馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

時事放談 シルバイター大いに怒る

2011-03-31 17:13:19 | 日記

330()14

 金融機関にて打ち合わせ中、事務所から府中に住む先輩が来たと連絡あった。

帰るまで待つように伝え、その後、三越前の整形外科で首吊り治療

7階の窓辺から三越本店前を行き交う人たちを見ながら10分間首を牽引。

医師に問う、「1年間治療していますが首の痛みは完治しませんが」?

医師 「加齢もありますがストレスの影響が大きいと思います

気長に治療しましょう」

病も気から 治療よりも景気回復すれば首の痛みも回復か?

どちらも希望は少ない?

事務所への帰り道 スーパー マルエツで発泡酒、日本酒、刺身、揚げ物他を買う。

そして国立に住む先輩に電話して柳橋に来るお誘いをした。

16時半 お二人が揃ったところで早速宴会が始まる。

シルバイター(私のところでアルバイトして頂いた頃に付けた呼び名)

は久しぶりの都心での会話に活き活きとしている。

ずっと昔、TBSテレビで日曜朝 時事放談と言う番組があった。

 

政治評論家の細川隆元

 

小汀利得

 

が毒舌で社会、政治、経済を口角泡飛ばしご老人二人の対談は当時私も20代だったので

「ピンとずれた爺達とも思ったが、その年齢になると怒りの心情と病むに病まれぬ

苦言が理解できる。

シルバイターお二人の会話を聞いていると平成時代の憂いを一気に口から連射する。

ところでと311日大地震当日の時の状況を聞いた。

府中の先輩は奥様と二人で自宅にいた。

驚いたが問題は無かった。

国立の先輩はカンボジア、アンコールワットの観光中だった。

地震発生2時間後だったが、ガイドより悲しいお知らせとして

日本の大地震発生を告げられた。

当初は実感なかったが、ホテルに帰りテレビに映し出される

津波に驚愕、早速日本にいる娘に連絡いれるが繋がらず。

5時間後やっと無事を確認した。

しかし、帰国の飛行機が外国航空の為、パイロットが地震の恐怖で日本行きを拒否

かなりの遅れで出発した。

 

私の感覚は洋画で戦争を描いたストーリーを見ると

危険も省みず救出する場面があるが、本当はそのような精神が無いことへの

裏返しの憧れなのか?

日本人だったら当たり前のことなのだが。

確かに戦争になると歴史上、肉弾戦、接近戦は日本軍、武士は強かった。

大地震災害での東電の右往左往に怒り、日本最大の国難に

未だ損得で応じる与野党にシルバイターは怒り爆発。

マスコミの不甲斐なさを嘆いた。

 

しかし 宴会前驚くべきことが起きそうになりました。

買ってきたつまみの中に、!?食べる前に気付く

つまみの袋に「細切りタイプ やわらかささみ」と明記されています。

イラストの絵柄はワンちゃんが画かれています。

お年寄りには柔らかいつまみが良いと思ったのですが

ドッグフードでした。

寸前でシルバイターお二人にドッグフードを食べさせてしまうところだった。

節電で店内暗く、私も老眼鏡付けず買い物

「親父待て」!息子が気付きました。

20時、大いにストレス発散して家路に向かいました。

以前までは宴会費用は私が出しましたが今回から2千円徴収しました。


まもなく定年

2011-03-31 13:35:29 | 日記

本日のスカイツリー

329日(火)夕方、取引先の方が来社。今月末で退社するので挨拶に来られた。私

が独立してまもなくからの付き合いだ。60歳で定年後、関連会社に嘱託で勤めていたが、先月突然契約解除になった。本来のあれば引き続き契約延長だったが不況で延長はなくなってしまった。

今までお世話になったのでご馳走したいと言ってきた。

私こそお世話になったのでと遠慮したが、
柳橋事務所でささやかに酒とつまみを用意した。

この方はお金を差し出した。約28年間の付き合いになる。

不遇な時や都落ちがあったり、上司の苛めにも耐えてきた。

サラリーマンには出世の為に、上司、同僚、部下を蹴落とし

どんなに嫌われようがお構いなし我欲人がいるが

そんなサラリーマンが定年を迎えた途端、誰も寄り付かず

寂しい晩年を迎え葬儀にも来てもらえず、墓に小便かけられる。

しかし今日の来客は温厚気配りが出来て

あらゆる関係先から送別会の誘いがあった。

私のところに来てくれるのは率直に嬉しかった。

私など会社を辞める時は、石をぶっつけられるがごときだった。

 

来客があると大地震の時は何処いましたか?と必ず尋ねる。
丁度、滋賀の琵琶湖で女房と遊覧船に乗っていた。

なので地震の大揺れには気付かなかつた。彼はそう言うとため息ついた。

被災した人々に想い馳せた。

同じ日本人、同じ日本列島、同じ時間に生じた悲劇と享楽。

35年間勤めあげて妻への慰労の旅を楽しく語れない。

帰り際、奥様へと、蒔絵ボールペンをプレゼントした。

これからは息子夫婦と孫とで静かに過ごすそうだ。

良き晩年はお過ごしください。


 

飲んだ後の食器洗い