
11月15日分直しました
死を考えると利己的に生きることができない
多くの人が「どうやって生きることが、よく生きて勝つ人生だろうか。」と質問する。私は「どうやって」ではなく「何のために」に代えるようにと答える。「どうやって」に集中すると人生の本質を取り逃がしてしまうことがある。何のために今自分が存在するのかをいつも念頭に置くことを望む。
世の中を生きていくことを前にして「空手来、空手去」と言う。何も持たないで生まれて何も持たないで死んでいく。お金と名誉、権力と愛する人、すべてを置いて行かなければならない。生と死の分かれ道で静かに笑って行ける人が多くない理由は何であろうか。世俗の哀歓と心配と辛苦で一杯に充たされた人生から分離されることができないからだ。
世を去る時に笑うことができる人はどんな人だろうか。2回目の人生を生きるように人生を品位を持って生きた人だ。この世に執着しないで、次の世界に備えて永遠な人生を追求する人だ。本当に不思議なことだが、所有のため地団駄を踏んで生きる人の結末は悲しみで一杯だ。しかし、所有に執着しない人、特に来世にある審判と永生を信じる人は、この世を去る時、笑うことができる。
世界征服の偉大性を叫んだアレキサンダー大王の短い人生は戦争で充たされていたが、同じ時代を生きたギリシャの哲学者ディオゲノスは小さな桶の中での自由がより貴重だとした人だった。どっちが価値のある人生を生きただろうか。この世を去る時、笑うことができる人は他人を征服する人ではなく、他人のために善なる目的を持った人だ。
生前に葬式を開いた人がいると言う。結婚式のように日にちを決めて、招待したい人を集めた。この間、生きてきながら感謝する人に感謝して、謝罪しなければならない人に謝罪する。生前に味わった喜怒哀楽を共に分け合って棺おけの中に入ったりもした。まるで映画のワンシーンの様ではないか。静かに死を準備する姿が印象的だった。
死ぬ力があれば生きていく力をもらっても余りある。世を去る時、笑うためには利己的な目標を捨てなければならない。自分が上手くいって、欲望を成し遂げて、成功したと笑うことではない。利己的である目標と夢は力が弱い。持続性が短い。共同体の利益と価値を実現するところに寄与してこそ、永遠性を持つ。私利私欲を捨ててこそ、やっと大きなものを得ることができる。手にぎゅっと握らないで、広げてこそ充たされる。握っているとそれだけだ。
私は若い職場人に「お金を追いかけないで人を追いかけなければならない。」と言う。お金を追いかけると、お金も失い人も失う場合が生じるが、人を追いかけると価値を学ぶことになる。成功する人生の核心は、誰に会ったかによって決定されると言っても過言ではない。
人に対する理解力が正にリーダーシップだ。個人の人生にも出会いが重要だが、企業の成敗もそうだ。どんな人を採るかによって組織の未来が変わり、構成員がどんな考えを持っているかによって成果が決定される。
いくらか前に、ある中堅企業の幹部があたふたと私を訪ねて来て、悩みを吐き出した。彼の夢は世界的な企業の創業主になることなのだが、いつ創業すればいいのか、職場生活をいつまですればいいのか、わからないと言うことだ。突然の質問に私はしばしためらったが、反対にいくつか聞いてみた。
「夢をいつから持っていますか。」
「ずいぶん前からです。一日も欠かさず夢をかなえようと思いました。」
「そうですか。今の職場でコールセンターを含む顧客支援部署の責任者をなさっているようですが、ずっとこの仕事だけをして来ましたか。」
「はい、そうです。入社して13年間ずっと顧客支援業務だけして来ました。」
「顧客支援部署だとは、顧客満足分野に対してとても精通しており、専門性を持っていらっしゃいますね。コールセンターに電話がかかってくると、声だけ聞いても顧客の怒っている程度を判断して、それにあわせた処理をすることができますか。」
「いいえ、まだそんな水準まではできません。仕事ができるといわれますが、絶対だという水準ではありません。」
「正に、それが問題です。夢とビジョンは卓越していますが力量と努力は一般的な水準なようですので、創業をしても勝算が低いと見ます。夢見る分野で卓越した力量を持たなければなりません。今の仕事が自分の事業だと思いなさい。その心で後1,2年勤務しながら事業力量をより高めてみて、力量を認められたなら、必ずしも創業ではなく、生涯職場の概念として勤務してもいいことです。」
夢とビジョンが偉大ならば、自分の力量もまた平均を飛びぬける卓越感を持つように努力しなければならない。職場と言うのは安全な囲いの中で慰めばかり受けようとしたら、職場でさえ勝算がない。任された仕事の本質を看破して、最高の専門性に挑戦しなければならない。個人のビジョンと職場での卓越感が繋がった時、個人と企業の成果を極大化することができる。
最近、経済が難しくなりリストラで職場人が困難に置かれている。こんな時こそ月給取りでなく事業家の気質を育てなければならない。事業アイテムがあるならば、達人の境地に上ったと自負する時、挑戦することを勧める。雲をつかむようにはじめて見ても、人生で傷ばかりを残して終わることになるからだ。
この世を去る時、笑いながら目に見えない価値に注目して大事にすることを悟らなければならない。
目に見えることを追求する所有中心の人生から、存在中心的人生を追求しなさい。あなたの存在が隣人にどのような影響を与えているのか。よい影響力を与えなければならない。いなくてもいい人、いなければいい人になってはいけない。何の存在感もないむなしい足跡を残してはならない。
今から、自分の人生コンセプトを決めてみることはどうだろうか。生の終わりに目を閉じる瞬間に、何を残していくのか考えてみよう。寄付王、賞賛の女王、奉仕の天使、など、暖かい愛称ならばどんなにいいか。品位のある人生は品位のある死で終わる。死を考えたならば利己的に生きることはできない。傷を与えて生きることはできない。死んだ後に後ろ指を指されたい人は誰もいないからだ。
よく生きるということと、よく死ぬということは別の話ではない。同じ話だ。この世を去る時、笑えることは一生の間よく生きたという評価を受けた時だ。
よく生きることがよく死ぬことだ。死に対する準備は毎日の日常にならなければならない。日常が積みあがって人生の長い旅程を作るからだ。よく生きてこそ世の中を去る時、笑うことができる。よく生きることは自分の欲望に従うことではなく、創造主の意志を記憶して、その秩序に従うことだ。
心が痛くてつらく疲れているのか。そうならば、数千里を飛んでくる渡り鳥に人生の強靭さを学ぶことを願う。美しい生命力を維持するために危険を顧みず長い旅程を飛んでくる渡り鳥はつらくて疲れたと気落ちしない。環境を超越して彼らが生を営んでいる。
最後の勝者は、この世を去るときに笑うことができる人だ。