ぷ~さん日記

最近おなかがぷ~、仕事もぷ~さんの日記 

肝臓ガン

2011年05月18日 | ぷ~さん日記
6年前に胃がんと診断され、3/4を取りました。
2年前の5月に子宮頸がんと診断され、進行も遅かったので開腹手術はせずに放射線治療をメインに治療しました。
昨年の2月に血便が時々あったので精密検査したところ、大腸がんを発見し、約20cm切除しました。ただ、他の部分も劣化していたためつなぐには無理があり、人工肛門をつけ、食生活にも気を付けています。
で、退院二ヶ月後の8月には夏風邪をひいたように微熱が続いたため、先の手術の経過検査のついでに申し出たところ、肝臓か胆のうかすい臓の部分に疑問があるので調べたら、十二指腸の胆管接合部分に腫瘍が有り、一応肝臓へのガン転移を疑いましたが、問題が無かったのですが、結局十二指腸の一部と胆のうやすい臓の切除手術を行いました(十二指腸乳頭がん)。
開腹したところ、3ヶ月前の大腸手術部分の残した部分に若干の硬化が見られたので、将来のことを考えて数cm切り取りました。

今年になって2月くらいから何となく腰が痛む日があり、整形外科に通っていましたが、先の数ヶ月に一回の定期検査時に申し出て、ついでに熱もあったので大事をとって8日間の入院をし、CTを撮ったりし検査しました。

発見。

肝臓に3ヶ所の「小さな白い影」あり。

ガンですね。
原発性とは思えず、おそらく今までのガンの転移と思いますよ。

えらい、軽い調子の言い方。

退院後は随分気が楽になって、美味しいお寿司が食べたくなって、1年前にオープンしたばかりの新潟鮮魚市場のお寿司屋さんで美味しい寿司三昧。

と、昨夜家内からの電話。

口を開くたびに、母の悪口とグチばかり言ってた家内が、結構気楽な調子の声で。。

いくら平静を装ったってだませるもんかい。
笑いながら話したって、涙声はすぐにわかるよ。
30数年(出張や転勤があって実際はもっと少ない)も一緒に暮らしていたんだからさ。

もっと精密に調べなければならないとしても、CTや他の検査結果を見ても進行具合や、年令、昨年までの手術の体力回復具合を考えても、開腹手術は避けたいし、緊急性は感じない。
また、ガンセンターまでは片道40分もかかり、待ち時間も数時間になることもあるから自宅の近所の総合病院へ紹介状を書くから転院したらいかが?
婦人科や外科の術後検査もそこ(病院)でやっていただけると思う、との提案。
放射治療のダメージや投薬の副作用の可能性(当たり前の時代です)にも、さら、っと触れて。

でも、言外に「終末治療」の響きが。
家内と二人でその「感触」を確認しました。
今の母はとても元気で、天気がよければご近所の医者やスーパーへよぼよぼながら歩いて買い物も。

しかし「終末治療」を真剣に考え、用意しなければならない時期が来ました。

主治医は2週間後に改めてその話しをするとの事で、私が行きます。


たまたま現職の契約が切れることから、延長を行わないことで合意し、6月末で現職を退職しますが、これが良かった事なのかな。
でも、新潟では旅館やホテルの仕事は今の景気状況から有り得ません。
年令的にもね。

もう、旅館再生はいいや、卒業。
なんて先日のエントリーで書いたけど、今の家内の介護や治療負担を考えると、もう自宅を遠く離れて任せっきりにするには負担が大きすぎる。
本当に卒業となります。

明日から真剣に転職先を考えなくっちゃ。
いつまでも夢を追いかけていられない。


昨日の電話の後、テレビを付けたら児玉清さんの死去報道がありました。胃がんだったのですね。
不調を自覚した時点で検査及び施術すれば死ぬことはなかったのにねぇ。まだ77才。タレントとしてはまだまだじゃないですか。

少しでも自覚したら、怖がらず検査するべきです。
体力があるなら、切除手術を含む根源的治療を受けるべきです。

まぁ、後になって悔やむから「後悔」なんですが。

とにかく昨日今日とめげています。


夕方には寮にインターネット環境が無いからフリースポットエリアに行ってメールチェック。

そしたら、アメリカに行った(一年間ですけどね)娘からFacebookのお友達になりたいメールが。

今はBlog、Twitter、Facebookと何となく続けていますが、まぁ、Blogは自分次第で結構匿名性がありますよね。
だから、家族や友人同僚に言えない事や真情を吐露できる。
Twitterもある程度匿名性があるにしても、プロフィール次第では私のことがよく分かります。だから何となく余所行きな気がするコメントになる。
Facebookは基本的に学歴や出身地、勤務先や恋愛対象など、結構プライベートなことを登録して始めます。
もちろん、Twitterでもそうですが、「成りすまし」だって居ます。きっと多いんだろうね。

娘は名前や出身地なんかで調べたんでしょう。
Gmailで調べたのかな?

よって、各サイトには内容を考えて書き込んでいます。
特にTwitterでは親戚の震災時の状況報告が縁で始めているし、Facebookは前職のホテル勤務時代の若い同僚からの誘いで始めているから、当然内容が変わるのは仕方ないとしても、娘とシェアするのはねぇ、困りました。

娘はMixiでいろいろ自分たちの近況をアップさせて気軽に情報を仲間や兄弟たちとシェアしてるんで、その「ノリ」なんだろうなぁ。

まだまだ子供たちには母=おばあちゃんの病状を伝える時期では無いような気がしています。

なんだか今日も乱れているなぁ。

しょうもない今でも、道につながっています

2011年05月16日 | ぷ~さん日記
昨日は布袋寅康の30周年記念番組を見ました。
Boowyからだから随分長くやっているなぁ、なんて思っていたら、19才から続けているんだね。

ミュージシャンは長く続けています。
クラプトンだってそうだな。
最近はスタンダードジャズを自分なりにやっているし。

継続こそ、力。
そうだね。

最近思い出したように井上雄彦の「バガボンド」や「リアル」にはまっています。
この人は、もちろん「スラムダンク」。

あの三井君や、安西先生の言葉には励まされ、泣かされました。
高校時代の自分は、三井君そのままでした。
あのままバスケを続けていたら、今頃どうだったんだろう。
ブラスを続けていたらどうだったんだろう、なんて色々思い返しもします。

バガボンドは、結構長いし、宮本武蔵はあまりに有名なわりにその半生はよく分かっていないことから色々な物語が展開するでしょう。
「リアル」は車椅子バスケをサブテーマに、色々な不本意に「障害者」となった人たちが様々な人生模様を描き始めています。

掲載は結構長く、この作者の特徴として、たった数ヶ月の物語を10年以上かけて描きますから、これからどんな展開か、想像もつきません。

で、先日は全10巻を「大人買い」して、一気に読みました。

やっぱり、この人は登場人物にいいこと言わせています。

第6巻。

こんな感じ(かなり大雑把)。

あいつらを見ていると、いつか強くなって、ひょっとすると日本一になるかもしれない。
だとしたら、今のあのいまいちの練習だって、そこへつながっているんだ。
自分の今のしょーもない仕事だって、自分の未来にきっと続いている。
だから、今日を懸命に生きるぞ。

少し違うかな?

私は60才を間近に迎え、スキーをやっても昔のような体力も無いし瞬発力だって、まして反射神経だって相当鈍っていることを実感しています。
だから障害者スポーツである車イスバスケがどれほどメンタルでもフィジカルでもハードなものか容易に想像できます。
「ハンデ」なんて形容では足りないくらいでしょう。

そんな中で、ご自身もバスケを楽しんでいる井上さんが取材し作品に消化しているこの「漫画」はよく判っていると思います。

たかが漫画、されど漫画。

先日のエントリの通り、現職を6月で退職しますが、本当に長い遠回りをしてしまいました。
「再生」に夢を持ち、もがいていましたが、今は挫折感だけ。
でもいいんです。
「リアル」の野宮君のセリフに触発されました。
このしょうもないオーナーたちと(二人とも子供時代は相当のいじめられっ子だったそうです)一緒にやった3年間は、大幅な年収ダウンを受け入れながら、ある意味無駄な年月でしたが、「ダメ」の方法と人間を知りました。

今は漠然としたままですが、「今」は自分の夢への道筋なんだろうな、と思っていました。
それがそのセリフに改めて触発され、忸怩たる思いで過ごしましたこの数年の自分の行動を何となく、納得できるようになったのです。

でもなぁ、30才台の惑い迷い歩くのはまぁいいとして、この年でのやり直しは結構きつい。
人生のカウントダウンの年代ですから。

布袋さんはロッカーとして夢中で30年を走りすぎたとか。
これからの人生は判りませんが、幸せな人生と思います。
私も、まだ自身でピリオドを打つには早すぎます。
今まで夢中になって走ってきました。
これからはマイペースでもいいんじゃないかな。
だって、このしょうもない時間(会社や仕事)だって自分の「夢」に通じている道なんだから。

思いやり

2011年05月13日 | ホテル旅館
昨日のエントリーでは、思わず取り乱していました。超反省。

昨夜、Facebookつながりのニュースフィールド=コメントみたいなものにこんな事が書き込まれていました。

都内のビジネスホテルの宿泊課長さん。
チェックイン時に拝見した住所が先の震災の被災地だったりすると、思いがけずお声をかけてしまうということ。
5月は都内での修学旅行受け入れシーズンなので、被災地からも来ます。
小中学生がほとんどですが、到着するとお子様達についつい声をかけてしまうとの事。

やさしいですね。
彼は20才近く年下で部下だったことは有りませんが、同じホテルグループ内に居て色々とアドバイスはさせていただきましたが、初めから志の高い方。

AC広告にもありますが、思いは現さなければ伝わりません。
まして、行きずりの人など、本当に何を考えているのかわかりません。
だから「現し」ます。
すると自分が豊かになったかのように感じて、嬉しくなります。

今までの経験からいくつか。

目線を向けるだけでもいいですね。
アイコンタクト。
おお!この「アイ」は「愛」に変換された!
出来ればスマイルで。
少し声をかけます。
「先の地震の際は大丈夫でしたか?」
返ってくる言葉によっては絶句してしまいますが。。。
今日は良い天気でしたね。
一番シンプルには、「こんにちは」、「こんばんは」。

んん?
これって、ポポポポ~ンのAC広告か?

まぁいいや。

少し足の弱い方には、利き腕の反対側の肘へ、そっと手を添える。
視力が弱い方へは、前方の障害物や段差、床が滑りやすいなどを、さりげなく伝える。
ご年配の方や目の悪い方には、特に口調やスピードに注意する。
「上から目線の」強い言葉使いは絶対NG。
聞き取りやすい速さの言葉遣いが必須です。
トイレや入口から遠い席を少し条件の良い席に変更する。
バイキングの際は、料理を取るお手伝いを申しでる。
お代わりのお手伝いをタイミングよく申し出る。
しつこくならない程度にお手伝いを申し出る、断わられやすいように。

随分前ですが、店長や課長教育の中で、「サービスとは」なんて命題で勉強させたことがありました。

諸説有りますし、第一正解なんてありませんが、それでも教育(義務)なので。

ぷ~理論では、お客様が望むところをよいタイミングと良い量で提供すること。
そして、幼子が歩き始める時のように、いつでも手を差し伸べることが出来る位置と注意と態勢にあること。

べったりと近くに居たら、そりゃぁ迷惑ですし少し押し付けがましい。
だから、すぐに手を差し伸べる=手助けできる「距離感」が必要なんです。

「親切」が「余計なお世話」にならないようにすることは、実はとても難しいことですが、思いやりは、表に現しましょう。

こんなことを考えた、昨夜のコメントシェアでした。


Memorial Day→記憶すべき日

2011年05月12日 | ぷ~さん日記
昨日はあの大震災から二ヶ月。
すっかり風化しつつある自分が見えます。

あの地震や、それに連なる気違いじみた取消しとガソリンの払底での物品消滅による狂乱の日々。
毎日、一日中繰り返し報道された津波の報道。
原発事故の様子。

私にはすっかりトラウマになりました。

要するに、「めげて」います。

だから、どこか心の奥底に「忘れたがっている」「出来れば無かったことにしたい」自分が見えます。
だって、あの自宅が流されて茫然自失している方たちの姿、目の前で、遠くで家族と生きながら引き裂かれ、残された方たち。

あれは、決して遠いところで起こったことでもなく、フィクションの世界では無いんです。

そして、どうしても自分に置き換えてしまいます。
ローンや借金を残しながら自宅を根こそぎ流され、あまつさえ、生活の糧を得なければならない職を失い、人生の全てであろう家族を目の前で失う、そんなことが実感を伴わずに受け止めることは私には出来ません。

だから、風化させ、遠い歴史のかなたに追いやりたい、弱い弱い自分が見えます。

昨日のNHKで見ました。

一人しか助けられなかった(自分だけが教師の中で助かった)と自身を責める教師。
父から逃げろ、と怒鳴られ必死に逃げたら、自宅も家族全員も流され失い、茫然としている大学生。
自分が(もっと多くの人を)助けられなかった、と激しく自責する公務員。

仕方ないじゃないですか。

でも、そんな人たちに、「もっと頑張れ」なんて、とても言えません。
「頑張る」って、結構辛いもんなのです。
だから、出きれば弱くなって感情や世間に流されたくなります。
その方が「楽」だから。

継続して援助することが出来ません。
まして、経済的な援助など何も出来ません。
不用意な声をかけることの残酷さも、身に染みて知っています。

私に出来る「応援」は、あの日を死の床まで忘れないことなのかもしれません。

多くの方へ冥福を祈ります。

ゴールデンウィークの総括

2011年05月10日 | ホテル旅館
長かった、今年は特に長く感じましたゴールデンウィークが終わりました。

ツィッターやfacebookなんかでは手軽なことから、この辺の近況を頻繁にアップしていましたが、改めて思い返してみます。

別に、ゴールデンウィークに「何した」「どこで遊んだ」なんて話じゃぁありません。
やっぱりお仕事の話。

3月11日の震災と、その後の放射能災害、直接的にはガソリン不足などで3月4月前半の団体や個人予約が大きく落ち込みました。
その際の予想としては、ゴールデンウィークで60%まで回復すればその後の稼動はほぼ前年並みまで回復するのではないか、と(個人旅行の範囲で)考えていました。

もちろん、復興のための支援や作業などで団体稼動は今年1年での回復は困難と思っています。

で、4月29日からの7日間でみますと、人員ベースで対前年比137%に終わりました。
もちろん、現在奉職中の北関東の旅館での話です。

単価的には15%近く下落させての集客でしたから、売上では数%のアップに終わりました。

思った以上に個人観光消費意欲が強かったのかな、とも思いますし、この際だから、「安・近・短」で手軽に済ませようとしているのかもしれません。
もっと言えば、先日久しぶりに上京して大変驚きましたが、「暗い」「活気が無い」そんな、都会を手軽に抜け出たいと思ったのかもしれません。

も一つ、私の私見ですが、今年に限って言えば「客層」も大きく変わっています。
一例。
旅館では一般的にお食事中にお部屋に入り、寝具を用意いたします。
これがいけない。と激怒されたお客様が数組。
夕食や朝食のバイキングで、料理を取るのに時間がかかった、との苦情多数。
大浴場や露天風呂が「混んでいた」と苦情も多数。

つまり、「超」繁忙期の旅館をあまりご利用になっていなかったお客様や、旅館スタイルをご存じない客様が多かったように感じています。

いずれにしましても、単価を2,000円近く下落させての販売でしたが、これほどの入込みなら本来の料金でもよかったのではないか、なんて批判もありますが、それは「結果論」
ゴールデンウィークがこのような稼動なのですから、夏休み期間の旅行は、方向や消費金額の変更があったとしても、あまり暗くなることはありませんね。

もっとも、震災や風評による極度の低迷から一部旅館やホテルが開店休業状態や倒産・閉鎖の憂き目に有っていることも事実。
経営者であれば、明日の大金より、今日の現金。
先行き予想がどうであれ、「今」が重要なのは痛いほど判ります。

器の小さい人や、キャッシュフローを強く意識しないで経営していた方々には、現状の資金運用は正に「地獄」でしょうね。


6月末で契約終了になりますが、今日話し合い、延長しないことで合意しました。
この経営者とは二度目。バカだね。

随分回り道をしました。

ちなみに、現経営者の「旅館再生」とは下記の如し(私の勝手な理解ですが)。

1.基準売上とスキームやオペレーションは無視し、とにかく人件費を落とす。賞与なし。退職給与規定なし。昇給なし。初任給はとにかく低くする。これで嫌なら辞めて頂いて結構、就業しなくて結構。
2.必然的に、「サービス業」であることを放棄し、旅館に求められるおもてなしは行わない。もっとも、高品質旅館で売っていました栃木県湯西川温泉の「伴久ホテル」が、震災による「自粛」が引き金によって倒産・閉鎖となりましたが、随分前から高度なおもてなしのために抱えた人員の人件費負担が大きく、苦慮されていたことは有名な話です。
3.とにかく他所より安くする。料理の旬や品質が判るお客様は求めない。
4.だからリピータが激減しても団体を受けることでカバーする。

一言で言えば、「今」が重要であって、「明日」は不要、とのスタンスです。
でも私は批判しません。
どうも、この業界のオーナーさんの多くにはその方が判り易いようですし、結果的に存続しているのですから、正解かもしれません。
ただ、私が考える「リゾート」は違います。

なんかなぁ、もう「旅館」は卒業の潮時かな。
旅館再生は業界人生最後の夢だったけど。
起業するなら別ですが、「再生」はもういいや。