橋が開通するまでは、定期船が行き来していた。
狩俣地区から池間島まで橋の長さは1425m
途中にもう一つ橋をはさむので約2㌔。たったこれだけの距離
なのに池間島と狩俣地区では方言が大きくことなる。
単語から言葉の言い回し、そして発音まで、イタリア語と
スペイン語くらいの違いがある。
狩俣地区はどちらかといえば農業がさかんで、今は海の畑と
いわれるモズク生産が宮古一だ。池間島は農業より漁業で栄えた島で、
昔は多くのカツオ・マグロ船の基地でもあった。
カツオ工場もあり、ひじょうに豊かだったと聞いている。
漁師だから気も荒い、それに比べ狩俣は農業をする人が多く
温厚なイメージがある。狩俣の人達も手っ取り早く現金収入を得る
ために池間島のカツオ工場に働きに出ていた時代があった。
わずか約2㌔離れた島とのあいだに、雇う側(資本)と労働者と
いう関係ができあがる。
橋が開通してカツオ漁も廃れた現在でも、昔の人はお互いを
あまりよく思わない言葉を聞くことがある。
池間島は漁師で気が荒いという人もいるが、昔々、池間島に住む人は
戦を好まなかった。なんとか外敵を避けるためにとった行動が、
大きな草鞋を作って海に流すという方法だった。
「この島には巨人が住んでいるんだぞ!」と思わすためだったとか。
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