道遊の 割戸となりし 金の山
芭蕉の生まれた時代は金山の最盛期は過ぎていたようですが、「奥の細道」を旅した1689年頃は地中からの湧き水との戦いで、新型排水器具を導入、その後江戸、大阪などから幕末までの100年間に約2000人の無宿人が送られたそうです。
彼岸入る 帰れぬ島か 佐渡送り
技術は最先端、金山洞窟跡の展示物で知り、ロボット人形で感じます。 金山はかならず立ち寄るとこですが、相川~東京間の距離を掘ったのです、山の頂から海の中まで、湧き水の処理が大変だったでしょうね。
やわらぎや 親方が着る 百足柄
(洞窟の中なので暗いのです、腕のせいかもしれません。)
「やわらぎ」は山の神の心を和らげ、鉱脈がやわらかくなり手掘が容易で安全な様にとの、祈りだそうですが、白い紙の面を付けて樽を叩いて唄います。
金銀を 運ぶ佐渡路に 華の宿
芭蕉が寄った、出雲崎は金銀の陸揚げ港として賑っていたとおもいます、今日は・・「良寛と夕日の丘公園」があるみたい。
良寛は「奥の細道」から70年後、佐渡出身の母から出雲崎で誕生しました。
良寛は芭蕉の影響、受けてますよね。
出雲崎へ次回いってみます。
芭蕉の生まれた時代は金山の最盛期は過ぎていたようですが、「奥の細道」を旅した1689年頃は地中からの湧き水との戦いで、新型排水器具を導入、その後江戸、大阪などから幕末までの100年間に約2000人の無宿人が送られたそうです。
彼岸入る 帰れぬ島か 佐渡送り
技術は最先端、金山洞窟跡の展示物で知り、ロボット人形で感じます。 金山はかならず立ち寄るとこですが、相川~東京間の距離を掘ったのです、山の頂から海の中まで、湧き水の処理が大変だったでしょうね。
やわらぎや 親方が着る 百足柄
(洞窟の中なので暗いのです、腕のせいかもしれません。)
「やわらぎ」は山の神の心を和らげ、鉱脈がやわらかくなり手掘が容易で安全な様にとの、祈りだそうですが、白い紙の面を付けて樽を叩いて唄います。
金銀を 運ぶ佐渡路に 華の宿
芭蕉が寄った、出雲崎は金銀の陸揚げ港として賑っていたとおもいます、今日は・・「良寛と夕日の丘公園」があるみたい。
良寛は「奥の細道」から70年後、佐渡出身の母から出雲崎で誕生しました。
良寛は芭蕉の影響、受けてますよね。
出雲崎へ次回いってみます。
紙風船どんな意味があるのかしら? まだ分かりません。 お勧め、教えて下さい。
旅先は 知らぬが仏 楽しんで
また よろしくおねがいします。
しかし、出雲崎と良寛受所縁の地は何回も行っていますので楽しみにしています。
PS・・・紙風船、色々珍しい物が有るようです。お土産に宜しくネ