
【兵庫・揖保郡・太子町】斑鳩寺創建以後、鵤の地は長く太子信仰の中心としても栄え、播磨国における特異な文化興隆地域を形成された。 平安時代、この地は法隆寺の荘園「法隆寺領播磨国鵤荘」へと発展し、荘園経営の中核的存在として政所とともに斑鳩寺が建立された。
往古には七堂伽藍と数十の坊院を誇る壮麗を極めた大寺院だったが、室町・戦国時代の天文十年(1541)、出雲国の守護大名の尼子政久氏の播磨侵攻(赤松氏と山名氏の争い)後の混乱の中で、不慮の火災により諸堂が灰燼に帰した。
◆仁王門と大講堂を結ぶ切石敷参道の東側に弥勒堂、手水舎、三重塔、袴腰鐘楼そして聖霊権現社が建ち並ぶ。 東側の築地塀際に「西國卅三所観世音」と彫られた石柱が立ち、塀に沿って赤い前垂れをした起舟後光型観世音菩薩石仏群が整然と鎮座している。 石仏は新西国三十三ヶ所の観音菩薩像で、数分で三十三所霊場巡りができる。
古色蒼然とした朱塗りの三重塔は、斑鳩寺に現存する当時の唯一の貴重な遺構で国指定重要文化財だ。 室町後期に再建された和様建築で、バランスのとれた美しい塔だ。 しばしの間、和様建築の細部の意匠を楽しんだ。

△仁王門と大講堂を結ぶ切石敷の参道の東側に建ち並ぶ右から弥勒堂、手水舎、三重塔そして袴腰鐘楼

△仁王門近くに建つ露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の弥勒堂....正面三間側面二間で側面白壁に格子窓、組物は舟肘木

△軒廻りは一軒疎垂木、正面の組物は撥束....中央間は引き違い戸の格子戸、腰壁は全て縦羽目板

△弥勒堂と袴腰鐘楼の間に建つ本瓦葺の三重塔(国重文)....室町時代後期の永禄五年(1562)に再興された和様建築

△多くの観世音菩薩石仏に見守られて聳え建つ三重塔

△築地塀際に佇む「西國卅三所観世音」と彫られた石柱(卅は三十)/築地塀際に整然と鎮座する三十三所霊場巡りの石仏群....赤い前垂れをした33体の起舟後光型観世音菩薩石仏

△三重塔は斑鳩寺に現存する当時の唯一の貴重な遺構....塔高は約25メートル/軒廻りは三層いずれも二軒繁垂木で蛇腹支輪がある

△三間四方で初重の中央間は板唐戸、両脇間は盲連子窓で腰壁は横羽目板....周囲に擬宝珠高欄付き切目縁を巡らす

△組物は三手目が尾垂木の三手先で、中備は蓑束....軒(蛇腹)支輪の下内側に小組天井の軒天井

△二重・三重に軒支輪と軒天井があり、組高欄付廻縁を巡らす

△二重・三重の組高欄付廻縁の腰組は間斗束....中備は蓑束で初重に3個、二重目は真ん中にのみ配す

△三重塔越しに眺めた大講堂
◆三重塔の北側に大棟に鯱を配した朱塗りの袴腰鐘楼が建つ。 縦羽目板の袴腰や緑色の連子窓など趣があるが、元禄時代の再建にしては古色さが感じられない。 国指定ではなく県指定の有形文化財なのは、新資材を多く使った近年の修復によるものと思うが....。

△三重塔の北側に建つ袴腰鐘楼と手水舎

△入母屋造本瓦葺の袴腰鐘楼....天正三年(1575)の再興、銅鐘は元禄六年(1693)の梵鐘の再鋳と共に鐘楼も再建されたようだ

△正面三間、側面二間の鐘楼....大棟端に鯱、拝に猪ノ目懸魚、妻飾は失念....周囲に擬宝珠付高欄を巡らす/袴腰鐘楼の軒廻りは二軒繁垂木、組物は木鼻付き平三斗で中備は二間の北側と南側に間斗束....四方に各2つの連子窓がある

△朱塗りの壮麗な三重塔と袴腰鐘楼は古刹にふさわしい堂宇

△鐘楼の羽目板の袴腰越しに眺めた大講堂(東側)







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