。
石造りの大歇橋を渡り、そこから続く長い石段の参道を上っていくと、途中の岩山に釈迦三尊とユニークな表情の十六羅漢が鎮座し、参詣者を迎えている。 石段を上り詰めると、参道に枝を伸ばす青紅葉に隠れるように総門がある。 5本の定規筋が入った袖塀の前に戒壇石が立つが、見慣れた「不許葷酒入山門」ではなく「不許酒肉五二十入門内」と刻まれていて初めて見るが、”五二十”の意味が分からず。
総門をくぐると青紅葉に覆われ静謐な空気が満ちた参道が続き、奥に重層楼門の三門の柱が僅かに見える。 三門はまるで青紅葉に隠れるように建っているが、鮮やかな青紅葉が風情を添えているようだ。 三門をくぐり、左側の石段を上がり、庫裡と袴腰鐘楼の間を進むと明るい本堂境内に出る。
 
愛知川(音無川)に架かる朱塗りの擬宝珠欄干を設けた旦度橋の袂に立つ寺号標石....標石に「臨済宗 大本山永源禅寺」の刻

参道入口近くの覆屋に鎮座する3体の石仏....左は未開蓮を持つ観音菩薩、中は地蔵尊像、右は前垂の上にはみ出た「祖」と「和」が読める
 
切妻造銅板葺の手水舎....舟形の手水鉢、軒下に「和泥水」(和泥合水)の額/水口の上に舟形光背地蔵尊石仏が鎮座

参道途中の愛知川に流れ込む川に架かる大歇橋
 
参道脇に佇む宝篋印塔....蓮華座上の基礎の正面に「大聖塔」の刻、隅飾突起が大きく開いているので江戸期の造立か/井伊家の霊廟....永源寺中興の名君といわれた四代目彦根藩主・直興公の墓所

井伊家霊廟前の石段脇の覆屋に鎮座する地蔵尊像....右に三界萬霊塔、左に宝篋印塔の法華塔が佇む

大歇橋から120ほどの石段(羅漢坂)を上り詰めた所の岩山に鎮座する石仏群
 
最上位置に釈迦三尊(脇侍は文殊菩薩、普賢菩薩)、その下に十六羅漢がユニークな表情で鎮座/瞑想しているような羅漢像

大歇橋から続く石段の参道を上り詰めると静謐な空気が満ちる中に総門がある

門前の一段下の参道脇に舟形の手水鉢、袖塀の前に戒壇石が立つ
 
舟形の手水鉢....浄水が溢れている          戒壇石に「不許酒肉五二十入門内」の刻 

切妻造本瓦葺の総門....趣のある袖塀の築地塀に5本の定規筋が入っていて高い格式を示す

総門から三門への青紅葉に覆われた参道....右手の下に愛知川が流れている

入母屋造桟瓦葺の三門(重文)....享和二年(1802)建立で、桁裄5間3戸、梁間2間の重層楼門
  
上層は軒廻りが二軒扇垂木、組物は台輪上に二手目が尾垂木の二手先....逆蓮柱高欄付き縁を巡らす/縁を支える腰組は出三斗/下層は軒廻りが二軒繁垂木、組物は台輪上に出組、また柱間に2つの詰組、頭貫の木鼻は禅宗様

楼上に釈迦牟尼佛、文殊菩薩像、普賢菩薩像そして十六羅漢像を安置
 
三門をくぐると直ぐ左手の石垣の上に庫裏が建つ/近代的建築の庫裡は鉄筋コンクリート造り
 
パンフに記載されていない不動堂(と思う)....本堂前庭の傍の擬宝珠欄干付太鼓橋を渡って入る(東司の上に建っているような気が)
 
不動堂に奉安されている不動明王立像と蓮華座に鎮座する地蔵尊立像

入母屋造桟瓦葺の袴腰付鐘楼....安永元年(1772)の再建...楼上に擬宝珠勾欄付廻縁、四方に花頭窓

軒は一軒疎垂木、大棟に獅子口が乗る鬼板、拝みの蕪懸魚、妻飾は狐格子
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長岳寺の鐘楼門

2018年09月13日 | 最古・唯一などの遺構

【奈良・天理市】日本最古の鐘楼門。 平安時代の天長元年(824)、弘法大師によって建立された。
平安時代天長元年(824)、淳和天皇の勅願により、弘法大師が大和神社の神宮寺として創建した長岳寺に建つ鐘楼門で、国の重要文化財に指定されている(かつては国宝だったようだ)。
一間一戸の下層に対して上層は三間二間の吹き放しの造りで、上層に梵鐘を吊った遺構が遺っている。 また、下層は室町時代~安土桃山時代の間に改築されたようだ。 組物は出三斗で、下層の中備には間斗束、その両側に詰組が設けられている。
正面からはよく見えないが、本堂境内から眺めると、杮葺屋根の深い軒と軒反の曲線が美しく、気品が感じられる。 弘法大師空海がこの鐘楼門を何度かくぐったかと思うと、感慨深いものを感じる。

境内参道の石段上に建つ日本で最古の鐘楼門

入母屋造杮葺の鐘楼門(重文)....平安時代の建立で、吹き放ちの上層に梵鐘を吊った遺構がある
 
下層は一間四方一戸、上層は三間二間....下層は室町時代~安土桃山時代の間に改築されたようで様式が残る

軒廻りは二軒繁垂木、組物は出三斗で中備無し、上層に組高欄付廻縁を設けている

組高欄付廻縁を支える腰組は出三斗で、中備には2つの詰組と中央に間斗束を設けている

本堂境内から眺めた鐘楼門....大棟端に鬼瓦が乗る杮葺屋根の深い軒と軒反が美しい

境内の放生池越しに眺めた鐘楼門....水面に映る逆さ鐘楼門が美しい
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善水寺-(2) (湖南)

2018年09月11日 | 寺社巡り-滋賀

【滋賀・湖南市】寺号「善水寺」の由来は、第50代の桓武天皇が病に伏していた時、最澄が入山し、霊仏出現の百伝の池水を以って薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷を行い、この霊水を献上すると天皇の病が平癒したことから「善水寺」の寺号を賜ったとされる。 南北朝時代の貞治五年(1366)に再建された天台仏殿の本堂は、国宝に指定されている。

鐘楼の脇から樹林の中の表参道の石段を少し下ると、右手に龍の水口の手水舎がある。 更に、参道脇に雛壇のように石仏が鎮座する緩やかな参道を下って行くと、地蔵堂の手前にまるで山城の砦のような柵が設けられ、通行止めに。 パンフの「善水寺見取り図」を見ると、地蔵堂の下側の参道から駐車場に向かう道があり、岩根の里から表参道を上ってきた時はこちらを通って受付するようになっている。
通行止め柵の手前から庫裡に向かう参道を通って本堂境内に戻り、駐車場脇からあらためて地蔵堂に向かう。 地蔵堂への参道の脇には沢山の小さな石仏と五輪塔が整然と並び、また、地蔵堂の傍にも多くの石仏や五輪塔のほか五輪塔や宝篋印塔の笠石を積み上げたとみられる異形の石塔が鎮座している。 地蔵堂右手の少し先に摩崖仏があり、大きな岩に舟形に掘り窪めた中に錫杖を持つ地蔵尊像が浮き彫りされている。
参道を下って行くと左手の旧僧坊跡地に元禄時代に建てられた観音堂が建つ。 観音堂の近くに無縫塔が立ち並ぶ墓所と「不動の大岩」があり、大岩の上部に小さな摩崖不動明王像が浮き彫りされている。 不動明王は山腹に建つ本堂をジッと見つめているようで、なかなか印象的だ。

切妻造桟瓦葺の手水舎....建立年不詳
  
手水鉢は正徳三年(1713)の造立/龍像の水口/本堂前から地蔵堂への石段の参道に多くの石仏が整然と並んでいる

地蔵堂の手前の参道に頑丈そうな柵が設けられ、通行止めになっている

柵越しに眺めると地蔵堂と石塔群、右手前に磨崖仏が鎮座している
 
鐘楼近くに建つ庫裡と前庭....庭に置かれた白い石造物は何かな?
 
地蔵堂への参道脇に整然と鎮座する小さな石仏と五輪塔/参道脇に建つ地蔵堂と異形の石塔、その先に地蔵尊像摩崖仏がある

切妻造桟瓦葺で妻入の地蔵堂....妻面に庇を設け、扉は腰高格子戸
 
地蔵堂傍の石仏と異形の石塔....石塔は五輪塔や宝篋印塔の笠石を積み上げたものとみられる/地蔵堂の中に赤い前垂れをした丸彫りの地蔵尊像が整然と鎮座

地蔵堂の傍に鎮座する地蔵磨崖仏
 
大きな岩に舟形に掘り窪めた中に錫杖と宝珠を持つ地蔵尊像が半肉彫りされている

参道の木立の間から眺めた巨大な不動岩と摩崖不動明王像

入母屋造桟瓦葺で妻入の観音堂....元禄九年(1696)、乗蓮比丘勧進により岩蔵坊僧坊跡に建立された
 
観音堂には元東尾本尊の聖観世音菩薩坐像を奉安/元禄二年(1689)造立の手水鉢
 
大棟に獅子口付き鬼板、拝みに猪の目縣魚、妻飾は中央に束を配した板壁/正面と側面に腰高格子戸と切目縁....側面の縁は内陣位置までか
 
観音堂の東南にある巨岩と墓石が立ち並ぶ墓所....殆ど無縫塔なので歴代住持の墓所だろう/巨岩下部の穴は経典を収めた穴、あるいは納骨穴か?

舟形に掘り窪めた中に浮き彫りされている摩崖不動明王像....室町時代文亀四年(1503)の造立
 
利剣と羂索を持つ不動明王像の右側に文字が刻まれている....最初が「文亀」と読めるのでこれが造立年だろう/巨岩左下の平部に文字が刻まれているような痕跡がある?
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善水寺-(1) (湖南)

2018年09月09日 | 寺社巡り-滋賀

【滋賀・湖南市】奈良時代の和銅年中(710年頃)、元明天皇(第43代)の勅命により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号した。 「湖南三山」の一つ。 その後の延暦九年(790)、比叡山を開創した伝教大師最澄が中興して善水寺に改称した。
室町時代の延文五年(1360)に火災に遭って、堂宇や記録などを焼失した。 貞治三年(1364)に延海が再建し、江戸時代の天和二年(1682)に東叡山輪王寺より医王院の号が下り、岩根山医王院善水寺と号した。 宗旨は天台宗で、本尊の薬師如来坐像(秘仏)は平安時代正暦四年(993)の作。 西国薬師四十九霊場第47番札所、湖南二十七名刹13番。

不動寺から車道に戻り、自転車を懸命に漕いでやっと山腹の善水寺の駐車場に着いた。 受付のインターホンで本堂にいるご住持と連絡を取り、まっすぐ本堂に向かう。
外陣でお寺の歴史や建物の構造などについて説明を受け、内陣に鎮座する本尊薬師如来像など三十余躯体の諸仏をジックリと拝観させていただいた。 外に出て国宝の本堂を眺める。 和様建築の荘厳な本堂は、古色蒼然たる佇まいで、檜皮葺屋根の美しい曲線と外陣(礼堂)周囲の蔀戸は優雅さと風格とを感じさせる。
本堂の東側に、古来の「侘び寂び」を表現しているとされる池泉回遊式庭園が広がる。 独自の石組や樹木が配置された「百伝池」....池の中に平らな巨石を並べた山腹に建つ行者堂への参道が設けられ、途中に石造りの平橋、太鼓橋、勾欄付太鼓橋が架かっている。
「百伝池」の東側に本堂を向いて元三慈恵大師を祀る元三大師堂が建ち、直ぐ傍に「善水元水」という霊水が湧き出ている。 そこから続く石段の参道の上方に、善水寺の鎮守社である六所権現社が見える。 六所権現社の脇を通って山腹に鎮座する行者堂に....低い石垣の上に簡素な造りの行者堂が建ち、その前の石柵で囲まれた芝生の中に護摩壇があるが、屋外に設けられた護摩壇を見るのは初めてだ。

駐車場近くから眺めた境内と本堂

和様を基調として禅宗様式を取り入れている天台密教仏殿の本堂....湖東三山の金剛輪寺本堂との共通点が多い

入母屋造檜皮葺の本堂(国宝)....南北朝時代貞治五年(1366)の再建
 
向拝がなく正面出入口の上に「善水寺」の扁額/軒廻りは二軒繁垂木、柱は丸柱、組物は出組で中備は撥形間斗束、蛇腹の軒支輪

桁行七間、梁間五間、正面中央間は桟唐戸で両脇間三間の建具は内開きの蔀戸....切目縁は正面と側面は三間のみ

大棟端に鬼瓦、拝みに猪の目懸魚、妻飾は豕扠首

側面五間は前方二間が外陣で蔀戸、後方三間は内陣・脇陣・後陣で、内陣と後陣に桟唐戸
  
本堂の傍に佇む石造物....塔身に四方仏が彫られ、隅飾突起が摩滅した宝篋印塔と均整がとれた五輪塔/塔身の半分まで土に埋まった宝篋印塔/本堂西側の小さな庭園にある自然石を巧みに配した石灯籠

本堂の右手(東側)に広がる池泉回遊式庭園....「百伝池」の独特の石組や樹木の配置は古来の「侘び寂び」を表現しているとか

百伝池の中に巨石を並べた参道があり,異なる形の3つの石橋(平橋・太鼓橋・勾欄付太鼓橋)が架かる....百伝池は最澄が請雨祈祷の為に探していた浄地で、池中から出現した薬師仏の霊験により雨を得たと伝える
 
百伝池の中の巨石の参道は山腹に建つ行者堂の参道に連なる....奥の樹林の中に弁天堂と六所権現社の屋根が見える/百伝池の辺に鎮座する切妻造銅板葺の弁天堂....百伝弁財天を祀る

露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の元三大師堂....江戸時代正徳三年(1713)の再建....正面は中央間桟唐戸と脇間連子窓

本尊元三慈恵大師良源大僧正の等身大尊像を奉安....軒廻りは二軒疎垂木、柱上に雲肘木、中備は雲肘木を乗せた蓑束
  
出入口は両折両開の桟唐戸....上に「元三大師」の扁額/向拝の水引虹梁に刳抜蟇股、柱上に雲肘木を乗せた出三斗/三元大師堂の脇に佇む二段塔身の宝篋印塔....上に阿弥陀如来の種子、下に「法華塔」の刻
 
自然石を巧みに利用したユニークな石灯籠だが、火袋が極端に小さくてアンバランスな姿/湧き出る「善水元水」という霊水
 
石段参道上の山腹に鎮座する六所権現社/六所権現社には善水寺開創以来の鎮守神「伊勢・春日・八幡・賀茂・熱田・鹿島」の六所の神々を奉安

流造銅板葺の六所権現社....善水寺の鎮守社

六所権現社から行者堂に向かう途中から眺めた百伝池と本堂

百伝池の上の山腹にある行者堂境内....正面の行者堂、左手に閼伽井(と思う)

入母屋造桟瓦葺の行者堂....明治九年(1876)、飯道寺岩本院行者堂を移築し、行者像を安置....石柵で囲まれた芝生の中央に護摩壇が設けられている
 
行者堂に向かって左手に建つ切妻造銅板葺の建物は閼伽井か/簡素な造りの行者堂....正面は腰高格子戸で脇間は小壁、周囲に切目縁を巡らす

切妻造本瓦葺の鐘楼....寛文三年(1663)建立で、庫裡の傍に建つ
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不動寺 (湖南)

2018年09月07日 | 寺社巡り-滋賀

【滋賀・湖南市】伝承では、奈良時代の延暦年間(782~806)、弘法大師空海により創建された。 もとの山号は清涼山で天台宗だったとされる。
江戸時代の享保十九年(1734)に火災に遭ったが、寛延二年(1749)に再興され、その時に山号が岩根山に改称された。 山の斜面に高さ5~6mほどの巨岩が張り出し、その脇に懸造の本堂が建つ。 巨岩の舟形に彫り窪めた中に像高約1.5mの磨崖仏・不動明王立像が厚肉彫りされてい花頭窓から参拝する。 宗旨は黄檗宗で、本尊は磨崖不動明王尊。

湖南市商工会でレンタサイクルを借り、野洲川に架かる甲西中央橋を渡って岩根の里に向かった。
岩根の里から急な善水寺参道が続いているが、電動アシシスト式とはいえとても無理なので、樹林の中に続く、善水寺の駐車場が終点になっている車道を上っていく。
途中、左手の樹林の中に鎮座する不動寺に立ち寄った。 石垣を背に鎮座する聖観音菩薩立像に迎えられ、小さな渓流に架かる橋を渡ると境内で、急な石段の上に手水舎と本堂が見える。 石段を上ると踊り場のような狭い所に手水舎が建ち、六角形の手水鉢に清水が勢いよく注ぎ込まれている。 清水はかなり冷たいので、岩根山からの湧水だと思う。 さらに続く急峻な石段を上っていくと、途中から仏堂の入口まで鮮やかな朱色の金属製階段が....山岳寺院の風情を壊すようで残念だった。
無住の懸造りの仏堂内に入る。 本尊の磨崖仏・不動明王立像は、提灯が下がる内陣から腰高格子戸で仕切られた外陣の奥の格子付花頭窓を通して拝むようになっているが、花頭窓から本尊の姿は殆んど見えない。
仏堂を出て巨岩の下へ降り、見上げると、仏堂に超隣接した巨岩に厚肉彫りされた不動明王尊立像が鎮座している。 像容は辯髪を左肩にたれ、肘を横に張り出した右手に利剣を握るが、肘をやや曲げで下ろした左手に羂索は見当たらない。 下から斜めに見上げるためと、風化が進んでいるせいか表情はハッキリしないが、ぎょろりとした左眼と剝き出した歯から憤怒の形相なのが分かる。 巨岩の下方に、不動明王に守られるように軒付形石仏・石龕仏・五輪塔など多くの石造物が整然と鎮座している。
本尊の磨崖仏・不動明王尊像は鎌倉末期の造立だが、これ以前の本尊はどこに。 また、空海創建なのになぜ真言宗ではなく天台宗だったのか、さらに、現在は黄檗宗とのことだが天台宗からどうして改宗されたのか....あれこれ想像しながら自転車を走らせ、善水寺に向かった。

鮮やかな樹林の中にひっそりと鎮座する不動寺の仏堂
 
小さな渓流に架かる石橋を渡ると石垣を背にして鎮座する聖観音菩薩立像と合掌する地蔵尊像に迎えられる

急峻な石段上の踊り場のような所に設けられた手水舎

手水舎の後方の石垣の上に懸造の本堂(仏堂)が建つ

切妻造銅板葺の手水舎
  
勢いよく清水が注がれる六角柱形の手水鉢....鉢の側面に「不動前」の刻/手水舎がある狭い境内に佇む石灯籠....竿の正面に「不動前」の刻/手水舎から続く石段と朱塗りの鉄製階段

岩山の山腹の石垣の上に建つ懸造の仏堂
 
仏堂内は内陣と外陣が腰高格子戸で仕切られている/外陣奥の格子付花頭窓を通して本尊の磨崖不動明王尊が僅かに見える

仏堂前の鉄製階段から眺めた手水舎がある下の境内

仏堂下の境内から見上げた仏堂と右に摩崖仏が彫られている巨岩

仏堂に接近した巨岩に本尊の磨崖仏・不動明王立像が厚肉彫りされている

仏堂の花頭窓に面して鎮座する像高約1.5mの不動明王立像
 
高さ約2.2mの舟形に彫り窪められた中に鎮座する不動明王尊像....鎌倉末期の建武元年(1334)の彫像、光背面に火焔光は刻まれていない

辯髪を左肩にたれ,張り出した肘の右手に利剣(左手に羂索は見当たらず)....ぎょろりとした左眼と剝き出した歯から憤怒の形相であることが分かる

巨岩の下には不動明王に守られるように石仏・五輪塔などの石造物が整然と鎮座
 
軒付形光背の石仏や石龕仏が多く、一部は前垂れをしている/五輪塔はほとんど一石造り
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十王寺 (湖南)

2018年09月05日 | 寺社巡り-滋賀

【滋賀・湖南市】奈良時代の神亀元年(724)、聖武天皇の帰依を受けた奈良時代の僧行基(百済系の渡来人)を開基として創建された。 長壽寺は平安時代に天台化して24坊を有し、その一つが十王寺で、現在は長壽寺の本坊。
寺号の「十王寺」は、十王経にのっとって本尊脇に冥途で亡者を裁く木造の十王像を祀っていることに由来する。 十王経は、十王により生前の罪が裁かれることを記した経典だが、一説では、中国の民間信仰と仏教信仰との混合説を示す偽経とされるようだ。 宗旨は天台宗で、本尊は阿弥陀如来像。

長壽寺と白山神社を拝観した後、山門の向かい側に建つ白壁の築地塀に囲まれた十王寺の山門に向かう。 山門前の道を挟んだ向かい側に、大きな丸彫りと舟形光背に浮き彫りされた3体の地蔵石仏、その右手には赤い前垂れをした小さな多くの石仏が十王寺を向いて鎮座している。
柱に「国宝 長壽寺本坊」の聯が掲げられた山門をくぐって境内に。 意外に狭い境内の直ぐ正面に正面全てが腰高明障子の本堂、本堂に連なって直ぐ右隣に玄関そして庫裡、さらに本堂を向いて大きな唐破風屋根の玄関の洗心殿が建つ。 洗心殿の前には日本天台宗の開祖・最澄の幼形像「傳教大師幼形像」が立ち、参詣者を見守っている。
本堂右隣の玄関の軒下に珍しいものを見つけた。 格子戸上の連子欄間の上側に設けられた丸桁とみられる丸材の桁で、アンバランスな大きさと太さの丸材の桁を角材の隅柱が貫いた造りのようで、初めて見る。

長壽寺山門の向かい側に建つ白壁の築地塀に囲まれた十王寺は長壽寺本坊

白壁の築地塀際の小さな庭園に立つ石灯籠と寺号標石....寺号標石は昭和五十八年(1983)の造立

十王寺山門前の道を挟んだ向かい側に鎮座する石仏群....十王寺を向いて鎮座する丸彫りと2体の舟形光背に浮き彫りの地蔵石仏
 
3体の大きな地蔵石仏の右手に、赤い前垂れをした軒付形・舟形・石龕形光背の小さな石仏が鎮座

切妻造桟瓦葺の山門は薬医門

山門の柱に「国宝 長壽寺本坊」と「天台宗阿星山 十王寺」の聯が掲げられている

本堂正面は全面が腰高明障子戸....向拝柱上に出三斗、梁中央に獅子、木鼻は象の彫刻
 
水引虹梁の中央に配された獅子の彫刻/木鼻の象はいまにも飛び出しそうな彫刻
 
軒廻りは一軒疎垂木....正面と左側面に勾欄付き切目縁/中央の虹梁(通肘木?)に二組の蟇股が乗り直接丸桁を支える造り

狭い境内には本堂・玄関・庫裡・洗心殿がL字に並んで建つ
 
玄関軒下の連子欄間の上に設けられた丸桁とみられる丸材の桁....太い桁で、角材の隅柱が丸材の桁を貫いている

入母屋造桟瓦葺で平入りの洗心殿....妻側に主屋の軒より下がった大唐破風の玄関、玄関前に「傳教大師幼形像」が立つ
  
宝塔と五輪塔の受花・宝珠を組み合わせた石塔/傾いた五輪塔/石碑には梵字の下に「食〇〇」の刻があるが判読できず

本堂前庭に佇む自然石を巧みに用いた異形の石燈籠
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