散歩道

歴史上の名所含む散歩道

松姫さん、どっち

2005-06-26 13:45:41 | 散歩道
10年振りに信松院(東京都八王子市台町3-18-20)に行ってきました。院の周辺は道路整備工事で道幅も広く綺麗になり、ご近所のお宅も建替えて風景が変わっていました。当時は武田信玄のご息女の墓所・・・観光気分のお参りでした。が、改めて墓前の市指定史跡の看板を読みますと「松姫尼公は永禄4年(1561年)武田信玄の4女(6女ともいう)として生まれ・・・・」どっち・・松姫(4女)⇔菊姫(6女)姉・妹の位置関係が分からないと云う事ですよね。じゃぁ5女は?なに姫さま?「幼くして亡くなり詳細不明」という方がいらっしゃいます。山梨の恵林寺に武田家の家系図が書かれておりますが、信玄さんの姫達は5人いらした事に。名は無く女で表示。宝物館の方に、姫は6人いらしたのではと聞きましたが、はっきりと分からないとの事。立派な後継者を生み育てるのは女でしょう!名を記さないなんて!腹立たしい!。でも信玄さんは子煩悩なんですって。長女(黄梅院)の安産を祈っての自筆願文、早世した娘(桃由童女・命日永禄元年(1558年)3月22日)の菩提を弔う為、寺に寄進した記録や、松姫の病気平癒の為の願文が見つかっているそうです。父親としての優しさが伝わってきます。それ故、信玄さんが駿河を侵攻し、長女の嫁ぎ先の北条家が激怒。長女は4人の子供を残して離縁され実家に戻りましたが、泣きの毎日で半年後に亡くなったそうです。信玄さんが蒔いた種とはいえ、父として辛く悲しかったでしょうね。姉・妹の位置関係に戻りますが、私は、桃由童女4女(1558年没)菊姫5女(1558年生)松姫6女(1561年生)と勝手に位置づけしています。唯 織田信忠(1557年生)の婚約の際、菊姫は信忠より1歳年下。松姫は4歳年下。当然 信忠の婚約相手は菊姫と思いきや、姉をさしおいて妹の松姫。だから巷では姉妹の名前が逆ではないのかと言う人もいるようです。・・・う~ん もしかして信玄さんに何か思惑があったのかもしれないし・・・姉妹の母上は藤野の方(油川御料人)で甲州一の美貌と言われた方で、松姫もとても綺麗な方のようです。信忠さんも美しい姫と聞及んで望んだかも知れないでしょう?・・・同じ母上なら菊姫だって・・・そうはいかないのが世の常。親戚にもピン~キリぐらい美貌に差のある姉妹がいますもの。妹が姉より先に嫁ぐなんて、どうでも良い事。だから私の勝手な推理では、松姫さんは6女なんです。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
菊姫も居たけど? (まままさん)
2009-04-09 19:35:26
今大河ドラマでで出て来た菊姫も居たけど本当にお嫁にいったのは、どちらでしょーね20年位前に民放のドラマで鈴木保奈美主演で松姫様の事放送してた記憶が・・あるんだけど???です。