人生は水が流れるように流れていく
世の中を生きていくのに困難なことに耐え抜いて夢を実現する力はどのようにして手に入れることができるのか。答えは簡単だ。今よりももっとひどい状況にならないことに感謝することだ。そうすれば勇気がわく。暗闇のトンネルに未だに入って行かないで、自分が一番つらいという資格がない。多々、つらいと感じているだけだ。しかし、私はつらいと感じている貴方を応援する。今がつらいと感じているならば、あきらめないで人生を競争しているとしたら貴方はよくやっていると言うことだ。それがたとえ挑戦でないとしても今のつらさほどに良くやっていると言うことだ。オリンピックでメダルを取った選手を見てみよう。彼らが普段流す汗は想像を超えている。泰陵選手村に行って直接彼らの訓練の場面を見たならばあきれてしまうだろう。テレビで見るのはほんの一部分に過ぎない。オリンピックやアジア大会に先立って少し誇張して、一日24時間訓練だ。寝るときもマインドコントロールだ。ひたすら訓練だけ考え自分長所短所を把握して、弱点をどのように治すか研究する。私達が簡単に「血の出る訓練」と表現するが、この人たちは本当に血の出る訓練をする。この人たちが日ごろ流した血と汗が支えとなってよい成績をもたらすのだ。訓練中はどんなに苦しくつらいか。時間が過ぎても伸びない実力とスランプ、運動を止めたいと言う重いがいつも苦しめている。マラソンの英雄ファンヨンジョは1992年バルセロナオリンピックで金メダルを取って故郷に錦を飾った後の記者会見で「訓練をしているときはとてもつらくて走っている車に飛び込みたい時もあった。」と吐露した。そうだ。運動選手こそ「今がつらければ、よくやっていると言うことだ」を言う命題を実践している例だ。
難しくつらい事を耐え抜く知恵と習慣は無意識的であろうと、なかろうと学習によって作られる。そして一度作られた価値観は容易に変えることができない。だから、誰に学んだかが非情に重要になる。
「先生、私は得意なことが何もありません」
このように話す若者がいる。そうではない。観念の枠に縛られていて得意なことが見えないだけだ。
幼い頃から診てきた学生が一人いた。正常人だというには難しく、知能も若干落ちる学生だった。若い頃その子を診て果たしてちゃんと成長し健康的な社会人になることができるのか、苦しく話をした。勉強にははっきりと才能がなかった。しかし、その子は映像と撮影に関心があった。映像と撮影の技法に執拗に専門性を育てて見たら、今はMBCテレビ撮影技師として勤務している。本の中の話と思うだろうか。はっきりと言えることは得意なことがなくても必ず自分の道があるということだ。耳を傾け苦悩しながら自分だけの道を、自分だけの解等を探しなさい。他人の話に耳を傾けない人が意外と多い。自分を縛り付けていた旧世代の価値から抜け出して自分の得意なこと、自分の観点を探しなさい。疎通不能は体の一部分の軟弱な一種の障害だ。疎通は組織と社会が望む最高の印象だ。
良い習慣を身に着けた人は心が健康で、過ぎたことを早く忘れ、与えられたことに集中する。しかし、心が弱い人は過去を恋しがり未来を心配する。考えが分散して現在に没頭するエネルギーがなく時間を浪費する。傷をパッパッと振り払って「大丈夫だ、これもまた過ぎていくことだ」と自ら慰める過程のなくして未来を準備することはできない。心を健康にすることは現在を上手く生きる秘訣であり、競争力であり、武器だ。
誰も、流れていく水に2度手を浸すことはできない。すでに過ぎたことや、一度下した選択、そしてまだ来ない未来に対する不安とか執着ほど無意味なことはない。劣等感は時には物事を成就する動機を与え適当なストレスが生活に活力をくれる。
成功の基準が、勉強が1番、学閥、家柄、スペックだという考えに陥って見ると未来が制限される。他の人とは違う才能があるにもかかわらず対人関係や社会生活の中で傷つく。相手側はあるがままの自分の姿を見ているのに、ひとりでに萎縮して縮こまる。私達はマスコミで形成された鏡で自分を見る。
忘れてはならない。世界に数十億の人が皆違うように生きる方法もそれぞれだ。最もよく似合う服を選ぶ時のようにその方法を探せばいい。貴方は服を買うときにどうしますか。めんどうくさいといって着もしない服を買う人がいることはいる。特に男の人はそうだ。しかし大部分はこの服、あの服と着ては脱いでみる。どんな服が良く似合うのか着てみなければよくわからないからだ。買い物をしょっちゅうしてみると、体型の長点を生かし、短所を隠す服をさっと探せるようになる。はじめは失敗してもだんだんノウハウが生じる。何回も着てみなくても自分にぴたっと合って楽な服、長く着ることができる服を見つけることができる。人生のビジョンも同じだ。自分に合っているビジョンを見つけようという心で一生懸命探してみればノウハウが生まれる。試行錯誤があっても絶対に失敗することはない。
テレビ番組の中の「ギャクコンサート」と「無限挑戦」は家族が一緒に見て楽しめる芸能番組だ。この番組が長く続いている秘訣は平凡で少し足りなく見えるキャラの人たちがそれぞれに自然に個性を見せるからだ。「ギャクコンサート」の「4つのコーナー」を見てみよう。「そうだ、私は人気がない」「そうだ、私は田舎くさい」「そうだ、私はチビだ」「そうだ、私はデブだ」と言いながら自分の弱点をむしろ笑いに昇華させている。「無限挑戦」のユジェソク、パクミョンス、チョンジュナ、キル、ハハ、チョンヒョンドン、等の出演者は皆、厳しく育てられた子供とは程遠いキャラクターだ。だから普通の視聴者達が気軽に楽しむことができる。だから、この人たちが繰り広げるバラエティは飽きることなくいつも新しい。固有の強点を上手く生かすと短い命の星でなく長く輝く星になることができる。
学校の勉強が一番重要だと思って子供達を追い立てる一番前にはいつも大人がいる。優等生が社会生活も上手いだろうか。学校の成績が良いと人生が上手く開ける確立が高くはなる。しかし、学校の勉強は上手くできなくても人生がちゃんと送れていたらそれもやはり成功する可能性が大きい。「学ぶことができなくて独学した人は会長になって、優等生はその秘書をする」という笑い話がある。実際にそのようなケースもたくさん知っている。むしろ学校の勉強だけを一生懸命して、人生の勉強をおろそかにしたならば内面が傷ついて病気になることがある。
私が子供の頃、母は私に「勉強しろ」とは言わなかった。代わりにいつも農業の手伝いしろといった。むしろ農業の手伝いをしたくないために宿題をしなければならないといって部屋に閉じこもり勉強する振りをした。そうしては友達と山に行って、ウサギを捕まえ、川原に行って魚を捕まえ、遊びまわった。秋になると収穫が終わった畑でサッカーをして何日か徹夜をして演劇の準備をした。今思っても本当にロマンチックだった。
私は今、大学院に通う娘と大学の最終学年の息子がいる。母と同じで私は子供たちに勉強しろと強要したことはない。もちろん気に入らない時「なぜそうなんだ」という言葉がのどまで出かかったが、我慢したことはある。息子が国家試験の勉強をしていたが中断したと気がそうだった。1次まで合格していながら辞めてとても惜しいと思った。続けることを勧めたいと思ったがこらえて、まずは息子の考えが何かを聞いてみた。息子の考えは司法試験ではなくロースクールだった。今まで自分でやってきたのだから、これからも自分でやるように任せた。
だが、毎日毎日テレビを見て、居間から動かないのを見て気持ちが急いた。どうしようか悩んだが、一緒にテレビを見て番組についてあれこれ話をし始めた。そうしてみると父子間がより親密になり、息子がどれぐらい具体的な計画を持っているのかを知ることになった。息子は本格的に勉強をするためにまず自由奔放に休息をしているところだった。言い訳ではなく具体的なスケジュールだった。万一これを知らずにはじめに問い詰めたら父子間の信頼も壊れただろうし、息子の計画にも支障が生じただろう。
やっていた事が滞り、上手く進まなくなった時、自分を余り攻め立てると、心の寄りどころがあるだろうか。心は安らかな休み所にならなければならない。そうしてこそ無になって再発見する事ができる余地を持つことになる。余り散らかったならば収集しなければならないが、それでも一度はとんとん自分を抱きしめることを願う。これが心を無にすることと再発見の原動力だ。
「一等ならば、上手く生きて出世する」という考えを無くすと、代わりに「得意なことに集中すれば上手く生きて出世する」という考えを再発見することになる。発想の転換を習慣化すればいつでも望む方向に人生を設計することになる。私達はどれぐらい長い間、観念の枠に縛られているのかわからない。観念の枠を抜け出すことが無になることで、新しく定義するということが再発見だ。「病院は病気の人が行くところ」という考えをすてて「病院は病気でない人の行くところ」という再発見をした結果がまさに健康診断だ。
この世の中を変える力は概念だ。概念は意味だ。意味があれば人々は多くの対価を払っても選択する。意味は価値であり価値は主観的だ。いくら高価な皮で作ったかばんでも有名なブランドでなければ人々は選ばない。シャネルとルイヴィトンを選り好みする理由は信頼に値するブランドだからだ。自分の価値をブランドが表現してくれると信じているからだ。一度の人生、自分だけのブランドとしてかっこよく生きてみたらどうだろうか。世の中は広くやることは多いから見識を広げなさい。人生は水が流れるように流れていく。今、この瞬間、心の中の重荷と悩みを自ら払ってみよう。自分に話をして自分に勇気を与えて見よう。明らかなことは、天が崩れるような苦悩も過ぎて行っている。とてもつらいことは時間に任せて見よう。
大丈夫、これもまた過ぎていくだろう。
世の中を生きていくのに困難なことに耐え抜いて夢を実現する力はどのようにして手に入れることができるのか。答えは簡単だ。今よりももっとひどい状況にならないことに感謝することだ。そうすれば勇気がわく。暗闇のトンネルに未だに入って行かないで、自分が一番つらいという資格がない。多々、つらいと感じているだけだ。しかし、私はつらいと感じている貴方を応援する。今がつらいと感じているならば、あきらめないで人生を競争しているとしたら貴方はよくやっていると言うことだ。それがたとえ挑戦でないとしても今のつらさほどに良くやっていると言うことだ。オリンピックでメダルを取った選手を見てみよう。彼らが普段流す汗は想像を超えている。泰陵選手村に行って直接彼らの訓練の場面を見たならばあきれてしまうだろう。テレビで見るのはほんの一部分に過ぎない。オリンピックやアジア大会に先立って少し誇張して、一日24時間訓練だ。寝るときもマインドコントロールだ。ひたすら訓練だけ考え自分長所短所を把握して、弱点をどのように治すか研究する。私達が簡単に「血の出る訓練」と表現するが、この人たちは本当に血の出る訓練をする。この人たちが日ごろ流した血と汗が支えとなってよい成績をもたらすのだ。訓練中はどんなに苦しくつらいか。時間が過ぎても伸びない実力とスランプ、運動を止めたいと言う重いがいつも苦しめている。マラソンの英雄ファンヨンジョは1992年バルセロナオリンピックで金メダルを取って故郷に錦を飾った後の記者会見で「訓練をしているときはとてもつらくて走っている車に飛び込みたい時もあった。」と吐露した。そうだ。運動選手こそ「今がつらければ、よくやっていると言うことだ」を言う命題を実践している例だ。
難しくつらい事を耐え抜く知恵と習慣は無意識的であろうと、なかろうと学習によって作られる。そして一度作られた価値観は容易に変えることができない。だから、誰に学んだかが非情に重要になる。
「先生、私は得意なことが何もありません」
このように話す若者がいる。そうではない。観念の枠に縛られていて得意なことが見えないだけだ。
幼い頃から診てきた学生が一人いた。正常人だというには難しく、知能も若干落ちる学生だった。若い頃その子を診て果たしてちゃんと成長し健康的な社会人になることができるのか、苦しく話をした。勉強にははっきりと才能がなかった。しかし、その子は映像と撮影に関心があった。映像と撮影の技法に執拗に専門性を育てて見たら、今はMBCテレビ撮影技師として勤務している。本の中の話と思うだろうか。はっきりと言えることは得意なことがなくても必ず自分の道があるということだ。耳を傾け苦悩しながら自分だけの道を、自分だけの解等を探しなさい。他人の話に耳を傾けない人が意外と多い。自分を縛り付けていた旧世代の価値から抜け出して自分の得意なこと、自分の観点を探しなさい。疎通不能は体の一部分の軟弱な一種の障害だ。疎通は組織と社会が望む最高の印象だ。
つづく










