話し方、とは、直接、何の関係もないのですが。
日本語の話です。
でも、口語の日本語、という分類において、近いです。
興味深い人には興味深いですが、全くつまらない人もいると思います。
日本語の分析をします。
お金です。
の否定を、あなたなら、外国人にどう教えますか?(例えばここにあるのはカードなので、お金じゃないものですから)
お金ではありません。
お金じゃありません。
お金ではないです。
お金じゃないです。
お金じゃないんです。
5つめは、まあ、おいておくとして、普通に考えて上記4つ?
では、お金がない場合は?
お金がありません。
お金はありません。
お金、ありません。
お金がないです。
お金はないです。
お金、ないです。
少なくとも6つ??
6つは、助詞が「が」でも「は」でもなくても、ほぼ同じ意味じゃないですか?
なのに
お金じゃありません。
お金が、ありません。
お金は、ありません。
上記3つの内、1つめと2つめ・3つめは、全く違う意味になるのですよね。
It's not money.=Not money.
I don't have money.=No money.
私は、だから、
お金があります
の否定を
お金がありません
で導入して
お金です
の否定を
お金じゃないです
で導入するのが、「絶対に」いいと思ったの。
だって、暑いです
の否定も
暑くないです
で上手くいくから。
暑くありません。
と(文語的に)言う日本人が非常に稀であるなら、名詞と形容動詞を「じゃないです」で、形容詞を「くないです」で(口語的に)」導入し、存在文は「あります」「ありません」で導入するのが至当と考えたの。
でも、日本語のテキストはそうなってなかった。
それで、私は、闘ったの。
私はわかりやすい、皆がよく使う日本語を教えるべきと断固として思った。
何より「ない」が否定語だと、数ヶ月わからないのですもの「じゃ(では)ありません」で導入した場合。
そんなバカな。
ない、こそが、日本語の代表的な否定語なのだから、それこそを冒頭に導入すべきだ。
そう主張しきった私は、どこの日本語学校でも排除されたの。
今の日本語導入法は知らないけど、当時、私の考えは、誰も、どこのテキストも、採用しなかった。
それで、信念を曲げなかった私は、人間関係をどこに行っても損ねた。
私は、今でも自分の考えが絶対に正しいと思っているの。
今はテキストも変わったかもなあ。
そうそう使いもしない日本語で、より基本から遠ざかった日本語を教えられる外国人、迷惑と思うよ。
語学という非常に無味乾燥な努力を大きく伴うものを習う側の身になってよ、って言いたかった。
今。
週に1回位なら、日本語を教えることもできるかも、と、住まう場所との関連で考えているところ。
それにしても、当時の苦しさを思い出すと、つらくなるなあ、今でも。
当時、私の語学教師として最も足りなかった点は、学生にもっと話させなかった点。
絶対にいいことを教えているつもりでいても、私が無駄に話すことが多かったので、深く反省。
これでkikikata.comにした部分本当にある。
今でも、(長く)話すことあるけど、他の教室に比べたら1/2か1/3かも。
いくらいいことを言ってても、人の時間を奪いすぎたら、いけないんだよね。
日本語の話です。
でも、口語の日本語、という分類において、近いです。
興味深い人には興味深いですが、全くつまらない人もいると思います。
日本語の分析をします。
お金です。
の否定を、あなたなら、外国人にどう教えますか?(例えばここにあるのはカードなので、お金じゃないものですから)
お金ではありません。
お金じゃありません。
お金ではないです。
お金じゃないです。
お金じゃないんです。
5つめは、まあ、おいておくとして、普通に考えて上記4つ?
では、お金がない場合は?
お金がありません。
お金はありません。
お金、ありません。
お金がないです。
お金はないです。
お金、ないです。
少なくとも6つ??
6つは、助詞が「が」でも「は」でもなくても、ほぼ同じ意味じゃないですか?
なのに
お金じゃありません。
お金が、ありません。
お金は、ありません。
上記3つの内、1つめと2つめ・3つめは、全く違う意味になるのですよね。
It's not money.=Not money.
I don't have money.=No money.
私は、だから、
お金があります
の否定を
お金がありません
で導入して
お金です
の否定を
お金じゃないです
で導入するのが、「絶対に」いいと思ったの。
だって、暑いです
の否定も
暑くないです
で上手くいくから。
暑くありません。
と(文語的に)言う日本人が非常に稀であるなら、名詞と形容動詞を「じゃないです」で、形容詞を「くないです」で(口語的に)」導入し、存在文は「あります」「ありません」で導入するのが至当と考えたの。
でも、日本語のテキストはそうなってなかった。
それで、私は、闘ったの。
私はわかりやすい、皆がよく使う日本語を教えるべきと断固として思った。
何より「ない」が否定語だと、数ヶ月わからないのですもの「じゃ(では)ありません」で導入した場合。
そんなバカな。
ない、こそが、日本語の代表的な否定語なのだから、それこそを冒頭に導入すべきだ。
そう主張しきった私は、どこの日本語学校でも排除されたの。
今の日本語導入法は知らないけど、当時、私の考えは、誰も、どこのテキストも、採用しなかった。
それで、信念を曲げなかった私は、人間関係をどこに行っても損ねた。
私は、今でも自分の考えが絶対に正しいと思っているの。
今はテキストも変わったかもなあ。
そうそう使いもしない日本語で、より基本から遠ざかった日本語を教えられる外国人、迷惑と思うよ。
語学という非常に無味乾燥な努力を大きく伴うものを習う側の身になってよ、って言いたかった。
今。
週に1回位なら、日本語を教えることもできるかも、と、住まう場所との関連で考えているところ。
それにしても、当時の苦しさを思い出すと、つらくなるなあ、今でも。
当時、私の語学教師として最も足りなかった点は、学生にもっと話させなかった点。
絶対にいいことを教えているつもりでいても、私が無駄に話すことが多かったので、深く反省。
これでkikikata.comにした部分本当にある。
今でも、(長く)話すことあるけど、他の教室に比べたら1/2か1/3かも。
いくらいいことを言ってても、人の時間を奪いすぎたら、いけないんだよね。