ぷ~さん日記

最近おなかがぷ~、仕事もぷ~さんの日記 

退職願

2010年03月26日 | ビジネス
       退職願
                私事、
この度は一身上の都合により平成○年○月○日をもちまして
退職させていただきたく、ここにお願い申し上げます。

  平成○年○月○日
 株式会社○○○○○ 所属○○○○
        中年ぷ~さん

 株式会社○○○○
 代表取締役社長 ○○○○○殿

まこんなものかな。今まであんまり受け取ったことが無いし私自身も実は書いたことがないので、自信はないのですが、このようなものでしょう。

どんな気持ちで書いたのかなぁ、回数は少なくっても受け取る度に思っていました。
「一身上の理由」なんて、そんな簡単なものじゃぁないと思うけど、まさかねぇ、上司や経営陣が嫌だから、とか社内恋愛がこわれて居づらくなったとか、そもそも仕事が嫌になったとか、給料が安いだとかそんなことを理由に出来ないし、やっぱり「一身上の都合」なのかな。
「不始末をしでかしまして」なんてのは絶対書くのは嫌ですよね。
「不倫がバレて家庭内ですったもんだしていまして」なんて、笑っちゃいますよね。
どちらにしても、退職したいと思う場合は現職に対し大きな不満が有るとか、今以上の高待遇=高評価という名の幻想で他職へ移る、等々何らかのトラブルをかかえて現職に留まることが出来ない場合です。
で、本人は自分自身を正当化したがりますが、客観視しますと、結局「そこでは駄目だったのでしょう?」と思う方が多いことも事実です。
スキルアップとキャリアアップのために転職をすることが一時もてはやされましたが、結局「ソコですらやれない人」が「他所では出来る」なんてことは、殆どの場合に幻想なのだと私は考えています。
自分がソコでは必要ではない・必要では無くなったと感じた時、とか、つまり「退職」はネガティブな理由がほとんどなのですね。


でも、今日私は生まれて初めて書いた「退職願」を現オーナーへ速達で提出しました。
決意してから約一ヶ月。迷いだしてから約四ヶ月でした。57才と三ヶ月。

ある程度のネガティブな要素は覚悟し、決意して現職へ飛び込んだのは私ですし、、、、。

悲しいなぁ。

豆ちゃん

2010年03月25日 | ホテル旅館
昨夜からの雪が約10㎝。
駐車場の除雪とお客様のお車の雪落としが終わって、今は至福の一服。

昨日お泊りのお客様は最高の日に泊まられました。

ん?こんな春の雪の日に?

そうです。春だからこそ、の佳き日です。

お部屋付きの露天風呂は風もなく雪見風呂。
ほとんどの方は関東からのお客様ですからノーマルタイヤです、が、道路の雪は積もるほどの気温でもなく、濡れているだけ。

こんな日はなかなか無いものですから、とても気持ちの良い一日となるでしょう。


今日の「お題」。豆ちゃん。

娘と我が家の合言葉。
娘のお腹に授かった赤ちゃんを愛情込めて呼んでいました。

そのまめちゃんも世に出て1年半。
愛くるしく、とても健やかに育っています。

で、先月末の相互家族旅行の際に耳打ちされていたことがついに現実に。
昨日の検診でめでたく第二の「豆ちゃん」を授かった連絡がありました。
エコー写真付きで。
第8週目だそうです。

私も、ようやく「訣別」の決心がつき、新たに動き始めましたので今朝は本当に気持ちの良い朝です。
当地で働くのは来月いっぱいかな?少し残念ですが。

今日のカテゴリの「ホテル旅館」は?

どうでもいいじゃぁ無いですか。
除雪のことで書き始めたら、お車の雪落としをやっている間に、フッ、と娘の幼少期に一緒に家の駐車場の雪落としを一緒にやった、それはそれは楽しく幸福なひとときを思い出したんです。

思わず顔がほころびました。

昨夜は、若女将へ接遇の指導要綱を授けていましたが、第1回目は「スマイル」と「挨拶」。
口先だけで世渡しているようなコンサルのやり方を踏襲しようとしていましたので、その本当の効用と実利的な進め方を教えていたのです。

今朝の私の「スマイル」は心から、の本当のスマイル。
これをみんなで共有できれば、この業界は素晴らしいものになるであろうに、いかんせんオーナーの意識とレベルが低すぎてお客様からいただける「喜び」を知ろうともしないし、感じることも出来ない方があまりに多すぎる、という絶望感は有りますが、しかし、従事しているスタッフにとっては皆さん、お客さまの喜びが至福の一瞬なのです。

スマイルがスマイルで帰ってくることの幸せは、一瞬でも感じ取った時に、このお仕事の醍醐味を味わえます。

さぁ、これからお昼までチェックアウトのお客様のお見送りが始まります。
これがとても楽しいひとときです。

同級生

2010年03月24日 | ぷ~さん日記
このところ少し凹んでいました。
仕事のことや、オーナーとの軋轢、母に新しく見つかったガンのことや家庭のことなど。。。。

ま、そんな年代になったのだ、とおおらかに構えるようにしてはいますが、結構凹んでいたのは事実です。

そんな先週末の夜間に携帯が。

のー天気な女性な声で「ぷ~クン?」
「今ぁ高校3年の時の同級会の二次会! あーたらこーたら☆★∈Φβωκλ・・・・・」
高校生の頃に同級であったり同じ部活であったり、の女性。
60才近くなった「女性」なんてこんなもの。さすがにヒョウ柄は着ないと思うけど。。。。

「ところで、○○ちゃんて覚えてる?」
などといきなり代わられても、そんな40年も前のことなんぞまったく覚えているわけありません。オクテでしたし。。。

でも聞いたとたんに思い出しました。
彼女とは中学高校と一緒で、部活も一緒でしたから。

でも、不思議なんですねぇ、高校生活のことはまったく覚えていない、というか思い出せないのですが、中学校の3年間は妙にはっきりと思い出しました。

もっとも思い出されるのは、ミドルティーンの頃の制服と顔とヘアスタイル、いつもつるんでいた友達なんかの顔、と、きっと今では激変しているのでしょうが、そこは電話のいいところでして、都合よく思い描きながら思わず長電話を。


互いの近況を話したり、40年以上前のことを思い出しながら話していたり、で結構楽しい時間でした。


いやいや、彼女とはまったく関係の無い間柄でしたし、特に親しかったわけではありません。
が、中学生の頃はハイティーンの頃のように行き場の無い不安や怒り、社会の不条理や流行(第二次安保闘争やベトナム反戦ブームの頃)などには縁が無く、そんなミドルティーンの頃の自分と流れていた空気や時間までを思い出し、また、実社会での激しい競争やストレスとも無縁でありましたから、その一瞬はとても癒され、和む時間でした。

正確には「同級」であったこともないし、中学の部活で一緒だっただけではありますが、凹んでいた自分を鼓舞するには十分な出来事であることには間違いありませんでした。

遺産相続

2010年03月23日 | ぷ~さん日記
あ、別に親が資産家だったわけでもなく、私も子どもたちに残せるほどの財産は有りません、一応。

30数年前に数年間でしたが都内の会計事務所に在籍していたことが有ります。
当時は実家が少し商売しており「跡継ぎ」だから、と会計も少しは経験した方がいいかな、なんて軽い「のり」です。

で、高度成長時代ですから零細企業といっても結構景気が良く、当時は都内でも北区や足立区・葛飾区なら新築一戸建てを1000万から1200万円程度で買えた時代です。
そして土地の値上がりなんて「暴騰」としか言いようのない程の上がり方でした。
都内で少し不動産を持っているだけで、結構な遺産の評価額になったものでした。
で、顧問先からは相続の相談が多くありましたし、実際に老齢のオーナーが亡くなられますと、そりゃァもう、目を覆いたくなるような遺産分け合戦が始まります。

そんなことの無いように、予め生前贈与(課税が低くなるようなやり方で)や不動産の分割、預金の口座替えなどを勧めていたのですが、やはりねぇ、「町工場のオヤジ」なんて自負しているような方は言う事を聞きやしません。

で、そんな「おやじさん」が亡くなると子供達兄弟やその連れ合いを巻き込んでぶんどり合戦が始まります。
なかには、「初めて合う兄弟」なんてのも出現しますから、ちょっとしたドラマ模様も有りました。

で、今回書く「知らなきゃ怖い遺産相続」なんですが、
遺産=遺した財産、は読んで字の通り。
現金や預金、国債や株券などの金券債権、土地や建物の不動産。
これらはまぁ、皆分かっています。

でも、商売をやっていますと必然的に発生する借入金などの負債、お互いに手形を切って融通しあったり、無理な借り入れにはこれまたお互いに保証しあったりなども有るわけです。
「債務」です。

で、最終的に資産台帳を作り、法定相続人の皆さんへ提示し、あとはまぁ、弁護士さんだったり司法書士さんだったりが入って、程々のところで落ち着くわけです。
今だったら、奥さんが1/2、残りを子どもたちで分ける、なんてのは周知のことですが、なかには僅かな財産を分け合うのは忍びないと「相続放棄」する方も多くいらっしゃいます。
零細企業の場合は殆どがそうなんじゃないのかなぁ。

やり方?
簡単です、期限以内に地域の家庭裁判所へ行き、相続人全員の文書と署名押捺したものを持っていけば、不備を指摘されながらも簡単に受け付けて、相続放棄の登記が終われば本人へ通知が行って終わり。

簡単なんです。知っていれば。

ところが、そんな殊勝な方は連れ合いを巻き込まないケースが多く、当然、知人にそのような司法関係者が居る、なんて方はごくごく少ないわけですから、「分割協議書」に署名押捺して、ま、故人を偲んで涙しながらも、なんとなく良いことをして、なんて気で幾度か法要を済ませ、何年も経ってしまうのですね、普通は。

ところが、その「保証」や「借金」が問題。
も一ついえば、相続放棄の手続を家庭裁判所へ行わない「相続人」が居るんです。署名や押印だけもらって終わったつもり。

で、どうなるか。
そんないい加減な方々ですから、「保証」も「借金」も、ま順調に返済している間はいいのですが、滞ると、さぁ大変。

放棄したはずの子どもたちへ「どん!」と請求が行きます。

当然、本人は放棄したつもりですから、慌てます。
でも、法的にはダメなんですねぇ。もう「放棄」は出来ません。
期限を遥かに過ぎていますから。
確か「知ってから」三ヶ月以内だったかな?その期限は。

なんでこんなブログ?

まさしく我が家なんです。
義父が亡くなった10年前に「放棄」したはずの家内へ、「どん」と請求が。

長男が借入れしたお金の保証人になっていたのです、義父は。
ところが半年以上滞納したものだから、金融機関から請求が。

私は、といえば当然やり方を知っていましたが、「お前は嫁に行ったのだから放棄を」と言われ悔しがる家内へ義父への感謝を愛情があれば、と慰めることと、一切の金品をもらわないような分割協議に応じて署名押捺したところまでは確認したので、その後はなんとなく、私には言わないだけで裁判所から放棄登記の文書を受け取っていたとばかり思い込んでいましたし、確認することすら、心情をおもんばかって聞きませんでした。

これが間違い。

スチャラカな長男といっても、義父の町工場は当時そこそこに景気が良かっただけに、安心しきっていましたが昨今のこの景気で一気に左前。
業者や給与の支払いだけでキュウキュウとしていたらしく、公的金融機関への支払いは放ったらかしていたのです。

今はひたすら、家内の「負の相続」の部分を優先して返済するよう話合いを進めていますが、裁判所や無料法律相談、果ては知り合いの弁護士や司法書士に相談しましたが、最悪な場合は家内の自己破産かな?

我が家の家内名義分の家屋を私が買い取る形で進めなくてはなりませんし、その他に諸々のことをやっておかなくてはなりません。


「遺産相続」って、愛する親族を失った悲しみがあるだけに「お金」の話をしにくいのはよく分かりますが、本当に怖いんですよ。


他人事じゃぁないんだけど、どうしようもありません。



こんな事を書くと、「マチ金」や変なジャンク書き込みが増えるんだろうなぁ。腹立たしいけど。

訣別

2010年03月13日 | ぷ~さん日記
きっぱり別れること。再び会うことのない別れ。by大辞林

う~ん、ちょっと違うなぁ。
もうちょっと、「決然」とした雰囲気。

今までいくつもの「別れ」を経験しました。
一番早かったのはもちろん、卒園卒業式。
ちょうどそんな季節になりましたね。
パートの女性たちの休み希望が集中します。
そんな頃は、早いところでは桜が咲いたり、新潟では最近は入学の頃だけど。

親との「訣別」。
思春期の頃は、とにかく親を否定します。
「親殺し」by郷六平

否定することで自身のアイデンテティが見えてくるんですね。
そして「大人」へとステップアップし始めるわけです。

悲しい別れ。楽しい別れなんて有るのだろうか?
ないですね。別れっていつでも切ないものでした。

高校生の頃、一つ年上の女の子に苦しくなるほど恋をして、
ある日飛び込んだ手紙にはヘッセの詩が。。。。。。
「けれども私は青春の刻々を. 残りなく味わった。 私は嘆くべきだろうか、 ...」
辛かったなぁ。ほんと。

前職では31年間に20回近くの転勤転属。長いのでも7年、短いのは2ヶ月足らず。
これはまぁ。呆れるしかないです。
やっと名前を覚え始めると、もう別れ。なんてことも数回。
でもセンチな気分に浸っているわけにはいきません。
着任早々、既に離任の準備をしなくてはならず、
「今度整理を」なんて言ってたら間に合いません。

だから、いつの間にか着任すると既に離任準備を始めるクセが出来ています。

で、結果どうなるか。

今の私です。
安住を捨て、せめて「ぷ~カラー」を出せるまで、と最低3年間は固定出来るところで社会人人生を終えることが、渇望とも言えるほどになったのです。

でも、ダメなんですねぇ。
私に人を見る目がないんです。


最初の三セクは、以前書いたとおりのダメダメぶり。仕方がないか。
2番目は、まあ、初めから短期契約で最終日には更新しないと双方で決めたのだったからいいとしても、3回目の今回は、オーナーから着任早々夜毎の電話で酔っ払ったような罵声と、ちょっとしたチョンボを鬼の首をとったかのようなはしゃぎぶりに、その幼児性には部下のことながら着任以来辟易していました。

しまいには「ぷ~」の報告なんか見ない、聞きたくない、メールは開かない!とご宣託。
なのに「何の報告もない」「報告がないのはマネジメント能力が無いからだ」と訳の分からない電話が毎回1時間以上。
ケータイの着信窓を見るのが怖くなったほどです。

こりゃぁ駄目だ、と悩んでいた私を見透かしたかのように、昨日は支配人解任と降格転任の辞令が深夜に。
今朝は直近の部下へその辞令を渡しますと、涙ぐまれて、デスクに隠されましたが、会社の辞令はそんなものでは有りません。
すぐに掲出させました。
もっとも、その幼児性ゆえに後任も無く出しちゃったものですから今日から慌てて募集開始。
採用から引継ぎまで約1ヶ月かな?

これはもう、「訣別」するしかない、と決心。


断固たる別れの決意。それが「訣別」なのだと思っています。

半分以上見ないフリをすることの幸せ

2010年03月03日 | ぷ~さん日記
先月末は家内の誕生日でした。54回目。
当日は娘夫婦のご招待で、むこ殿両親とで三家族集まって温泉行。
もっとも、二人の宿泊代程度は手渡しましたけどね。
むこ殿の博士号取得と新職場への転出、来年のアメリカへの出発など、いろいろのお祝いを兼ねていました。

で、新潟と千葉の中間点を取って猿ヶ京温泉。
きっと知らない方のほうが多いだろう、随分歴史はあるのですがきっちりマイナーな群馬県内の温泉地です。

昔は東京と日本海側を結ぶ三国街道の要衝としてそれなりに栄えていましたが、近年の高速道迂回通過に伴ってすっかり寂れてしまった温泉場。
高速道工事や電源開発のバブルの頃はそれなりに繁盛していたようですが、20年以上前に完了してからは全く半端な立地に、廃業が続き、細々と。

しかし、近年はむしろそのマイナーさから、昔のことを知らない若い方たちがそのレトロさと、車ならそれなりに便利なので廃れた温泉地の常としての低料金とで少しずつですが戻りつつあるのかな?なんて感じています。


で、その感想。

泊まったのは猿ヶ京ホテル。
娘夫婦がじゃらんや楽天で口コミが比較的よくってソコソコにお手軽料金の宿として探し出しました。

色々と好みが有るのは承知ですが、私的には充分満足の行く料金と内容でしたよ。
かなりな古さの鉄筋の建物ですが、清掃は行き届き、老年者や弱者を無視したようなお風呂の造りでしたが、それなりに開放感の有る露天風呂で少しキツメの水道くささも有りましたが内風呂は十分な源泉を味わえ、お食事も夕食朝食ともに自慢の豆腐づくし、と脂物が苦手な私には満足です。

もちろん、私のような30年選手から見れば接遇やメンテナンス、その他至らないところはリポート数枚分は書けるでしょう、しかし、それでは楽しめません。
今まではそうでした。
全て、を見ることに疲れてしまっているのかもしれません。

そして、その時には現職を離れる決心がついていました。
理想に燃えた若きオーナーに残りのキャリアをかけて赴任しましたが、あまりに矮小でそこいらのコンサルのコメントの断片を押し付ける、磁器の瑕疵を見つけてはいたずらに興奮する、謝罪すればかさに来てそこだけをついてくるようなクレーマもどき、そんな小児性に辟易していたのです。
ま、ワンマンオーナーですから結構なわがままと独善も多々有りますが、それはご愛嬌。

先程の旅館もそうですが、すべてに「ほどほど」というものが有るのですね。

少なくとも十年以上前の私は、それが出来ませんでした。
ミスや間違いにはとことん追い詰める、
どんな釈明も「言い訳」にしか聞こえず、
設計上の不備や、土地柄・予算など経営的に不可避な問題も絶対許せず、ひたすら高きを目指す。

実は自身を含め、皆がそんなことには疲れてしまうのです。

ここ数年は、望まないとはいえ結果的に転職を経験し、長きに勤務することの傲慢さが出ていたことが断ち切られ、いわば「リセット」状態。
もう一度同じことをやろうとすると、実は通用しないことに気づいていました。

30年以上前に読んだ誰かが書いた「ユダヤ人の知恵」に書いてあったことが幾度も幾度もフラッシュバックしました。

「1/3」主義です。

完璧を求めてはいけません。
世の中も構成する人間たちも、全ての事象に「完璧」はないのですから。

私は、「半分以上見ない」振りをしています。

そうすると見えてくるのですね。
「それなりに、結構いいじゃないか」「良いところだって多く持っているじゃないか」。。。
こんな世の中なのだから、全てを満足させることが出来なくったって、どこかで満たされるものだって有るだろう。
弱者に不親切だとしても、それはそれで、健常者だけを相手にせざるを得ない資金力だって必要なのに無い場合だって有るでしょう。
だったら、そのような施設に行けばよいのです。
脂物が好きな方は、「和牛」だとか、食べ放題、とかそんな施設を利用すればよいのです。
「完璧なサービス」を求める方はそれなりの小規模高額施設に行けばよいのですし、「珍味」を求めるならそれなりに、しかしそこそこの料金でやっている施設にそれ以上の高きを求めるのは、実はユーザの傲慢なのですね。

半分以上「見ないふりをする」、結構含蓄が有ります。

しかしながら、それだけに「見ないふり」が出来ない部分を許せない場合は、受け入れることが出来ません。

ここが難しい。
施設や消費物なら買うのを止めればいい。
しかし「仕事」はそれなりのポジションで着任すれば、簡単な離別は周囲に迷惑をかける。
しかし、2/3の視野を塞ぎ、見ないふりをしても見えてくる部分が受け入れ難い時は?


仕方ないですね。

求道者ではない私はこれからも、「半分以上見ないふり」を続けて、お客様から頂く幸福感と充足感を求めたいと思っています。