kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

市外研修ツアー:継体大王の生誕地、三尾の里の「鴨稲荷山古墳」

2011年03月16日 | 高槻しろあと歴史館と市民大学

鶏足寺を出て、遠くに雪山の景色を見ながら・・・バスは継体大王誕生の地と言われる
滋賀県高島市鴨の 「高島歴史民俗資料館」 に、向かいました。


そして、ここは高島歴史民俗資料館から北へ150m の 「鴨稲荷山古墳」 です。

鴨稲荷山古墳は、明治35年(1902年)に県道改修工事の際に発見されました。
未盗掘の古墳で、墳丘は2段に築き、円筒埴輪を並べ、吹石を貼り、全長60mの周濠を
廻らせて、横穴式石室の南東に入り口がある前方後円墳でした。


 後円部の横穴式石室には、上画像の大きな家形石棺が納められていました。
蓋の上の出ているところは、運ぶ時に必要だったのではと・・・。

石棺に加工された石は、二上山 (大阪府と奈良県の境に位置する) で産出される白色凝灰岩
で (今城塚の3つの石棺の一つと同じ)、この巨大な石材が高島の地まで搬入されたことから
鴨稲荷山古墳の被葬者は、大和や河内の有力者と関係を持っていたと考えられています。

被葬者は、6世紀代の貴人で継体大王を擁立した三尾氏の族長と推定されています。
副葬品には、金銅製宝冠 (こんどうせいほうかん) ・ 飾履 (かざりぐつ) ・ 金製耳飾や
金銅製太刀などの、豪華な多くの遺物が納められ、石棺内は漆が塗られていました。 
(副葬品の一部複製品は、高島歴史民俗資料館で展示されています。)


古墳跡いっぱいに、かわいい “つくし”  が顔を出していました。

∽∽∽∽∽

継体大王は、西暦450年 に近江高島市の 三尾 で、父 「彦主人王 (ひこうしおう)」 と
母「振姫」の間に生れました。 父は応神大王の5代目の子孫、母は垂仁 (すいにん) 大王
の7代目の子孫とされます。 彦主人王が三尾にいた時に、振姫のうわさを聞き、三国の坂
中井 (現在の福井県坂井郡) から妻に迎えて、この地  三尾 で継体大王が誕生しました。
 しかし、継体大王が幼い頃に父が亡くなり、振姫は継体大王を連れて坂中井に帰りました。

田中大塚古墳は、継体大王の父 「彦主人王」 のお墓
鴨稲荷山古墳から北西に望めると、安曇川町の泰山寺台地が平野の先で盛り上がって
います。 その東の鴨に四十数基の墓が散在する古墳群が築かれていて、その中で最も
大きい古墳が田中大塚古墳 です。 大塚古墳は継体大王の父のお墓と伝えられています。

現在は宮内庁が管理する陵墓参考地となっており、直径58mの帆立貝式古墳であると
考えられています。築造時期は5世紀代と推定され、彦主人王の活躍していた時代と一致。

※ 「天皇」 という称号は、7世紀になって使われるようになったもので
それ以前は 「大王」 が用いられていました。

高島歴史民俗資料館
〒520-1111  滋賀県高島市鴨2239 
電話  0740-36-1553 

  ~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~ 
花名 : ビジョナデシコ          花言葉 : 清い愛
ヨーロッパの広い範囲に自生し、がくが発達してヒゲのように見えることから「 ヒゲナデシコ」
とも呼ばれています。従来のナデシコ類にない美しさから美女撫子の名がついたのでしょう。

コメント
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