退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

幸福な世界 9

2015-08-24 06:40:09 | 韓で遊ぶ


対話が必要だ
父が脳梗塞で倒れて危ないという連絡を受けたのは、父が長い教職生活を終えて1年経った、ある日でした。あたふたと駆けつけた釜山の病院で、父は生死の境をさまよいうめいていました。
あまりにも厳しくて近づきがたい人。学生たちにとってはいい先生だったのですが、家族にとっては愛情表現の下手だった父、、、、。
友達のように父との仲よくできませんでしたが、父の病気の知らせに気持ちがドスンと落ちたような気がしました。キビがらの様にからからにやつれた父を見て、涙が出ました。
「お父さん、、、ううう、、、。」
幸いにも、危ない山を越えましたが安心することはできませんでした。その上、顔と半身が固くなり日常生活が難しい状況でした。
「青春を、、、返して。私の青春を返して。」
今まで歌ったことのない歌を歌って、食べ物をくれと子供のように駄々をこねる、、、。謹厳で自信感にあふれていた父の以前の姿は、探すことができませんでした。
4ヶ月の病院生活を終えた父が家に帰って来て、うちの家族には大きな変化が起こりました。以前には対話もなく、一緒に外出することも我が家にとっては見慣れない風景でした。
ですが、父を襲った病気は、朝が来るたびに3人家族が手をとって散歩に出かける機会をくれ、一緒に運動をして、のり巻きを分けて食べる仲睦ましい時間を与えてくれました。
少し前に家族がそろったところで父が学生時代の話をしてくれました。
「オニョン、高校の時の僕のあだ名は何だったかわかるかい。ホ博士だ。ホ博士。」
「私には、ホ老人だと言ったわ。」
「あ、それは中学校の時のあだ名だ。」
他の家ならばすごく普通の対話ですが、我が家にとっては、はじめて経験した特別なものでした。互いを知っていく時間です。
中風にかかった父を見て、天を恨んだこともありました。ですが、ある時から今回のことが、天がくれた機会かもしれないと思いました。遅ればせながら、父の手を取って父に歩調を合わせて並んで歩けるようになりましたから。
父に対する愛で、より強くなっていくうちの家族、、、。そうやって暖かい気持ちだけは永遠に一緒です。
コメント
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