旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

今のチベット人の若者

2019年06月22日 | 日記



東チベットのカンゼへ行ったので、
友達に会いに行った。

ショーヨンちゃんは、
今風の服を着ているが、
ゴリゴリのチベット人だ。

こぎれいなカフェ、
東チベットにも今や、スタバ並、いやそれ以上の
オシャレなカフェも数は少ないがある、でお茶して、
彼女の家に遊びに行った。


いや〜、俺、普段さー、
ムサイ親父ばっかのチベット人業者ばっかと接してるから、
これ、新鮮だわ〜、とか言ってられず、
一般のチベット人、しかも、若く美しい女性と色々と話す事で、
様々な想うとこ、感じる事があった。


彼女は、伝統衣装は身に纏わず、
スポーティな服装を好む。

英語も堪能で、
現代社会的な考え方も持っている。

会話の中で、
彼女が民族衣装を着ない、という事に関しての話題が出たときも、

「日本人だって同じじゃない。
今は日本人は着物だって着ないし、
髪型だって、オールドスクールな剃り込み(チョンマゲ)しないでしょ?」

と、彼女は言った。

たしかに。

そう、そうなのだ。

日本人だって、同じなのだ。
人様の事を外からとやかく言えることではない。


チベットは、
今でも、昔の風習は残っているものの、
一方、
すごく現代的な考え方をしている若者は多い。

チベットは、
民族衣装を着た遊牧民だらけで、
素朴で純粋な生活を送っているってのは、
日本人が勝手に思い描くチベット人なのだ。

確かに、
それらも残っている。

実際、彼女の両親は、敬虔なチベット仏教徒であり、
ショーヨンから色々な話しを聞くと、
え、そこまでやるん?ってゆーほど、
純粋に宗教の世界に身を置いている。

これらの話しは、ブログでは書けないが、
チベット人同士でも、
考え方に様々な違いがあるようだ。

金銭的な事や、
宗教的、政治的な事も複雑に絡み合った現状がある。

そういった現実的な背景も含め、
チベット人の若者は、
「今の世界に生きるチベット人」として生きているのを感じる。

中国圏に移り住んだチベット人の若者は、
いや、
移り住まなかったとしても、
現代的な感覚は、
驚く程に浸透している。

タトゥーなんて当たり前だし、
黒いジャージ上下にスニーカーというお約束の
今風の中国人(漢民族)スタイルのチベット人だらけだ。


今、
チベット族、チベット、という、
地域、人種、生活、文化、は、
『大きな変化の時』にある。


今が、ちょうど、その変化の世代にあたっている、と感じている。


一世代上、そう、彼ら、彼女らの親は、
伝統的な風習、良くも悪くも、を多くは重んじているが、
その子たちの世代は、
新たな価値観を持ち始めている。

現代的な価値観の波が押し寄せ、
それはとんでもないスピードで人々に変革をもたらしている。

街や人は、
年単位ではなく、もはや月単位で変化をし、
そう、
近い将来、僕らが想像するよりもはやく、
昔のチベットは姿を消すだろう。

それは、
当たり前のことであり、
昔の姿を好しとするのは、
日本人の勝手な期待であって、
僕ら日本人だって同じ道を辿ってきたのだ。

そして、
チベットの古いモノも同様である。

全ては、
凄い勢いで姿を消し、
金銭主義の経済社会が産み出す、
新しくて便利で煌びやかな物がもてはやされる。

一方、
姿を消しつつある古い物は、
それらが持つ物語よりも、
単なる「金銭的価値」として理解されているのだ。

何が良くて、
何が悪い、って話しではないし、
いわゆる、
「古くて佳い物」という事も、
個人個人の見方・趣向でしかない。


しかし、
古いモノに、かつての姿を想像を巡らす事はできる。

想像する事は、
俺にとっては大切なことだ。


チベットの古く伝統的な(というものの、俺は昔は知らんが)スタイルと、
現代的な感覚が圧倒的な力で押し寄せ、
パワーバランスが崩れつつある、今、
チベットの古いモノに何を視るか、
俺は、
何を視る、のだろう。



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