何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

上田城跡公園 (上田)

2018年03月05日 | 史跡探訪-日本編

【長野・上田市】戦国時代の天正十一年(1583)、真田氏の始祖真田幸隆の三男昌幸(幸村の父)が築城した平城で、上田盆地のほぼ中央に位置する。
堀と石垣と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城だが、天正十三年(1585)の第一次上田合戦と慶長五年(1600)の第二次上田合戦(関ヶ原の戦い)で徳川軍を二度にわたって撃退し、難攻不落の城として知られた。 しかし、関ヶ原の合戦後、上田城は徳川方に接収され、翌慶長六年(1601)徳川軍により破却され、藩主真田信幸(信之)も松代へ移封となった。 元和八年(1622)に小諸から入封した仙谷忠政が、寛永三年(1626)から上田城修築に着手し、仙石氏城主時代に再興され、7基の櫓と2基の櫓門が建てられた。
明治維新後に廃城となり、西櫓1基を残して取り払われたが、昭和十七年(1942)、城外に移築されていた2基の櫓が買い戻された。 昭和二十四年(1949)、2基の櫓は南櫓・北櫓として再移築され、更に平成六年(1994)に本丸東虎口櫓門が復元された。 真田氏が城主をつとめたのは初代城主の昌幸のみだが、東虎口櫓門を入った正面に、明治十二年(1879)設立の真田神社が鎮座している。

笑ってる顔のようにみえる「2のマルハシ」と読む模様が施された標柱のある二の丸橋を渡り、公園内に入る。 直ぐ右手の石垣の上に、赤い袴腰の鐘楼が建つ。 上田市立博物館を右手に眺めながら東虎口櫓門に向かう。 紅葉が綺麗な城門前は多くの観光客で賑わっていたが、人が入らない写真を撮るため、カメラを構え、人の流れが切れるのをジッと待った。
南櫓と北櫓は昭和期、城門の東虎口櫓門は平成六年の復元だが、戦国時代の趣があって、いまにも頑丈な城門が開いて騎馬の真田昌幸が颯爽と現れるかのような佇まいだ。
櫓門傍の野面石積の石垣に「真田石」と呼ばれる大きな石が嵌め込まれているが、直径3mあるという巨石のため、真田信之が松本移封の際に父昌幸の形見として持ち出そうとしたがびくともしなかったらしい。 とにかくでっかい石で、どうやって運び込み積み上げたのだろうかとつい考えさせられる。
城門をくぐると、正面に大きな神明鳥居がたち、参道の奥に鎮座する千鳥破風を乗せた社殿が見える。 社殿の左側を通り、城内西隅にある西櫓に向かうと、本殿と渡り廊下を囲む玉垣の傍に木柵で囲まれた「真田井戸」があるが、この井戸には城外に出る抜け穴があるという伝説があるらしい。
本丸跡に向かう。 「史跡上田城跡本丸跡」の標石が立つ本丸跡は鮮やかな紅葉に覆われ、黄色い絨毯を敷いたような平地に「戊辰役上田藩従軍紀念碑」と刻まれた石碑がひっそりと佇む。
北側の濠の外の平地に、戊辰戦争~大東亜戦争で殉職された英霊を祀る招魂社と、上田藩士で幕末に活躍した洋学者赤松小三郎の記念館がある。 小さな白壁の記念館が生い茂った紅葉に隠れるようにある光景は、まるで絵本のようだ。
 
「二の丸橋」から眺めた石垣に囲まれた城跡/「二の丸橋」の標柱..「2のマルハシ(二の丸橋)」を表現

石垣に建つ「平和の鐘」..寄棟造桟瓦葺の袴腰鐘楼で、昭和九年(1934)、現在地に移築された
 
城跡に建つ「上田市立博物館」(左は博物館別館)

入母屋造本瓦葺の東虎口櫓門(中央)..平成六年(1994)復元
 
左から南櫓、東虎口櫓門、北櫓..入母屋造本瓦葺の南櫓北櫓は昭和二十四年(1949)復元

東虎口櫓門傍の野面石積の石垣の中に嵌め込まれた「真田石」..直径3mある

城内から眺めた東虎口櫓門の石垣

東虎口櫓門から眺めた真田神社..参道入口に立つ“転び”様式の神明鳥居

切妻造桟瓦葺の拝殿..屋根に千鳥破風が乗る

拝殿正面に真田六文銭と桐そして永楽銭の家紋のある白地の幕が張られている

「真田井戸」..本丸唯一の井戸で直径2m、深さ16.5m、この井戸には抜け穴の伝説があるらしい
 
真田神社後方、尼ヶ淵の河岸段丘に築かれた本丸隅櫓の西櫓(県宝)..武者窓、矢狭間、鉄砲狭間が設けられている/妻飾は狐格子、拝懸魚は蕪懸魚
 
「史跡上田城跡本丸跡」の標石  本丸跡の鮮やかな紅葉
 
黄色い絨毯を敷いたような本丸跡/本丸跡に立つ明治三十六年(1903)建立の「戊辰役上田藩従軍紀念碑」..明治維新で新政府軍に参加して戦った上田藩士たちの従軍記念碑

城跡北側の濠の外にある招魂社..戊辰戦役従軍の戦死者、日清日露の戦争、大東亜戦争で国家の為に尊い命を捧げた人々の英霊を祀る御社

大正十二年(1923)建立の招魂社..参道に立つ神明鳥居
 
切妻造銅板葺の簡素な手水舎  大きな石燈籠越しに眺めた招魂社拝殿

入母屋造の招魂社拝殿..屋根は杮葺と思う
  
昭和九年(1934)造立の阿形吽形の獅子の狛犬/狛犬と同時期の造立とみられる石燈籠

招魂社拝殿と渡り廊下で繋がる切妻造桟瓦葺の社務所..切目縁を巡らす

社務所右手の木立の中にある切妻造桟瓦葺の赤松小三郎記念館

赤松小三郎は上田藩士で、幕末に活躍した洋学者..赤松の遺髪の墓が月窓寺にある

南側の上田城跡駐車場から眺めた南櫓(手前)と西櫓(奥)

芝部広場から眺めた西櫓(県宝)..初期城郭建築の様式といわれる
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 佐原義連の墓 (横須賀) | トップ | 真田神社 (上田) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

史跡探訪-日本編」カテゴリの最新記事