101歳の画家
ハリー ライブマンはポーランド人で、27歳の時にアメリカの地を踏みました。英語もできず異邦人だった彼が持っていたものといえば、6ドルのお金と小さなカバンがひとつでした。
「たとえ、今は貧しくても一生懸命努力して、必ず大きく成功するんだ。必ず。」
慣れない異国の地に根を下ろすために、彼は汚い仕事であれ、つらい仕事であれ、任せられた仕事は最善を尽くして働きました。着実で誠実なハリーは、どこでも認められて、働くほどに手にしたお金も多くなりました。
彼はお金をもらうとすぐに貯金しました。小さなことひとつでも節約する習慣で、生活は日増しに豊かになっていきました。後日、彼は大きな金持ちになりました。壮大な邸宅とたくさんの財産は、彼が一生懸命生きてきた痕跡でした。
ある日、70歳を超えたハリー ライブマン、、、。彼は余生を静かに送るために、すべての仕事を整理しました。会社に出勤していた足を老人学校に移し、忙しく書類を見ていた時間を友と会う時間に当てました。そんなある日、唯一の話し相手の友達が、病気になって老人学校に来ることができませんでした。
「あ、今日は何をしようか、、、、。」
つまらなく退屈な時間をつぶすために、彼は日の当たる公園の椅子に座りました。その時、前を通り過ぎた一人の青年がハリーに声をかけました。
「おじいさん、すごくつまらなそうに見えますね。この美しい景色を目でだけ観賞しないで、直接描いてみてはどうですか。」
「私が、絵を。ハハハ、私は筆の持ち方を知らないよ。」
70を超えた老人が、何か新しく始めるというのは無謀なことだと思いました。ですが、彼は勇気を出して美術学院に行きました。背中が丸くなり筆を持つ手は震えましたが、彼は若い頃の覇気を現しました。いつの間にか白い画用紙は彼だけの空間になり、色々な絵の具は自分を表現する翼になりました。
何年か後、彼は初の展示会を開きました。世界は彼に向って惜しみなく賛辞を送りました。評論家は彼をして「アメリカのジャガール」と褒め称えました。
年という限界に縛られず、自分の人生の熱情を出し切ったハリー ライブマン、、、。彼は多くの人々の関心と激励の中で、死の瞬間まで絵を描き、多くの作品を残しました。22回目の展示会を開いた時、彼の年は101歳でした。










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