『木くばり屋』

身の回りの自然と付き合って生きるのが、山に生きる人の暮らしだと思います。のんびり実践しながら、報告してゆきます。

『ツレうつ』

2011年10月11日 | ある日のできごと
夕食後、本屋で
宮崎あおい×堺雅人の『篤姫』コンビが、
『ツレがうつになりまして。』
という映画に出演するというパンフを見つけた。
思わず、原作のコミックを購入した。


私は5年前にうつ病で勤務していた中学校を休職し、
3年前に復職して小学校で勤務するもすぐ再発、
結局、教員として働いていく道を諦めた。


出産、引越し、子育て、4世代同居の生活、NPO法人勤務、
今の生活は&のサポートあってこそ。
只今さえ、たまらなくなって&と子どもを巻き込んで、
家出ホテル泊の真っ只中。
ずーっと、ずっと、リハビリが必要。


『ツレうつ』

あの「妖怪アンテナ」が立つ感覚とか、
なってみないと理解しがたいものだけれど、
本当にありのままのうつ病の姿が描かれていて、
でも笑えて元気が出て、ほっとした。


頭で理解できていても、何ともならないことがある。
誰かのちょっとした言動がいつまでも頭の中でグルグル。
物音、話し声、ピンと意識が張りつめる。
どうやっても自信がもてなくて居たたまれなくなる。

いつもいつも同じようなことで怖がって逃げ出す私に、
&はよくもまぁ時々はキレつつ付き合ってくれるなぁ・・・。


たくさんのうつ病の人と、その周りの人たちに、
読んでほしい本(マンガですよ)だなぁと思いました◎

故郷

2011年10月02日 | ある日のできごと
今夜は、とても久しぶりに
私が本当に故郷だと思っている家で一晩過ごす。
父と母と、弟と私と息子。

両親の仕事のため、
アパートで核家族育ちの私にとって、
祖父母の家が故郷と思えるところ。


息子を寝かせつけるとき、
よく「故郷」を口ずさむ。


そして、気づいたのは、
この歌は近代日本を支えてきた立身出世の思想を、
前提として、意図的に作られたのかもしれないな・・・と。

「いかにいます父母、つつがなしや友がき」
「志を果たして、いつの日にか帰らん」

あるいは、
近代日本の産業の在り方が生み出した心情を
歌っているだけなのかもしれないが。

「故郷は遠きにありて想うもの」

良くも悪くも、
この心情を至極当然のように感じさせる歌だ。


そうして日本を工業大国にしてきた人たちと、
そうして子を都市へ送り出し、
今となって荒れ果てた田畑を見ては嘆くかつての父母がいる。

そうして荒れていく故郷を見かねて、
その故郷の価値を見つめなおそうと、
そこで生き続けることを選んだ私たちがいる。

時代の移り変わりを感じる。



そんな私の故郷の夜はしんしん冷えて、
父がもうストーブと炬燵をいれてくれた。
相変わらずトイレは家の外にしかない(笑)。

いいことばかりではない故郷暮らし。
大家族での生活は、
何もかも不慣れで不安で、七転八倒。


もとの鍛えようが違うから・・・って思うけれど、
いつかこの故郷でおばあちゃんになって、
チャキチャキと子や孫を支えることができたらいいな。

この故郷で、ぼちぼちと。

6ヶ月

2011年09月29日 | ある日のできごと
息子が誕生して、
半年が経ちました。


毎日、
元気な笑顔を見せてくれます。


今日まで無事に
成長できたことに、
感謝したいと思います。



祝福してくれた皆様、
支えてくれた皆様、
本当にありがとうございます。



明日からまた、
一日一日心をこめて、
ともに成長していきたいです。

木の駅だより

2011年09月28日 | 木の駅
yutoriです。
私の今の主な仕事はNPO法人夕立山森林塾の事務局。
そこで団体運営に関する事務と、
「木の駅プロジェクト」に関わっています。

前は、
木の駅プロジェクトそのものの事務、
出荷された材を計算して、モリ券(地域通貨券)を発行したり、
流通したモリ券を商店から回収して精算したりするのが担当でした。

実行委員会を立ち上げて、
地元の担当の人が代わってくれて、
次第に私の関わる部分は少なくなりました。

地元の人たちの手で動き出した嬉しさと、
足しげく通った場所にあまり足を運ばなくなった寂しさが少し。

私ができることは、
この取り組みで頑張っている人たちの様子や、
願う地域の姿や、おこっている素敵な出来事を、
地域のまだ知らない人たちに伝えること。

そのために『木の駅だより』を、

できるペースで少しずつ発行しています。


産業が空洞化してしまった地方の地域。
だけど、山と田畑とそこでの暮らしと仕事こそ、
これまでの日本を支えてきて、
これからの日本を支えていく大切な資源。
受け継いでいくべき大切なもの。

今の私たちには稼ぎとなる産業は乏しいけれど、
子どもたちの代には副業多業型で、
生活と仕事と稼ぎのバランスがとれた生活ができる地域になる。
食とエネルギーとケアを自給できる安心な地域になる。
自分たちの地域のことは自分たちで決める地域になる。

今は過渡期だから、
みんな全く実感がわかない、自信もない。

この地域は、こんなに素敵なところなんだよ~って、
見渡すかぎり宝の山だよ~、山も、川も、人も、って。
伝えたくて、『木の駅だより』を発行しています。

どうか仲間とつながりますように。
どうか支えてくれる人たちに感謝の気持ちが届きますように。

地元の木でできること

2011年09月26日 | 木の駅
明日の午後は、
夕立山森林塾の代表宅で打ち合わせと作業。

約1tの薪を人力で運ぶためのラックを製作する作業と、
土場からの薪供給についての打ち合わせ。


今、恵那市の中野方、笠置、飯地という3つの町、
笠周(りっしゅう)地域では、
地元のおじちゃんたちが山から木を切り出している。

搬出した木を、軽トラで土場まで運んで、
「モリ券」という地域通貨に替えてもらい、
地元の商店で買い物をしたり、お店で晩酌したりする。

「木の駅プロジェクト」というこの仕組みで、
地元の山をきれいにし、町を元気にしていこうとしている。


11月から、この木が同じ恵那市の山岡町にある
「花白の湯」という温泉で使われることになった。

源泉を加温するボイラーを重油ボイラーから、
薪と重油のハイブリッドのボイラーにかえるのだ。


遠く海を渡って運ばれてきた化石燃料ではなく、
地元地域でおじいちゃんたちが一生懸命植えた木で、
地元の温泉が温められ、地域の人たちを温める。

重油よりも手間ひまかかるけれど、
コストは下がるし、環境負荷も下がる。

何よりも、
孫や子の代に残してやりたいと一生懸命植えてくれた木を、
孫や子の代に安全な山を残してやりたいと一生懸命切ってくれた木を、
地域の人が喜ぶ形で活かすことができる。


笠周と山岡では距離があるから、
いずれは山岡の山の木を使えるようにしていきたい。
でも準備ができるまでは、笠周から応援。


できるだけ効率よく土場から温泉まで木を運べるように。
シンプルに人の力で毎日の薪をボイラーまで運べるように。

ここが工夫のしどころ。
明日は薪ラックの試作と打ち合わせ。
とても楽しみ。