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友達、家族、同僚、自分の周囲の人たちの心を
楽にしてあげることが修行です。
よく知りもしない遠くにいる人が
どんなにあなたを尊敬して、何になりますか。
まさに自分の周囲の人たちが
自分のために苦しんでいたらの話です。
よく知らない人が尊敬することは
自分ではなく虚像を想像してするうそです。うそ。
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自分自身を低くすることは人に負けることではないかと
訊く人がいます。
ですが、自分が少し負けても、自分がより大きいものを成就するならば
それはまさに勝つことです。
少しかがめば心の平和、家族の中での幸福、みな同じく上手くいく
大きな結果を得ることができます。
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他人を簡単に判断する道徳的潔癖主義者は
本人が持っている傷をちゃんと観照することができない未成熟者です。
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下の人だという理由で業務と関係のない使いを頼まれました。
嫌気がさっと上がってくる時、何度も考えながら嫌気を出さないで
上司が頼んだ使いをただやってあげなさい。
嫌気を出すと大したことでもないことが何倍にもつらくなり大きなストレスになります。
ただやってあげれば、すぐに忘れることができるじゃないですか。
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自分の周りの人々を自分にあわせて変えようとしないで
むしろ変えようとする自分の欲望を捨てることがずっと早いです。
自分の心も自分の心のままにできないのに
どうして人を自分の方式通りに変えられますか。
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幼かった頃好きだったのに今はそうでもないもの、
エアコンの風、食べ放題、恐怖映画、飛行機に乗ること、大都市、夜遊び、、
幼い頃は嫌いだったのに今好きなもの、
雑穀米のご飯、歩くこと、瞑想、一人でいること、モーツアルト、運動、車、、、
自分でも知らないうちに変ります。そして今も変っています。
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過去に執着しながら世の中と人が変ったと感嘆しないでください。
過去の枠にあわせて現在を裁こうとする悲しいことです。
今の変化を受容しなさい。
望もうと、望むまいと世の中と私たちの人生は変り続けます。
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無所有は
何も持たないと言う意味ではない
持っているものに対して執着しないと言う意味です。
違うと思う時、すべて捨てて旅たつことができてこそ、本当の自由です。
反対に、なくて葛藤を感じても無所有と言う理由で
我慢して暮らすことは本当ではありません。
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僧の間で本当に尊敬された偉大な僧は
法文が上手いとか
姿がかっこいいとか
名門大学を出たとか
大きな寺の住職をしているとか
未来を上手く予測するとか
病気を治してくれる僧ではなく
行で若い僧たちに教えをくれる方です。
偉大な僧だと後ろに下がっているのではなく
自身が率先して模範を示す姿に
僧たちは大きな感動を受けて下心するのです。
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修行者が心を改めて悟ろうとしたら
通り過ぎる幼い子供にも学びを得て
自分が侮辱される状況にも大きい悟りを得ます。
実は世の中全体が私たちの師匠です。
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自分の心を覗いて見させるようにしてくれる人は
自分をほめてよくしてくれる人ではありません。
自分の心の勉強は
自分を侮辱して、叱って
自分を失望させて苦しませ
そんな人たちによって始まるのです。
その人たちこそ菩薩の化身です。
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誰が本当の修行者なのか、そうでないのか判断する方法があります。
思いっきりほめてやって、また思いっきり批判してやってください。
心の動揺があれば、その心の根本の場を忘れていると言うことです。
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自分を悪く言った時、カッとなって押して上がってくるその心や、
自分をほめた時に笑ってしまうようなその心は
実は二つではありません。
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修行者は多くの人と共に生きる時
一人生きるように生きなければならず
一人生きる時、多くの人と共に生きるように
生きなければなりません。
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私たちが他の人と深く正直な会話をしながら
互いに共感してひとつになれば本当に幸福です。
ですが、その対象を外にだけ見つけないで
自分の心を深く知って、自分の心を理解する状態になってみてください。
それ以上比較できない自由と幸福をいただきます。
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道人(仏道の修行をする人)の他に道人はありません。
知っているが言わないで我慢する力、
変化させることができるが、その人が自ら学ぶことができるように
黙って放っておくことのできる力があってこそ道人です。
人に見せてやる道は、まだ、未熟な道であるだけです。









