お母さんが台湾人で、お父さんは宮古島生まれ。
戦時中に台湾に疎開していた。
宮古島、八重山の疎開は本土の疎開とは
チョット違う。
日本の兵隊がやってきて、島で自給しなければ
ならないので、島の人を台湾に疎開させた。
台湾が日本の領土にされたのが日清戦争後。
戦前は台湾の人達が農業移民として
石垣島に炭鉱夫として西表島にやってきた。
昭和になると八重山人が頻繁に台湾に
いくようになる。
台湾と南西諸島のつながりは深い。
与那国島から台湾までの距離はわずか
100キロあまり天気の良い日は台湾の山が見える。
そういった関係で宮古島、八重山には
台湾出身の人が多く住んでいる。
高砂族の友人は運動神経がよく、島の運動会では
つねにトップだったと自慢する。
小学校4年生のときに島に来たそうだ。
日本語を覚える前に伊良部島の方言を覚えて、
その後標準語を習った。
台湾語(高砂族)と北京語、宮古島の方言と
標準語の4ヵ国後を話す。
中国貨物船がトラブルを起こしたときは
通訳として活躍する。
どうしてこんな話をするかというと、
さっき道ですれ違った。
同じ島にいても10年ぶりくらいあっていなかった。
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