祭りといえば、リオのカーニバルが頭に浮かぶ、知っての通り、キリスト教の復活祭に関連したお祭りである。
日本の昔から祭りの多くは、神社が中心となって行なわれ、五穀豊穣を祈り感謝するとか、城主への感謝などから始まったものが多い。
ところが、近年観光地で行なわれる祭りの多くは、単なる「ショー・見世物」にしか過ぎないものが多い。
よさこいソーランなどは典型的なものだろう。少し後に行なわれる北海道神宮の例大祭が、すっかり霞んでしまうほどの勢いだ。
みんなで参加して楽しみ、何かに感謝するのが祭りなのだと思うのだが、最近では、セミプロ化して、入団にオーディションがあったりとかで、良い話を聞かない。
創始者を国会議員にまでしてしまったおばけ祭り、いつまでこの状態が続くのか疑問を呈さざるを得ない。
今回、函館では港祭りが行なわれていた。昔とはすっかり様相を異にしているとの情報で、前日に帰ってきてしまったが、以前は海への感謝の気持ちがあったものと思う。しかし、最近は単なる「いかおどり」ショーになってしまったらしい。今年はいかも昨年に増しての不良と聞く。
みんなで楽しめるならそれはそれで否定しないが、「青森ねぶた」海上運航が今年だけという条件付で実施された理由を、心にとどめて欲しい。
灯篭流しと同じ鎮魂の意味をを持つ行事なのだから、来てください、と言って、分かりました、また来年も・・というわけにはならなかったと聞く。
祭りには、このような厳粛な面も持つことを、我々は自覚したいものだ。