ミハ缶ブログ

ヘタレ大学院生が綴る日常と非日常。
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常識と非常識

2008年09月27日 | 2010年以前の記事
 先日、経営学科の人と話をする機会がありました。

私(歴史地理学科)「うちの学科には長門スキーな先生も居るんだよ~」
彼(経営学科)「へぇ~。……長門っていうと、あの長門だよね?」
私「うん、対有機なんたらインターフェイスの方。帝国海軍の方じゃないよ。まあ、あっちも良いけどね」
彼「帝国海軍?」
私「大日本帝国海軍の戦艦で居るじゃん、長門」
彼「……??」
私「尤も、帝国海軍の軍艦なら、長門よりはむしろ雪風が……」
彼「???」
私「あ、ごめん。もしかして知らなかった?(^^;)」
彼「うん。戦艦っていうと大和しか知らない……(´・ω・`)」
(※一部フィクション)

 よくよく考えれば、彼の反応は尤もですよね。余程第二次大戦(大東亜戦争・太平洋戦争)とか軍事に興味が無ければ、陽炎級駆逐艦はおろかドレッドノート級戦艦すら知らない訳で。私が経営のイロハを知らないというのと同じです。



 さて、「常識」という言葉があります。この「常」を「常民」という言葉と同じように解釈するなら、「一般的な(普通の普遍的な)知識」という意味になると思います。
 対義語は「非常識」ですね。「非」という一言をつけるだけで真逆の意味になる辺り、日本語というものは本当に便利なものです。「非常識」という言葉は、よく相手の無知を責める時などに使われますが、今回は「常識ニ非ズ」という意味として使いたいと思います。

 では、この「常識」と呼ばれているものについて観察をしてみる事にしましょう。
 先に挙げた事例では、私は常識として「長門(有希)」「(戦艦)長門」といった固有名詞を出しました。前者は彼も理解して戴く事ができましたが、後者については彼がご存知無くて理解して貰う事はできませんでした。
 という事は、「長門(有希)」は常識で、「(戦艦)長門」は非常識なのでしょうか。

 人間は一人ひとり生きてきた環境が異なっています。育つ環境が異なれば、情報の受け取り方取捨選択の方法も学び方も異なってくるのも当然です。となると、一人ひとり頭の中にある知識というものは違う組み合わせになっているはずです。そのような状況で、そもそも「一般的な知識」といったものが存在し得るのでしょうか。
 ここで、「常識」という言葉の定義に使われていた「一般的な」「普遍的な」という言葉を「ある特定の集団において全てないし大半が当てはまるもの」と解釈するなら、ある特定の問いに対する答えが少なくとも50%を超えて一致しているか否かといった統計学的手法によって「常識とは何なのか」という問いに答えを見出す事ができるかも知れません。
 そうなると、一般的に「専門知識」と呼ばれているものは、定義上、案外自文化中心主義的な言葉となるのかも知れません。面白そうなので、一度ちゃんとした調査をやってみたいものです。

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