歴声庵

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常陸:芹沢城址・芹沢鴨生家跡

2012年09月16日 23時49分14秒 | 登城記・史跡訪問


 芹沢城址の石碑

 茨城県の霞ヶ浦東岸の行方市に芹沢城址が在ります。芹沢と聞くと、新撰組局長の芹沢鴨を思い浮かべる方もいらっしゃると思いますが、何とこの芹沢鴨の先祖が、芹沢城城主だったと歴史研究家のあさくらゆうさんに教えて頂きました。それにしても芹沢は地元の名士の出身だとは思っていたものの、よもや豪族の子孫だったとは驚きました。
 
 芹沢氏は平家出身の在地勢力で、戦国時代は佐竹氏に対抗していたものの、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の承認を得た佐竹義宣公による、霞ヶ浦東岸の勢力の粛正により没落し、徳川家の元に走ります。その後関ヶ原で佐竹氏は出羽に転封された事もあり、大坂の陣で戦功を挙げた事により、芹沢氏は旧領に復帰します。以降芹沢氏は代々、芹沢城址の麓に屋敷を築き江戸時代を過ごし、幕末に芹沢鴨が生まれる事になりました。


 芹沢城址南東を見て。訪れたのが夏だったので、藪によって阻まれて見えませんでしたが、冬場には空堀や土塁などの遺構が見られるそうです。
 この芹沢城址はまだ発掘調査がされていないらしいので、城郭マニアにとっては垂涎の的かもしれません。


 芹沢城址の碑から芹沢鴨生家跡に至る道。恐らく切通跡だと思われるのですが…。


 芹沢城址麓に在る、芹沢鴨生家跡の門。


 芹沢鴨生家跡の現況。普段は一般公開されていないとの事。


 芹沢鴨生家跡の前に通る道。この道は芹沢鴨も歩んだ道でしょうが、カギ道に見えるのは私だけでしょうか…。

 オマケ:史跡とは何も関係がありません。


 史跡訪問中に見つけた、毛虫を補食していたアリジゴク。実はアリジゴクを肉眼で見たのは初めてだったので興奮しました(^^;)。


 同じく史跡訪問中に見つけたアオダイショウ。


 茨城空港に展示されていた、航空自衛隊のF-4EJ改。
 尚、こんな史跡とは関係ない画像ばかり撮っていたら、「ちゃんと史跡を見て下さい」と怒られました(^^;)。

 余談ながら、芹沢家は医薬に通じており、鴨自身も医学を学んでいたそうです。後年土方歳三に謀殺される鴨ですが、その遠因は新撰組内の医薬の利権を独占しようとする土方(土方の家も医薬を販売)に、ライバル視されたからではないかとの新説(珍説)を提唱したいと思います(^^;)。

 訪問日:2012年09月16日

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4 コメント

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Unknown (篠本)
2012-09-17 15:04:29
昨日は遠路玉造までお越し頂きありがとうございました。
案内人をさせていただきました篠本です。

行き届かない点も多々あったことお詫び申し上げます。

今後共よろしくお願い致します。
Unknown (つか)
2012-09-18 23:57:25
篠本様

 こちらこそ、ありがとうございました。芹沢城址や芹沢鴨生家跡などは、このような機会が無いと、中々訪れる事が出来ないので、貴重な体験をさせて頂きました。
芹沢さん (こまつ)
2012-09-26 20:13:19

ブログのための予習をしていたら、永禄9年の7月に芹沢土佐守定幹なる人物が、足利義氏に白薬・万病円・長命丸を献上していました。この方が芹沢鴨のご先祖なんですかね。
 それにしても、薬の名前が如何にもといった感じですが、どのような効用があるのか、とても気になります。
Unknown (つか)
2012-09-30 20:36:43
こまつさん

>永禄9年の7月に芹沢土佐守定幹なる人物が、足利義氏に白薬・万病円・長命丸を献上していました。この方が芹沢鴨のご先祖なんですかね。

 これは知りませんでした。規模しては国人衆クラスだと思いますが、それでも直接古河公方に献上出来たのですから、平氏の末裔と言う家格は本当なのでしょうね。
 芹沢家が代々作っていた薬の効能は傷薬だそうです。一応明治期に入って厚生省の前身が調べたところ、実際に薬用が有る事が認められたそうです。尚、同じ調査で、土方歳三の実家の石田散薬には効能が無いのが判明しています(^^;)。

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