旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

ザンスカールのプルネ村での結婚式

2023年09月13日 | 仕入れ旅




今日はプルネ村で友人の親戚の結婚式がある。

ザンスカールで結婚式を見るのは二度目かな。

今回も友人に誘われて参加いたしました。

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プクタル・ゴンパを早朝出発し、
早速、プルネ村へ徒歩で向かう。

これをトレッキングと言うかどうかは別として、
短時間で壮大な景色の中を歩けます。





川を新しい橋で渡ります。

同行者のアグネス嬢の後ろ姿。




歩いていて面白い。
道は一本道。



岩の形が変わっている。
土台部分が風化し、上の一枚岩だけ残っているのだろうか。

トルコのカッパドキアを思い出したが、
この奇岩、ザンスカールに沢山ある。

カッパドキアは突出して世界的に有名なのは、
トルコの観光アピールの上手さを感じる。
カッパドキアはアクセスが便利なのもあるだろうが。



サクッとプルネ村に到着。

今日は結婚式。
噂通り、やはり多くの人が押し寄せるのでホームステイは満員。
少し先に設営されたテント泊となった。



夕陽が美しい。

今日の結婚式は深夜から始まる。



夜10時くらいかな。
よーやく、新郎新婦が到着。
村々を経てきたらしい。



装飾された家。



伝統装束を着ている。
新婦は足元にはパブゥも履いている。
実際に着用しているのを初めて見た。

右後ろに見えるのは、
結婚の嫁ぎ物関係。
冷蔵庫とかもあった。



儀式ですな。



僧侶のお祈り。

僧侶の一人と帰りのジープが一緒で、
僕がチベットに何度も訪れている事を知ると、
チベットの事に興味を持たれた。
政治的な理由で、彼らはチベット本土には行けないのである。
それが現実。



大混雑。



ターコイズで飾られたペラク(頭飾り)も見える。
民族衣装、大集結である。



庭に設営された会場では、酒盛り。
樽で用意された地酒チャン。
ビール的なお酒です。
前回も見たが、すごい量である。

皆、酔っ払い、深夜はカオスでした。
酒の匂いが充満し、
酔っ払っている男性多数。



僕はビールは嫌いなので、マナリ産の地酒ラムを飲む。
美味しゅうございました。






翌日。
食事が振る舞われていた。
食事や飲み物、お菓子は全て無料。

年配のオババたちは、民族衣装の絞り染めケープ「リンツェ」を着るが、
若い人はもう誰も着ていない。
確実に失われる文化であろう。

写真では伝わらないが、日向は灼熱の日差し。
昨日の夜は寒くダウンを着たが、ここは高地の山岳部。
山の天気である。


さて、結婚式もひと段落である。

この日、友人に頼んだ車でパドゥムへ戻る。
なんだかんだで、プルネ出発は15時過ぎになってしまった。

結婚式の後は満員なので、
他の欧米人の旅行者は、
車を捕まえるのに一苦労していた。


続く。


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ザンスカールのプクタル・ゴンパ再訪

2023年09月12日 | 仕入れ旅




チャー村でホームステイした翌朝。

プクタル・ゴンパへと出発です。
徒歩でしか行けませぬ。



道は前回来たので覚えている。
最も、迷いようがない一本道です。
車道はすぐに無くなる。

なお、プクタル・ゴンパへは、
チャー村とプルネ村の両方から行けるが、
チャー村から行った方がアドベンチャー感があって楽しめます。

プルネ村からプクタル・ゴンパは楽勝で行けます。



崖の上を行く。
ダイナミックなので、
写真だと伝わらないが、結構な高さの崖。



道が崩れております。
右側は百メートル以上の絶壁。

赤い服のおばちゃんは友人の親戚の尼さん。
この日、プクタルに行くとの事で同行。



壮大
標高は3800メートル位だったかしら。
谷間なので低地と思いきや、標高の高い高地です。





橋ですな。

今は、この隣に新しい橋ができておりました。
アドベンチャーを楽しむ以外、この橋を渡る必要はなし。



景色、どーん。

崖の上の道から川を見ると小さいが、
意外と大きな川です。



プクタル・ゴンパ(寺院)到着。
1時間半くらいかしら。

久々のプクタル。

相変わらず美しい。

プクタル・ゴンパの麓には寺経営の宿泊施設があります。
トイレ付きのダブルベッドの部屋、夕食込みです。
ミルクティーやコーヒーも飲めます。
僕的には十分清潔だと思いますが、
日本レベルの清潔さは期待しないでください。

なお、テント持参だと宿泊施設の庭に立てられます。



荷物を置き、プクタルへ。





内部。

今年は僧侶が少ない印象。



プクタル・ゴンパからの眺め。
崖にへばりつく様に建てられている。

写真には撮れないが、
普段は鍵がかかっている本堂の古い仏画の数々と、
小部屋の古いオリジナルのカパーラは一見の価値があります。

カパーラは注意して見ないとスルーしそうになるほど、
小部屋の経机にサラッと置かれております。


前回は小坊主どもと遊んだが、
今年は僧侶達との交流はほとんどしなかった。

翌朝のプージャ(儀式)にも顔を出したが、
僧侶の数が少なく、静かなプージャであった。

もっとも、プージャと言ってもお経を唱えながら朝食を食べるだけである。
6時と9時だったか、毎朝行っております。

東チベットとかのチベット寺院での、
大人数で真言を唱える儀式は迫力があるが、
プクタルは素朴で質素なプージャでござった。


明日はプルネ村で友人の親戚の結婚式。

夜は特にやる事もないので、
早めに就寝。

相変わらず、
夜空の星は綺麗だったです。



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レーからザンスカールの中心地パドゥムへ。

2023年09月11日 | 仕入れ旅


さて、ザンスカールです。

一気にいきます。

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レーからジープを飛ばし、
ザンスカールの中心地パドゥムへ。



ジープ
三列シートです。

背後には壮大な景色が広がる。



峠を越える。

タルチョ(旗)がチベット仏教圏であるのを感じさせる。
でも一応、ここはインドでござる。



悪路を飛ばす。
ガタガタ道です。



ひたすら大荒野にひかれた道を行く。



パドゥムが近くなると新しい道が舗装されている。
ビューンと飛ばせる。

新たに開通した短縮道路だが、今は90%以上は未舗装。

所々で舗装工事が行われているが、ほぼ手作業なので、
完成はいつになるのだろうか。
冬場は工事できないだろうし。



パドゥム到着。
道路工事待ちとかで結局10時間位かかった。
疲れた。

僕らはパドゥムでは泊まらず、
ご飯を食べるなど休憩した後、
3時間ぐらい先のチャー村を目指す。

車をチャーターする以外で普通はレーからチャーへの直通はなく、
パドゥムで車の乗り換えが必要だが、
僕は友人と彼の弟が運転する車で行ったので、
チャー村へ直で行く。

なんだかんだかかって
チャー村へは日も暮れた夜に到着。

疲れ切って、夕食も食べず就寝。

前回も訪れたチャー村。
写真も撮らず。

翌朝からプクタル・ゴンパへ向けての歩きに備える。

因みにザンスカールのどの村にも大抵はホームステイは可能です。

続く。


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インド・ザンスカールへの旅。

2023年09月07日 | 仕入れ旅



仕入れとかの事を吹っ飛ばし、
ザンスカールへの旅です。

ザンスカールとは何処ぞ?と思う方は多いと思うので、
超ざっくり言うと、ラダックの奥地のザンスカール地方である。

そこの出身者は、
ラダック人ではなく、
ザンスカール人(ザンスカーリー)と自認している、
ザンスカールである。
正確にはラダックではない。

インド人でも知らない人は多い。
むしろ知っている人の方が少ないだろう。

陸路でしか行けないザンスカール。

数年前まではカルギルで一泊を経て、
二日がかりで行くザンスカールだったが、
去年だったか新しい短縮道路が開通し、10時間ほどで行けるようになった。

バキバキのチベット仏教圏ザンスカール。
もはやインドである事を忘れてしまうような土地である。

僕的には久々のザンスカールである。

奥地でもどんどんアクセスも良く便利になっていくインド。
とは言え、未舗装の道をシェア・ジープで8時間から10時間近くはかかる。
2023年8月現在、途中で道路工事をしてるので、それ次第でもありまする。

僕の目的は、プクタル・ゴンパへの再訪である。

そして、友人の親戚が結婚式をプルネ村でやると言うので、
日程も合ったので行く事にした。

仕入れ?

経験上、それは難しいだろう。

10年以上前はザンスカールからレーに
良い物が持ち込まれていたと言う。

しかし、僕が知る限り、
もう、ザンスカールからは持ち込まれていない。

古く良い物はあるにはあるのだが、
それらが簡単に市場に流通する事は今や無いだろう。

以前もザンスカールで良いアンティークを探したが、
仕入れは、かなり困難だった。

前回は最終的に、
複数のチベット寺院に直接行き、
僧房(僧侶の宿舎)まで入り込み、
そこの老僧侶から譲り受けるストロング・スタイルを敢行した。

今回はその時間はなさそうだ。

なので、仕入れは運次第だね、と優先順位を落とした。

今回は成り行き上、
たまたま目的地が同じだったトレッキングに一緒に行ったフランス人のアリスと、
シェア・ジープで出会ったスイス人女性アグネスと行動を共にしました。

因みに、あまり知られてないよーだが、
シェア・ジープは座席によって値段が違います。
一番後ろの席が一番安く、
助手席が一番高い。
中間の席(一般的な後部座席)はその中間の値段。
基本的には一応、値段は地域協定によって決められているらしい。
が、旅行会社経由だと高い場合があります。

ザンスカールの中心地パドゥムからレーまで、
一番後ろの席で2000ルピー、中間の席で2500ルピーでした。

1円でも節約したい!と言う方は、
帰りは、パドゥムからハイウェイが通るラマユルまでジープで行き、
ラマユルからローカル・バスでレーまで帰る、と言う裏技もありますが、
はっきり言って、ラマユルを観光したい以外では意味はないと思います。

もっと節約したい人は、
パドゥムからレー(またはレーからパドゥム)までもローカル・バスもありますが、
短縮道路を使わずに長時間で長距離グルっと回るので、
かなり疲れると思いまする。
普通はジープで往復します。

また、今はパドゥムからマナリにも抜けられます。
色々なルートが実はありますて。


次からは、
ザンスカール編です。
たぶん。


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ラダック・ザンスカールへ旅してました。

2023年08月31日 | 仕入れ旅


今、クアラルンプールの乗り継ぎの時間で、
空港のベンチでこの文章を書いています。

また長期間ブログを更新しなかったのは、
渡航していたからです。

渡航先はインド。

ラダックとザンスカールでござった。

何度目のラダックだろうか。
覚えていない。

さて、そのラダックの中心地の街レー。

今や秘境でも何でもない。

街中の道も綺麗に舗装され、
カフェが立ち並ぶ。

ホテルも乱立建設中だ。

現地ラダック人が営む、
こじんまりしたゲストハウスを傍目に
今風のホテルも新たに続々とオープンしている。

現地の友達に聞いたら、
どうやら、ちょっと宿泊代が高いホテルには、
お金を持ったインド人をはじめ、
綺麗な旅行を好む欧米人やアジア人も泊まるらしい。

以前は、インド人旅行者はあまり見かけなかったが、
少し前のラダックを舞台としたインド映画の影響もあり、
今やインド人だらけである。

そして、外国人旅行者の数も凄く多い。

ぱっと見、旅慣れていなそうな旅行者だって結構な数が居た。

最早、ここは観光地として出来上がってしまっていた。

続々と各地への新しい道が開通して
アクセスや近隣へのルートも便利になっている。

個人的にはやる気がなくなるが、
これも時代の流れでしょうね。

だが、忘れていはいけない。

ここはインドであり、
標高3700m付近の高地である。

そして極度に乾燥した地(今年は異常気象で雨が降ったが)なのである。

ザンスカールで、スペイン人だったか?の男性が行方不明に
なっていて、街中に張り紙が貼ってあった。

後日、聞いたところによると、
その男性は死亡したらしい。

トレッキングに一人で行って、
道に迷い、
捜索後に見つかった時には死んでいたという。

インドにあって、そーゆー話は散々聞いてきた。

病気、事故、事件、たくさん聞いてきた。

まぁ、色々ありますよね。
責任は個々の自由で。


とゆー訳で、
ラダック・ザンスカール関連の話がこれから続きます。
たぶん。


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