
【大分・国東市】無著禅師の高名を慕って集まる僧が後を絶たず、常に修行僧五百余人が寺内の堂宇に住んで学んでいた。 無著妙融禅師が没した室町時代明徳四年(1393)以降、「十六哲」と呼ばれる16名の無著の弟子が有徳の法嗣として一年交替で住持となり、無著派根本道場として法燈を輝かせ守り続けた。 安土桃山時代の天正九年(1581)、キリシタン大名であった豊後国主大友宗麟の焼き打ちに遭って講堂などを焼失したが、仏殿と開山堂等の諸堂は難を免れ、江戸時代の慶長十年(1605)に中津藩主・細川忠興によって伽藍が新築され再興された。
二重門をくぐると、正面石段上に堂々たる茅葺の仏殿が建つ....中世の九州における唯一最古の禅宗様の遺構ということで、歴史を感じさせる。 入口に古びた「大雄殿」の扁額が掛り、奥の厨子には釈迦如来像が鎮座している。
唐破風向拝の見事な彫刻を眺めながらが方丈の前を通り、屋根つき渡り廊下の下をくぐって開山堂へ....「開山堂 無縫塔」の立て札があるので開山堂かと思ったら、開山堂の前に建つ礼拝場の昭堂だった。 昭堂と妻面で繋がる後方の開山堂は室町時代創建だが、江戸時代に建て替えられたとはいえ意外にも近代風の造りのようだった。
昭堂から仏殿後方の石段上の一番高い境内の木立の中に鎮座する本殿へ向かった。 本堂拝観後、再び開山堂の前を通って放生池に....放生池の向こう岸に石造りのりっぱな子育て観世音菩薩像がひっそりと鎮座している。 蓮華座の上で幼子を抱き、お乳をふくませている観音様の慈悲深いお姿がいつまでも心に残った。


仏殿(大雄殿)..室町時代大永四年(1524)建立で中世の九州における唯一最古の禅宗様の遺構..軒下の見事な組物

入母屋造茅葺の仏殿(大雄殿)..江戸時代元禄五~七年(1692~1694)に大修理が行われた


仏殿入口の上に「大雄殿」の古い扁額が掲げられている..大雄殿だから厨子に鎮座するのは釈迦如来像/殿内の天井と屋根を支える見事な組物

庫裏からの屋根付きの渡り廊下で繋がる方丈

入母屋造桟瓦葺で妻入り、唐破風向拝の方丈..方丈の左は旧本堂跡(客殿)

方丈向拝の虹梁、木鼻、蟇股などの彫刻が素晴らしい

方丈への渡り廊下の下をくぐると直ぐに礼拝場の昭堂(明応六年(1497)建立、明和元年(1764)再建)

昭堂の後方が切妻造り桟瓦葺で妻入りの開山堂..江戸時代寛永十三年(1636)の建立だが、創建は室町時代応永元年(1394)


昭堂の内部 昭堂の軒の垂木は放射線状に並ぶ扇垂木で禅宗(唐)様


寄棟造桟瓦葺で千鳥破風向拝の衆寮(位牌堂)/方丈から本殿への傾斜した渡り廊下..新しい国東塔が佇む

石段上の一番高い境内の木立の中に鎮座する本殿

入母屋造本瓦葺の本堂

質素な本堂正面..入口両側に禅宗様の花頭窓..上に「普門院」の額が掛る

本堂から眺めた境内..中央は仏殿(大雄殿)



放生池..奥に子育観世御菩薩像が鎮座/昭和五年(1930)建立..赤子に授乳する微笑ましい姿の観音様

秋葉社への参道..石燈籠・石橋・鳥居が佇む


鳥居の左手に佇む石造経王千部供養塔(市有形文化財)/江戸時代宝暦八年(1758)造立の鳥居(島木が水平なので春日鳥居か)

樹林の中で見つけた擬宝珠高欄を設けた苔生した石の反り橋(宝暦三年(1753)造立)..少し行った右手に伝承の清水・文殊井戸があるが失念

五輪塔など多くの石造物が佇む墓地


反花の基壇上に立つ五輪塔..塔身(水輪)に仏像が彫られている/境内に鎮座する石仏


歴代住持の墓所..右手に整列するのは2~8世(5~8世の墓石は確認)の墓石/左の石柵で囲まれた墓石は開山無著禅師のものと思う

庭に置かれた珍しい形の手水鉢と石燈籠
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