退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

定期演奏会のお知らせ

2015-08-18 11:10:32 | リコーダーを楽しむ


函館リコーダー教会では9月13日定期演奏会を行います。
五稜郭タワー、アトリウムですので、お近くにおこしの節はお立ち寄りください。
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幸福な世界 9

2015-08-18 05:52:58 | 韓で遊ぶ


母とズボン
「あなた、ズボンに小銭入れておいたの。どうか、その癖を直してよ、、、。」
毎朝、妻に言われる小言です。今日も、私のズボンから出てきた小銭のせいで、洗濯機がだめになったと怒ります。良くない習慣であることはわかっていても、直すことができないのは、母の思い出のせいです。
7年前、父が亡くなった後、母はとても辛い時間を送っていました。
「どうしよう。どうしよう。ううう、、、。」
当時、私は軍服務中だったので、2人の姉と妹が悲しみに沈んだ母を世話してくれました。そして妹は、田舎に住む母をソウルに連れて行くと言いました。
「お兄ちゃん、お母さんをソウルに連れてきて私が一緒に暮らすから、心配しないで。」
母を気楽に連れてくるという妹でした。ですが母と暮らしながら楽になったのは、むしろ妹の方でした。母が家のことを全部やってくれるので、何にもしないで過ごしたのでした。
私が除隊してからは、母の仕事は倍に増えました。
「何で、洗濯機があるのに手で洗濯をするの。」
私は小言を言いました。苦労する母を見ながら心は痛かったのですが、実際は言葉だけでした。うわべは母のためを思っている振りをしながら、心の内では、当然、母がしなければならないという風にです。
長い間、父の看病をしながらも平気な人だったのに、、、、。母は子供の世話をする日々に老いていきました。
私は、勉強だとか何かをいい訳にして、忙しい振り、大変な振りをして、母と食卓に座っても、仲良く話をすることもありませんでした。
そんなある日、母が久しぶりに早く帰った私のためにモヤシのスープを作ってくれました。
「洗濯をしようとしたら、お前のズボンから小銭が1000ウォンでできたよ。あぶく銭ができて気分が良かったからモヤシをたっぷり買ったのさ。」
たかが1000ウォンぐらいで久しぶりに明るく笑っていた母、、、そんな姿を何回も見たいという気持ちで、その時からわざとポケットに小銭を入れて置くようになり、その癖が今まで続いていて、妻を悩ましていたのです。
「ん、、500ウォンだね。今日は豆腐にしないと。」
小銭を見つけるたびに、少女のように明るく笑っていた母。わずかの小銭が、母にとっては疲れる日常を支えるささやかな幸福だったのです。
妻の小言を聞きながらも、私がポケットに小銭を入れてしまう理由。愛する母に対する胸がキュンとする思い出のせいです。
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幸福な世界 9

2015-08-17 06:03:27 | 韓で遊ぶ



息子にもらったお年玉
去年の正月でした。久しぶりに夫の実家に帰省するする道。私は全く楽しくありませんでした。その間、仕事ばかりしなければならないのがわかっていましたから。
夫の実家には、嫁に行っていない娘が3人います。ですが、姑の監督下で台所の仕事をする人は、私一人だけです。若い小姑たちが手伝ってくれるとか、男の人が手伝ってくれるとか、、、誰一人、気を使ってくれる人はなく、多くの台所の仕事はいつも私の仕事でした。
去年の正月も、絶える事のない客をもてなすために家の中を走り回っている時、小姑たちは思いっきりおしゃれをして友達に会いに出かけました。
「お姉さんごめんなさい。大事な約束があって、、、。」
「この次は必ず手伝うから。」
きれいな姿の小姑たちと、くたびれた格好の自分が目について比較されることだけでも悲しいのに、幼い息子の心無い言葉まで飛び出し私の腹は煮えくり返りました。
「お母さん、お母さんも叔母さんたちみたいにきれいな服を着てよ。お母さんだけ洋服、きれいじゃないよ。」
瞬間、自分でも知らずに険しい言葉が飛び出してしまいました。
「今、お母さんをからかっているの。どうでもいいことを気にかけないで、あっちへ行って遊んでいなさい。さっさと。」
私の過敏な反応に息子は泣き出しました。怒られて気落ちした息子は、おじいさん、おばあさんにお年玉をたくさんもらっても、不満そうな顔でした。正月から怒ったことが気になりましたが、息子をなぐさめるには私があまりに疲れていました。
疲れた体を引きずって家に帰ってきた私は、そのまま眠ってしまいました。そして真夜中になって目をあけた時、枕元に置かれた白い封筒が見えました。
下手な字で「お母さん」と書かれた封筒の中には、10万ウォン分の紙幣と息子の手紙が入っていました。
「お母さん、僕のお年玉、全部上げます。このお金できれいな服を買って着て下さい。叔母さんたちがきれいな服を着て遊びに行くのに、お母さんは仕事ばかりしていて胸が痛かったです。お母さんもきれいな服を買って着て、お父さんと僕と遊びに行きましょう。お母さん大好き。」
母の悔しさをなぐさめてくれようと、自分のお年玉を惜しみなくプレゼントしてくれた息子、、、。その年の正月、私がもらった最高の幸福は美しい息子の心でした。
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幸福な世界 9

2015-08-16 06:36:47 | 韓で遊ぶ


父とは何だろう
父は気分のいい時、咳払いをします。怒る時には豪快に笑います。子供たちがもらってきた成績が期待した程よくない時、厳しい忠告よりも肩をトントン叩きながらなだめてくれます。
父の心は黒いガラスでできています。だから壊れもしますが、良く見ることもできません。だから父の思いはよく読み取ることもできません。
心置きなく泣く場所がなくて悲しい人。ひたすら心の中でだけで泣いて、表では大胆な振りをする人、、、、。
父が毎朝急いでいくところは楽しいことばかり待っているところではありません。父は頭が三つある竜と戦おうと行きます。押し寄せる疲労と終わりのない業務、うんざりするストレス、、、。そのために辛くても辛いといえない父、、、、。
父は毎日、「自分が父親としてちゃんとできているのか。」と自責する人です。子供が夜遅くまで帰ってこない時、母は何度も心配の言葉を口にしますが、父は何度も玄関を見つめます。
父が見せる笑顔は母が見せる笑顔よりも2倍ぐらい濃度が濃いです。ですが、父が一度涙を見せると、その悲しみの濃度は10倍を超えます。
父は肌寒い秋と寒い冬が行ったり来たりする心を持っています。だから胸に耳を当てると肌寒い風の音が聞こえます。家の中では大人ですが、親しい友と会うと少年になる人、子供の前では祈る姿を見せませんが、一人車を運転して行く時には、大きな声で家族の健康を祈る人、、、。時には家族が幸福であることを祈る呪文を唱えたりもします。
父は死んでやっとそれまで言ってきた言葉を思い出させる人です。
「私の子供たち、いつも夢を持って生きること。」
そばにいる時よりも、亡くなってからより恋しい人。裏山の岩のような名前、田舎のケヤキのような存在、、、。
この世のすべての父親は家族を愛して守る偉大な力を持った人です。
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幸福な世界 9

2015-08-15 06:48:49 | 韓で遊ぶ


大人のためのクリスマスプレゼント
8歳の少年ホンソクにとって、クリスマスは1年で一番うれしい日です。クリスマスを数日後に控えたある日、窓の外に降る雪を眺めながらニコニコ笑っている息子ホンソクを、いとおしげに見つめている父が聞きました。
「何がそんなにうれしいの。」
「もうすぐクリスマスじゃないの。サンタクロースからプレゼントをもらう日だよ。へへへ。」
狭い部屋の隅で静かに本を読んでいた2歳違いの兄が、弟をたしなめました。
「お前はサンタクロースをまだ信じているのか。馬鹿だなあ。サンタクロースは大人が作った話だ。」
サンタクロースを信じているのに、それを打ち消す兄の一言にホンソクが泣きそうになると、父がなだめました。
「ホンソクはどんなプレゼントがほしいんだ。」
「変身ロボット。へへ。」
ホンソクの沈んでいい顔が、明るくなりました。
息子の素朴な願いひとつを聞いてやることのできない父親は、胸が痛みました。その日の夜、父は肩を落として家に帰って来ました。
「あなた、今日も仕事が見つからなかったの。」
冷気が漂う一間の家で、父と母はやっとの暮らしが心配で、大きなため息をつきました。
「、、、、お前、腰のほうはどうだ。」
「変らないわね。早く良くなって私でも食堂に出なければならないのに。」
すでに何ヶ月か仕事を見つけることができずに街をさまよっている父、きつい食堂の仕事をしていて滑って転んで腰を痛めた母、、、、。
貧しいホンソクの家にも間違いなく訪れるクリスマスイブの晩、ポケットが空っぽの父が息子のために準備したプレゼントは、飴一袋でした。変身ロボットは買ってあげられないが息子の夢まで壊したくなかったのでした。
皆が眠った遅い時間、父はホンソクが枕元に置いた靴下を取り上げました。その中にはすでに何か入っていました。ホンソクがサンタクロースに書いた手紙でした。父と母の目頭を熱くしたホンソクの手紙、、、。
「サンタのおじいさん、僕はホンソクです。今年は去年よりずっといい子だったから、プレゼントを二つもらったらダメですか。その代わりプレゼントは父さんと、母さんに下さい。父さんにはいい仕事を下さい。母さんには痛くない腰を下さい。お願いします。」
ホンソクが果たして両親の会話を聞いていたのでしょうか。
その年のクリスマス、、、両親は幼いホンソクから大きなプレゼントをもらいました。大人になってはじめてもらったクリスマスプレゼントは、暖かい希望でした。
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幸福な世界 9

2015-08-14 05:28:52 | 韓で遊ぶ


おばあさんの右手
幼い頃、母が仕事をしていたので私はおばあさんの手で育てられました。釜のふたのように厚く、亀の甲羅のようにかちかちで、荒れた手だったけれど、できないことがない魔法の手、、、、。それが、私が記憶するおばあさんの手です。その手で育てた畑の野菜は新鮮で、庭の花はいい香りがしていました。
おばあさんの手は不思議な力もありました。私がおなかが痛いときには、すぐに直してくれたのですから。
「おばあさんの手はお薬だ、おばあさんの手はお薬だ。」
「おばあちゃん、もうおなか良くなったみたい。本当に不思議だね。へへへ。」
私が7歳になった年、ある日おばあさんと銀行に行くことになりました。家を出る前に、おばあさんは右手に包帯を巻きました。しばし目が行きました。少し前までは何でもなかったおばあさんの手を、私は変だと思って見つめました。おばあさんは手が痛いと言って、銀行の職員に引き出しの用紙を代わりに書いてくれと言いました。
「私が、手が痛くてお願いするのだけど、10万ウォンと書いてくれるかい。」
だから本当に痛いのだと思いました。ですが、こんなに早く治るでしょうか。銀行から無事にお金を引き出して出てきた瞬間、おばあさんは手の包帯をほどきました。
頭が混乱しました。おばあさんが、なんでもない手を隠した理由は何でしょうか。
中学生になって読んだ童話の本で、私はその理由を知りました。本の中の主人公であるお父さんが、薬の瓶の説明書を読むことができなくて、薬のふたを開けられず、結局死んでしまったという内容でした。そのお父さんの話から、包帯を巻いたおばあさんの姿が浮かびました。
その年の夏、私はおばあさんの家に行きました。夏休みの間おばあさんにハングルを教えてやるためでした。今まで誰も気づいてあげることのできなかった、おばあさんの苦悩であり、願いをかなえてあげた孫娘を健気だと言って、おばあさんは良い生徒になってくれました。
「川、、、畑、、、地、、、、」
そうやって夏休みの1ヶ月を田舎で送った私は、秋の休みにもまた来ることにして、おばあさんと別れました。それがおばあさんとの最後の別れになるとは夢にも思いませんでした。
その年の秋、おばあさんは亡くなりました。まるで最後の遺言のように、こんな文章を残しました。
「先生、キムウネ、、、生徒イマルレ、、、」
生涯、読み書きができず生きてきたおばあさんに、文字を教えてあげた幼い孫娘はありがたい先生だったのでした。
死んだ草花さえも生き返す美しい手を持っていたおばあさん、最も立派な生徒、、、、。おばあさんが恋しくなると、私はおばあさんの書いた文字を見ながらその暖かい愛を繰り返して思ったりします。
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幸福な世界 9

2015-08-13 07:29:01 | 韓で遊ぶ


息子は掃除夫
9歳になる2番目の子は、とてもせわしなく散漫なところが多い、いたずらっ子です。とんでもない面も多く、やきもきさせる主人公です。褒めることはおろか怒られなければ幸いというところです。
そんな子が、ある日お風呂をきれいに掃除して私を驚かせました。はじめて見せた大人びた行動に、私はとても喜んで言いました。
「チャンウが掃除を全部やったの。まあ、えらいわね。」
それは、私が子供にしてあげた初めての称賛でした。母の称賛に自信感をもらったのか、子供には将来の希望が生じました。
「ママ、僕、今度大きくなったら立派な掃除夫になる。」
年端の行かない子供が言うことだからと思って、聞き流していたのですが、、、。学校で父兄会があった日、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けて帰って来ました。
各自の将来の希望を書いて貼ってある子供の私物箱。子供の名前の前で私は凍り付いてしまいました。
「なんなの、将来の希望が本当に掃除夫なの。」
勉強ができるようになれば、変るのではないかと思いました。
「今日から英語塾に通わせなきゃ。勉強させなきゃ。」
私の作戦の効果があったのか、何日か後、息子の日記帳には、私が満足するような話が書かれていました。
「これから英語を一生懸命勉強しなければならない、、、。」
「あの子もわかったのね。」と思って安心したとたん、それに続く言葉にがっくりしてしまいました。
「英語を一生懸命勉強して、絶対にアメリカのビルの掃除夫になるのだ。」
後で担任の先生を通して聞いたところ、息子は毎日のように、このクラスあのクラスと回って靴箱を整理して、汚いトイレ掃除を一手に引き受けるいい子だということでした。掃除に命を捧げた人のように、手から箒を離すことができない、、、これぐらいになると息子の考えを尊重してやらなければと思いました。無条件に反対ばかりするのも脳がないですから。自分が好きで得意なことに熱中して没頭する姿、それよりもやり甲斐のあることがあるでしょうか。
「チャンウは本当に掃除が上手ね。」
子供にとっての特効薬とビタミンはママの称賛だったのでした。人に与えられた才能を見つけ出して仕事のできる人になるように導いてやる称賛の力、、、。うまく蒔かれた言葉の種が人に実を結ばせる栄誉分なのです。
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幸福な世界 9

2015-08-13 07:21:51 | 韓で遊ぶ


今日から新しい本です
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幸福な世界 7

2015-08-12 05:37:56 | 韓で遊ぶ


美しいおしゃべり
土曜日の午後、満員に混んでいるバスでのことです。
客がとても多くて足の踏み場もないバスの中で、私を腹立たしくさせたのは人が多いことでも、立っていなければならないことでもありませんでした。母親と思われる人に、休む間もなく話続ける子供のせいでした。
「今日は本当に空が青いよ。母さん、バスはすごく混んでいて人がいっぱいだ。」
「そうかい、、、」
子供は9歳ぐらいに見えました。
「母さん、今、幸福うどん店の前を通っているよ。その前の街路樹の葉っぱは、僕の手よりもずっと大きいよ。」
子供が母親にする話は、主に通りの風景に関することでした。道端に連なる店の看板を、ひとつ残らず読み続けるので、だんだん、その子供よりも母親に腹が立ち始めました。子供をやめさせるどころか、ずっと「うん。そうなの。」と答える態度が、子供のおしゃべりを助長しているように見えるからでした。
「母さん、あの喫茶店では甘いココアがあるって。おいしいだろうか。」
「そうだね。おいしいだろうね。降りて飲みたいね、、、、。」
子供のおしゃべりが止まりそうもないと思った乗客の何人かが、これ以上は我慢できないとカッと声を上げました。
「母親がほっておくから子供がうるさいじゃないか。まったく。」
「うるさくてたまらない。静かにできないのか。」
年をとった大人が怒ると、怖くなった子供は口をつぐみました。私はその姿を見てさっぱりしました。泣きそうになりながら母親の手をいじっている子供の表情には、誰も関心を持ちませんでした。子供がそれ以上騒がなかったのでバスの中はシーンと静かになりました。
やっと、その子と母親がバスを降りることになりました。バスが止まってドアが開くと子供は母親に言いました。
「母さん、着いたよ。僕の手を握って。絶対に手を離したらダメだよ。母さん。」
子供は母親がバスの階段を下りることができるように、手を差し出しました。そうすると、母親は子供の手をしっかりと握って、1段ずつゆっくり足を降ろしました。彼女は目が見えなかったのでした。
「あ、こんなことが、、、」
愛する子供の顔さえも見ることのできない母親。子供は母親の目で見えない世の中を、心の中だけでも描いて見ることができるようにと思って、バスに乗って行く道々絶えることなく話をしていたのでした。子供のおしゃべりは、バスから降りるとまた始まりました。そのおしゃべりは、私が今まで聞いてきたおしゃべりの中で一番清らかで美しいものでした。



幸福な世界7はこのお話で終了
次は10巻です
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幸福な世界 7

2015-08-11 05:37:10 | 韓で遊ぶ


娘のためのマラソン
1年前には少しも走ることができず、力なく座り込んでいた40代の家長がフルマラソンに挑戦しました。
彼は長らく闘病している娘に希望を与えるために、マラソンを始めました。マラソン歴1年目のキムホギュさんがその主人公です。
彼の家庭に黒雲が垂れ込み始めたのは、去る2000年の春でした。当時、中学校2年生の長女のイニョンが重症筋無力症で病院で治療を受けている時、悪いことが重なり、妻までもが慢性腎不全が悪化して入院することになったのでした。彼は奔走し、辛い日々を送らなければなりませんでした。
「イニョン、、、かあさん、、、」
妻と娘の病床を行ったり来たりして真心をこめて看護してもう4年を超えました。幸い妻は腎臓移植を受けて病状が早く好転していきました。ですが娘の病状は良くなりませんでした。依然と薬と注射に頼ったまま、苦しく生きていました。とても足が長くて、かけっこをすればいつも1等をとっていた娘に、暖かい希望を吹き込んでやりたいと思いました。それで選んだのがマラソンでした。
「そうだ、がんばって病気と闘っている娘のために、かっこよく1回やってやろう。」
彼の事情を知っている人たちは、やめるように説得しましたが、彼はあきらめることができませんでした。今の娘に一番必要なものは、全快するという希望だということを知っているからでした。ですがハーフマラソンに出場した時でさえも途中で棄権してしまうような素人に過ぎませんでした。
「無茶なことだ。そんなことをしていたら君まで病気になる。やめろ。」
周囲の人は、この辺でやめるようにと気をもみましたが、そうするほどに彼の覚悟は固くなっていきました。そうやって1年後、彼ははじめてフルマラソンに挑戦することになったのでした。
30キロ地点からは腰が切れるような痛みがついてきました。足はとても重たく、挙句の果てに、足までつって道路の上をごろごろ転がりました。
棄権という言葉がのどまで出掛かりましたが、これよりもひどい苦痛の中で耐えている娘を思い浮かべて彼は耐えぬきました。
「恐ろしい病魔の前でもあきらめないイニョンもいるのに、俺がこのぐらいで引き下がることはできない。がんばろう。」
すぐにでも倒れそうにふらつく体をやっと起こして、彼は死ぬ思いで走りました。そしてとうとう決勝線を越えた瞬間、彼はあえぎながらもまずは娘に電話をかけました。
「イニョン、父さんが完走したぞ。とうとう完走したぞ。」
「よかったわ。お父さんのおかげで力が湧いてきたわ。お父さんありがとう。」
ひたすら娘のために死ぬほどの力を出して走った42.195キロ。そして手にした銀色の完走メダル。彼はその希望のメダルを病床にいる娘の首にかけてやりました。
娘が病気を振り払って起き上がり、一緒に走ることができる日まで彼は希望のかけっこを止めません。
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