馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

高松山下山中 二つの電話。

2016-08-17 16:26:56 | 日記

 

8月13日(土)

15時 高松山から下山中。

山北の街並みを見下ろせる処まで下りた。

スマホが鳴った。

 

秦野在住の高校同期の友人だ。

彼はブログで明日 私が 高松山登山することを知っていた。

 

彼に時間があれば下山後、飲もうと思っていた。

電話で「お前の母親は、介護病院に面倒みてもらっているが」

「俺のお袋は93歳になる、俺が在宅介護している」

「夕方5時過ぎは、外出は出来ない」

残念だが仕方ない。

私が、金を忘れた事を言うと

「それくらいだったら、朝 連絡くれれば秦野駅まで金を持って行く

又切符もあげるよ」

彼は、電鉄の株主なので、株主優待切符を持っているのだ。

 

私達団塊世代は、かなりの人が介護する親がいる。

終末施設は満杯。

互いに気が重い。

 

友人からの電話以前、14時19分 山道から

林道に下りた時、鶴巻温泉在住の兄から電話が入る。

「今 新宿にいて、これから渋谷に出てお袋の見舞いに行く」

「話があるので、後で又電話する」

元気のない声だった。

気がかりだ。

下山後、山北のスパに浸かりあれこれ思い巡らした。

小田急に乗車中は、新宿駅まで寝入った。

総武線に乗り換え、ウトウトしていた。

18時49分 スマホが鳴った。

アンチャンの表示。

車中なので、切ろうとも思ったが

電話に出た。

車中なので「そちらで一方的に話してくれ」

「11日に、孫が亡くなった」

「新宿に住む娘の処にいた」

「今はお袋の介護病院にいる」

「お袋が腕を掴んで離さない」

「帰るな、帰るな」と言う。

そこで、会話は終わった。

 

妻息子娘に連絡した。

嫁さんの実家信州にいた弟にも連絡した。

 

14日 再び兄から電話があった。

「今、火葬した」

「葬儀は行わない」。

兄嫁の親族にお坊さんがいるので経をあげてもらった。

自宅に祭壇を置き骨壺で供養することにした。

11日 山の日 私は孫の寝顔に微笑みの涙した。

 

同日 兄は8歳の男の子の孫を失い涙した。

 

姪は8年間 生後から病弱であった赤ちゃんを1日たりとも離れず育てたのだ。

祖母の葬儀にも出られず、全てをなげうって全身全霊で見守ったのだ。

だからこそ、8歳まで生きた。

 

アンチャンは都立高校教師を経て

有名予備校の人気講師になった。

71歳で最年長講師。

順調な人生を歩んだが

二人娘の一人が病を患い

そして孫の死。

介護病院にいるお袋には知らせていない。

世の生れ出る運命は選択出来ない。

裕福な子、貧乏な子、病の子。

 

残酷だ。

何と不条理なのか。

 

兄は言った。

「娘は辛いが、やっと介護から解放されて

二人の元気な子供を育てることが出来る」

「外出も出来て旅行にも行ける」

 

8月20日が来ると、お袋は93歳。

虚弱なお袋は長生きしないと思っていた。

口癖は「早く死にたいよ」

私の孫とは91年の年輪差。

 

相模原 障害施設 大量殺戮。

役立たずの人間は殺せ。

歪んだ思い込み狂気殺人。

 

憂いは、この狂気の思想を持った政治家が出現することだ。

第二次世界大戦 学徒出陣で若くして戦死したが

当時のエリート若者なので庇護されていた。

大半は、小学校出ただけの、無名の若者が

戦争の弾薬と同様に消耗品のように戦死したのだ。

 

死ぬことに失敗はないのだ。

 

姪の名前は山から名付けた。

これからは、安穏な日々の生活を願う。