生谷家は室町時代からの御家人であったそうだが、この辺りを広く所有した問屋であった。
この住宅は、烏丸通がメインの大通りとなる前には京都の南北方向への主要な道路であった室町通に面している。
今日ではそう広くは見えない室町通だが、歴史における意義は大きいようだ。
町家にしても庭を持ち、間口の広い豊かな家で、通り庭から入口から見て右方向に玄関がある。
その玄関から一区閣奥に入れば、庭に面した次の間にあたる。
次の間の前の縁側から庭を望む。
9月も前半という時期に訪れたので、素晴らしい御簾使いを見ることができた。
奥の八畳。名のある書家の作品を見ることができるが、この家のオーナーはなんとも寛大にも書家の作品を撮影することさえも許している。
奥の八畳の床の間。筆の勢いだけは、書道を知らない私にも感じ取れる。
奥の八畳の更に奥にある縁側のガラス戸を無理を言って開けていただき、乗り出すようにして庭石を撮影させていただいた。
二階の座敷も、格の高さは見事であった。
御簾となるのは細く切った竹。竹には節があり、それにより御簾という完成品にも模様が残る。
その模様を計算して竹を切れる職人は、今や数える程だそうである。
この屋敷の細部には、驚くべき贅沢が具現化されているようである。
この住宅は、烏丸通がメインの大通りとなる前には京都の南北方向への主要な道路であった室町通に面している。
今日ではそう広くは見えない室町通だが、歴史における意義は大きいようだ。
町家にしても庭を持ち、間口の広い豊かな家で、通り庭から入口から見て右方向に玄関がある。
その玄関から一区閣奥に入れば、庭に面した次の間にあたる。
次の間の前の縁側から庭を望む。
9月も前半という時期に訪れたので、素晴らしい御簾使いを見ることができた。
奥の八畳。名のある書家の作品を見ることができるが、この家のオーナーはなんとも寛大にも書家の作品を撮影することさえも許している。
奥の八畳の床の間。筆の勢いだけは、書道を知らない私にも感じ取れる。
奥の八畳の更に奥にある縁側のガラス戸を無理を言って開けていただき、乗り出すようにして庭石を撮影させていただいた。
二階の座敷も、格の高さは見事であった。
御簾となるのは細く切った竹。竹には節があり、それにより御簾という完成品にも模様が残る。
その模様を計算して竹を切れる職人は、今や数える程だそうである。
この屋敷の細部には、驚くべき贅沢が具現化されているようである。
町家風ではなく
商家のような造り
坪庭は整備しやすく玉石で造作
二階の格子戸から通りも見渡せる
京には少ないタイプの家です
特別公開ってことは(☝雪だるまさんより)、
普段は生活の場なんですよね。
日本の生活スタイルって、
スゴイです。
いつの間にか、
無くしてしまいましたが。
上京区室町鞍馬口通下るという住所なのですが、下鴨神社からは、昔の道一本で分かりやすい場所でした。
この辺りは、近年までは市街地とはなっていなかったのか、この家も間口は結構広くとっています。
次の間の前の庭は、孤立した坪庭ではなく、L字型に主屋を囲み座敷前へとつながります。これは、町家というよりは、屋敷の造りですね。
ここまで小ざっぱりとさせるには、普段も居住の匂いを消していないと難しいような気がします。
井原西鶴の文章に出てくるような代々の家業を継いだ家だと思うのですが、ここでの生活はしばらくなされていないような気配を感じました。