憲法改正反対!国際法違反の現行憲法凍結!大日本帝国憲法再生!

いろいろなブログを貼っていくつもりです。
いわゆる、「他人のふんどしで相撲を取る」他力本願寺ですね。
アニメ、特撮

ソ連の満州侵略

2017-02-12 19:38:12 | 歴史
真実の日本さんのブログです


http://nanyo.club/?p=1062


引用



敦化事件(とんかじけん)

1945年8月27日に満洲国吉林省敦化(現吉林省延辺朝鮮族自治州敦化市)でソ連軍によって連日に渡り集団強姦され続けていた日満パルプ製造(王子製紙子会社)敦化工場の女性社員や家族が集団自決した事件。 日満パルプ事件とも呼称される。

背景

事件の現場となった日満パルプ製造敦化工場は、1934年に王子製紙が敦化県城南門外牡丹江左岸(敦化郊外5キロ)に設立した工場である。工場に隣接して設置された社宅地は、高さ4.5mの煉瓦壁でおおわれた2万坪の敷地内に 壮麗な造りの社宅と福利厚生のためのクラブなどが設けられており、日本人職員とその家族260人が暮らしていた[4]。また、敦化市内には2,000人の関東軍守備隊の駐屯地があり、 終戦当時には敦化北部の山地に築城しソ連軍の侵攻を食い止めようと備えていた。

1945年8月9日未明に突如としてソビエト連邦が満洲国に侵攻し、敦化に近い東部国境付近では関東軍・満洲国軍がソ連軍と交戦していたが、工場や敦化市内では満人や朝鮮人の態度も変わることなく治安が保たれたままであった。 8月15日に敗戦を迎えた後も工場の満人や朝鮮人従業員は変わることはなかったが、敦化市内では満人や朝鮮人の一部による略奪・放火・日本人女性への暴行が行われるようになった。8月17日、敦化郊外で陣地を築いていた敦化守備隊は工場に資材を取りに来て初めて終戦を知った。8月19日、ソ連軍が敦化市内に進駐してきたため、敦化守備隊は降伏し武装解除された。

ソ連軍進駐

8月22日 ソ連軍は日満パルプ製造敦化工場に進駐した。ソ連軍は社宅に侵入すると1時間以内に社宅の一角を引き渡すよう要求した。ソ連兵はすぐにホテル・レストランを兼ねた壮麗な造りのクラブに惹きつけられていった。ソ連兵はクラブ 従業員の女性2人を引きずり出すとジープで社宅から連れ去った。数時間後に拉致された女性がぼろぼろになって社宅に帰ってきたが、もう一人の若い娘は強姦された後に牡丹江に流され行方不明となった。

8月25日 ソビエト軍は男性全員を集合させると10キロほど離れたところにある飛行場の近くの湿地に連行し、婦女子は独身寮に集められた。170人ほどの婦女子は15,6人ずつに分けられ監禁されることとなった。夜になると、ソ連兵300人あまりが独身寮に移ってくるとともに、 短機関銃を乱射する頻度が夜が更けるにつれて増えていった。女性たちは夜が明けることを祈りながら一晩中恐怖と戦っていた。

集団自決

8月26日夜明け、酒に酔ったソ連兵たちは短機関銃を空に乱射しながら女性たちが監禁されている各部屋に乱入すると、女性たちの顎をつかみ顔を確認しながら、気に入った女性たちを連れて行こうとした。 女性たちは金品を渡したり、許しを懇願したが聞き入れられず、次々に引きずり出されていった。各部屋からは女性たちの悲痛な叫びが溢れたが、ソ連兵は構うことなく短機関銃を乱射し続けていた。このため、女性たちは頭を丸坊主にしたり、顔に墨を塗るなどしたが、 ソ連兵による強姦は朝になっても収まることはなく、部屋に乱入すると女性たちの胸部をまさぐるなどして 気に入った女性たちを何度も連行していった。社宅と塀を隔てた工場に残されていた男性社員たちは、社宅の異変を察知するとソ連兵の監視を掻い潜り塀を乗り越え社宅に潜入したが、厳重な警戒が布かれている独身寮には近づくことができなかった。ソ連兵たちは狼藉を続けるうちに女性たちの部屋の廊下に監視兵を置くようになったため、御不浄や食事もままならないようになった。女性たちは自身のおかれている状況や 絶え間ない銃声から、すでに男性社員たちは皆殺しにあったのではないかと考えるようになった。ソ連兵による女性たちへの昼夜に渡る暴行は8月27日の深夜になっても収まることはなかった。このため、28人の婦女子が集められていた部屋では自決をするべきか議論がなされるようになった。議論中にもソ連兵の乱入があり、 隣室からも女性たちの悲鳴や「殺して下さい」などの叫び声が聞こえてきたため、自決することに議論が決した。隠し持っていた青酸カリが配られ全員が自決を図り、23人が死亡、5人が死に切れずに生き残った。他の部屋ではソ連兵に引きずり出されるときに剃刀で自殺を図った女性もいた。

8月27日早朝、ソ連兵が集団自決を発見し、将校に報告されると各部屋にはソ連兵の見張りが付けられ、女性たちは外を見ることを禁じられ、遺体はどこかへ運び去られた。責任を問われることを恐れたソ連軍将校によって、これ以上の暴行は中止されることとなった。

事件後

その日のうちに女性たちは男性社員が野宿させられている飛行場のそばの湿地に連行された。その後、8月末までは湿地や飛行場で待機させられ、シベリアに連行される日本軍部隊から密かに食料や毛布などを分けてもらうなどしていたが、牡丹江対岸の熊本県開拓団の小学校に遷されると、 毎日のようにソ連軍による略奪が行われ、女性を裸にしてまであらゆるものを奪い去っていった。一切のものを奪われたため、男性社員たちは街に出て材木運びなどの労働に出て僅かな賃金を稼ぐことで命をつなぐこととなった。また、ソ連へ戦利品として工場設備から列車の線路にいたる全てのものを持ち去るための解体作業を昼夜に渡って行わされた。その後、敦化市内の旧軍人会館に移転させられたが、冬が訪れると飢えと寒さと発疹チフスのために87人が死亡した。

———————————————————-

若槻泰雄著「戦後引揚の記録」より

昭和20年8月20日頃であったろうと思う。鞍山から新京守備のために北上したので新京の街は北も南もよく解らないが、たしか終戦の日から数えて4,5日たっていたと思われる頃の出来事だった。そんな日、病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。

12~3の少女から20歳ぐらいの娘が、10名程タンカに乗せられて運ばれていた。それはまともに上から見ることの出来る姿ではなかった。
その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが聞きとれない。
次の女性はモンペだけをはぎとられて、下の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。
次の少女は乳房を切られて、片目を開けたままであったから死んでいるのかもしれない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。

「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」

次々と病室に運ばれて行く少女を目の当たりに見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も教養も平和の中にのみあるのであって、ひとつ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたないのだ・・・・。
一週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無惨、残酷さに敗戦のみじめさを知った。銃で撃たれて死ぬのは、苦痛が一瞬であるが、自分の体重の三倍以上もある毛むくじゃらの男数名になぶられた少女や娘たちは、どんな苦しみであったであろうか。

医師の話では「10名に2~3名は舌を噛んで死んでいるんです」

新京でさえこのような惨状であったわけだが、ソ連軍占領下の治安は、一般的に小都会、田舎にいくほど悪かった。毎夜、婦女子の一定数の割当供出が強要されたところもすくなくない。

条約反故で北方千島、南樺太を不法占拠しているだけではなく、不法占拠する過程において悪逆無道の限りを尽くしたソ連(ロシア)!これをこのまま放置しておいて良いのでしょうか?怒りが込み上げるのは当たり前なのではないのでしょうか?




引用以上



私はこの事件を知りませんでした。ソ連「今のロシア」は日ソ中立条約を一方的に破って日本を侵略してきたのです。この事は知っていましたが具体的な侵略行為は知りませんでした。ソ連だけが特別ではなく日本以外の国の軍隊は非人道的な組織だと思います。
コメント

三角忠て誰?

2017-01-17 20:06:57 | 歴史
東アジア黙示録さんのブログです


http://s.webry.info/sp/dogma.at.webry.info/201612/article_5.html



引用


次の舞台は済州島…吉田清治小説第2弾の原作者が自供を始めた。そして今年もニコニコ現金払いの外務省に代わり、慰安婦ユネスコ登録阻止に向け真実派有志は一点突破でUNの古傷をえぐる。







「次にわれわれがなすべきことは、クマラスワミ報告の見直し、最終的にはこれの破棄ということになります」

先ごろ発刊されたムック『国連発 世界反日時代』のインタビュー記事でも、藤岡教授は、そう力説する。捏造慰安婦のウィークポイントがクマラスワミ報告書にあることは間違いない。

「出版社も吉田も彼の著書が小説であって全く証言と言えるものではなかったと認めました。加えて吉田の息子は、父は行ったことのない場所の地図を見ながら本を書いたと告白しています」



息子の告白とは『新潮45』9月号に掲載された大高未貴さんの衝撃スクープで明らかになったものだ。そこで吉田清治こと吉田雄兎の長男は、捏造派が目を覆いたくなるような事実を語っていた。

「父は済州島に行っていません。それは父から聞いています。それで父は、済州島の地図を見ながら、原稿用紙へ原稿を書いていました」(前掲誌70頁)

俗に言う創作秘話である。また、藤岡教授が指摘した「小説と認めた出版社」とは、デビュー小説を発行した新人物往来社のことだ。20年以上前に秦郁彦氏に対し、フィクションと明言していた。
▽デビュー小説『朝鮮人慰安婦と日本人』(S52年刊)


一方、この期に及んでも吉田清治の小説をノンフィクションと言い張る嘘吐き連中がいる。1人は、旧バウネットで朝日新聞幹部と一緒に共同代表を務めていた捏造派の拡声器・西野瑠美子だ。

そして、もう1人が小説第2作の版元である三一書房の元編集者・三角忠である。ネット上でも全く無名の人物だが、慰安婦捏造の黒いVIPである可能性が高い。

【小説第2弾の原作者が判明した】

「“日本軍による朝鮮人女性の強制連行”という戦後最大のフィクションを、とてもではありませんが父一人で書けるはずがありません。父の本を担当した編集者がなんらかの鍵を握っているはずです」(『国連発 世界反日時代』96頁)

取材に訪れた大高未貴さんに吉田雄兎の長男は、そうアドバイスした。「父の著作の謎」を解く鍵を三一書房の三角忠が持っていると言うのだ。大高さんは続いて三角の直撃にも成功する。

「あれは真実なんです。(略)吉田証言を否定することは朝鮮人慰安婦に対する冒涜だと思います」(前掲書97頁)
▽笑顔でTBS出演の吉田清治


のっけからノンフィクションだと断言する。吉田のデビュー小説には下関で慰安婦をスカウトする逸話が登場。それが何故、小説第2作では済州島での大規模慰安婦狩りに変化したのか?

「私からヒントを出した」(「新潮45』69頁)

三角は自分が勧めたことをアッサリ自供した。三角は当時、済州島蜂起を描いた在日作家・金石範の小説『火山島』に刺激され、吉田にストーリーを解説。すると吉田は、こう反応した。

「あっ、そう言えば」(前掲誌70頁)
▽吉田と朝日新聞関係者の謝罪ショー


突然、思い出したという。「20世紀最大規模の人身売買」と米議会が決め付けた“悲劇”にしては軽いノリである。現実には記憶が蘇ったのではなく、担当編集者が小説の設定を提供しただけである。

出稼ぎの朝鮮男の“強制連行”にすり替えても読者のウケは悪い。そこで三角忠は、デビュー作で地味な扱いだった慰安婦を主役級にし、舞台を済州島に変えて執筆を促した。無茶な注文だ。
▽蜂起に続く済州島大虐殺’48年4月


その為、吉田は地図と睨めっこしながら創作する羽目に陥った。実際、三角も担当作家が済州島に不案内であることを知っていた。「父は行っていない」という長男の言葉を伝えるとイキナリ開き直る。

「“彼が済州島に行ってないだろう、だからこの本はデタラメだ”ではなく、済州島に慰安婦は居たんですよ。吉田清治が慰安婦の問題を提起したことが重要なのです」(『国連発 世界反日時代』97頁)

日本叩きの一環で創作小説を戦中秘話と偽って出版したことは明らかだ。この三角忠は単なる極左出版社の元編集者ではない。よく言えば社会運動家、ストレートに表現すればテロ組織の現役活動家である。

【最重要資料2点の原作者は同一】

「『労組交流センター』代表の三角忠は公安のスパイだ」

そう大きく書かれたアジビラが都内で撒かれた。波状攻撃を実行したのは後期高齢テロ組織の革マル派で、三角忠は中核派の活動家だという。60年代の香り漂う内ゲバである。

噂や憶測ではない。三一書房退職後、三角が代表に就任した「全国労組交流センター」は、中核派の機関紙『前進』に頻繁に登場する。三角が、いわゆる公然活動家であることは確実だ。
▽路上で暴れる三角忠(前進系HP)


三一書房でも労組トップだった三角は、退職後に編プロを立ち上げた模様だが、本職は変わらず反国家活動。2年前にはJR水道橋で駅員を襲撃し、逮捕されている。

“済州島慰安婦狩り”のプロットを提示し、偽の戦記をプロデュースした人物が凶悪な活動家であっても特に驚きはしない。だが、三角が世に送ったのは、吉田清治だけではなかった。
▽安田浩一の同志・三角忠のアジ演説


「慰安婦といえば金一勉さんなんかの本も担当しました」(『国連発 世界反日時代』96頁)

昭和51年に発行された在日朝鮮人・金一勉(キム・イルメン)の『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』も三角が練り上げたものだったのだ。慰安婦の90%近くが朝鮮人で推定20万人など嘘を並べた捏造本である。

金一勉の地味な捏造本は約20年後、香港在住オーストラリア人ジョージ・ヒックスの『The Comfort Women』として華々しく復活。同署の引用は大半が金一勉の著作で、正体は焼き直しだ。
▽三角忠編集の捏造本(三一書房刊)


UN人権委のラディカ・クマラスワミが筆頭に上げた“歴史資料”がヒックスの捏造本で、次が吉田雄兎の小説だった。この2点に中核派・三角忠が深く関わっていたのだ。

ちなみにヒックスの捏造本は、クマラスワミ報告に合わせて和訳版が出ている。金一勉の英訳版を更に和訳するというトリック編集で、これも出版は三一書房。担当者は恐らく三角だろう。
▽金一勉捏造本のヒックス名義“再編集英訳版”


「私たちは新たに特別報告者を日本に派遣し、クマラスワミ報告の信憑性を検証するようUNに対し、強く要求します」





引用以上



三角忠
公安のスパイであることを暴露され、
逃げまわる「労組交流センター」
代表三角忠を追撃せよ
 米・英のタリバンへの空爆テロ弾劾!
 自衛隊派兵・日本の参戦阻止!
 権力のスパイ集団に操られた「11月労働者集会」を許すな!





2001年





2月27日、「2.27ビキニデー50周年東京集会」が、同実行委員会の主催で阿佐ヶ谷の産業商工会館で開かれました。集会では、第5福竜丸元乗組員の大石又七さんとヒロシマの被爆2世の野田次郎さんの「第5福竜丸とヒロシマをつなぐもの」をテーマにした反核対談を中心に、核と戦争の問題を掘り下げました。過去のものとして葬られてきたビキニの被爆の問題が現在につながる課題てあることが明らかにされました。




2004年

​​ビデオプレス  

173-0036 東京都板橋区向原2-22-17-403

現在制作中の「君が代不起立・続編」に対して264名に達するDVD予約・制作カンパが寄せられています。

での署名

2008年





731部隊・細菌戦被害者の証言集会の司会


2010年







2月20日(金)、警視庁・神田警察署は、救援連絡センター運営委員である三角忠さんをJR水道橋駅の職員とのささいなトラブル(全治3日間)を口実にして、傷害容疑で不当にも令状逮捕した。編集者の三角忠さんが、20日に逮捕された。三角さんは、三一書房を退職したあと、編集工房・朔を経営し、精力的に社会問題を世に問う本を出版してきた。

また、救援連絡センター運営委員やユニオン東京合同副委員長などを務め、 秘密保護法に反対する運動にも熱心に取り組んできた。2014年

よこはま夢ファンド50000円寄付

2014年





三角忠(8・6 広島-8・9 長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会事務局長)2014年




三里塚芝山連合空港反対同盟
署名2016年


2016年 1月   救援連絡センター運営委員会
代表      足立 昌勝
代表弁護士  葉山 岳夫
事務局長   山中 幸男
運営委員   長谷川英
同      三角  忠

なかなか精力的に活動してますね。
コメント

沖縄独立のダブルスタンダード

2017-01-17 09:15:25 | 歴史
農と島のありんくりん〜さんのブログです



http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/610475/515571/86646283



引用




さて、ここで提言ですが、本島の「オール沖縄」は琉球新報の笛に誘われるようにして分離・独立志向を強めています。

今後、翁長氏が「オスプレイ撤去」「移設反対」で県民投票をすることがあれば、その真の主題は分離・独立です。

八重山・宮古の皆さん、本島について行ってこの愚かな企みにつきあいますか?

分離・独立の先には、中国領への編入が待ち構えているのは明白だからです。

その場合、八重山・宮古は本島の独立派が使うロジックである、「有事独立」を「先住民」として行使されたらいかがでしょうか。

オヤケアカハチ

沖縄の分離・独立派が「自分たちは日本人じゃない」と言うなら、八重山人もまた「沖縄人」ではないと言い切れます。

「オール沖縄」が「琉球処分で軍事侵略された」というなら、八重山を武力侵略したのは、他ならぬ琉球王国です。

薩摩の収奪を恨むなら、八重山に過酷な人頭税を課したのは琉球王国ではなかったのですか。
人頭税石 - Wikipedia

人頭税石

オヤケアカハチは誰と戦ったのでしょうか。琉球王朝の軍事侵略に対して激烈な抵抗したのではありませんか。
オヤケアカハチ - Wikipedia

私は本島が分離・独立という愚かしさの極みの選択をした場合、八重山・宮古は沖縄県から「先住民の民族自決権」を行使し、「八重山・宮古県」として「独立」すべきだと思います。

「オール沖縄」が使ったロジックを、そのまま逆手に取るのです。

そしてさらに、「八重山・宮古県」は本土政府へ再統合を要請して下さい。

もちろん、今日書いたことは空論にすぎません。

しかし、今やただの空論とはいえないようなことを起こそうとしている人たちが、県政を握ってしまったのは紛れもない事実なのです。

最後に「ゆう」さんのコメントにあった、石垣島初老の方の言葉で締めくくらせていただきます。

「ゆう君、君にとっては、琉球というと、沖縄から与那国島まで全てをさすと思っているだろうけど、これだけは言っておくよ。八重山は八重山であり、琉球じゃない。私は、八重山人として「琉球」と一括りにされるのは違うと思っている。」





引用以上


沖縄が日本から独立するのが可能ならば、宮古・八重山が沖縄から独立することも又可能です。
『 遠弥計赤蜂の乱(オヤケアカハチの乱)は、1500年に八重山島大浜村[1](現在の石垣市大浜)の豪族オヤケアカハチ[2]と、琉球王国(尚真王代)との間で行われた戦争である。琉球が勝利し、赤蜂を殺害した。』にあるように独立戦争を仕掛けても構わない訳です。アメリカがイギリスから独立したきっかけも税金だったのですから。
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ヒトラー英雄論

2017-01-14 20:41:51 | 歴史
よもぎねこです♪さんのブログです


http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-5754.html?sp


引用

 ヒトラーはアジアに何も悪い事をしていません。
 アジアに悪い事をしたのは、イギリス、フランス、オランダ、アメリカ、それにポルトガルなどです。
 これらの国々はアジア諸国を侵略支配して、数百年に渡りアジアの諸民族を奴隷化しました。
 またその過程で虐殺や文化破壊も行いました。
 アジアの人々からすれば、悪いのはイギリス、フランス、オランダ、アメリカ、ポルトガルなどであってドイツではありません。
 ドイツはこのような国々を、後ろから打ん殴り叩きのめしてくれたのです。
 実際第二次世界大戦中、ドイツがヨーロッパで大暴れして、こうした国々の国力を大きく削いでくれたことは、後にこれらの国々が独立するための大きな助けになりました。
 アジアに植民地を持っていたヨーロッパの国々の中で、唯一第二次大戦中にドイツの侵攻を受けなかったのはポルトガルです。
 このポルトガルだけは第二次大戦後もアジア、アフリカの植民地を維持し続けたのです。
 その為ポルトガル植民地だった東チモールやアフリカのアンゴラの独立戦争は数十年に渡る凄惨な物になりました。
 これを思えば、第二次大戦後数年で独立できたアジア諸国は、幸運そのモノです。
 ワタシが東チモールの独立派だったら思うでしょう。
 ああ、ヒトラーがポルトガルまで侵攻していてくれたらなあ・・・・。
 ユダヤ人の虐殺もユダヤ人にとっては大変気の毒だし、大変悪い事です。
 しかしヒトラーのユダヤ人虐殺程度の虐殺は第二次大戦後も何度も起きていますし、またそれ以前にもありました。
 共産主義者はヒトラーのユダヤ人虐殺より一桁多い人間を殺しています。
 オランダなど長期の植民地支配の過程で殺した人の数も、ヒトラーに引けは取らないでしょう?
 オーストラリアやアメリカで行われた原住民虐殺だって大変な規模です。
 勿論、ユダヤ人が自分達の仲間を殺したヒトラーを憎み非難するのは当然です。
 しかしそれを言うなら、インドネシア人はインドネシア人を殺したオランダを非難するのも当然でしょう?
 人間は普通、他人を殺した奴より、自分の身内を殺した奴の方が憎いし、また自分の身内を殺した犯人を懲らしめてくれた奴がいれば。たとえソイツがどんな凶悪犯でも恩人として感謝するのです。
 何でアジア人が自分達アジア人を殺した宗主国よりも、ユダヤ人を殺したヒトラーを優先的に恨む義務があるのですか?
 少し脱線するけど、ユダヤ人迫害はヨーロッパ全体で伝統的に行われていたことで、ヒトラーの発明でも専売特許でもありません。
 だからナチが東欧諸国を占領した時に、地元の人達がナチに便乗してユダヤ人の大虐殺をやりました。
 ポーランドなど第二次大戦終結後にポーランドに戻ってきたユダヤ人を虐殺すると言う事までやっています。
 またパレスチナ問題に絡んで、イスラム諸国の反ユダヤ主義も燃え上っています。
 ところが大変奇妙な事に、ユダヤ人団体はこうした問題は一切不問に付して、ひたすらナチのユダヤ人迫害だけを問題にしているのです。
 しかし反ユダヤ主義はナチだけの問題でない以上、ナチだけ叩けば反ユダヤ主義が解決するはずもないのです。
 それなのにナチに関してだけは、仮装行列の衣装でも、アイドル歌手のコスプレでも大騒ぎするのに、他のホロコーストや反ユダヤ主義一切問題にしないのはなぜでしょうか?
 日本や台湾の仮装行列やコスプレよりも、イスラム教徒による反ユダヤ主義の方が余程深刻で、危機的でしょうに。
 こうしたユダヤ人団体の対応を見ていると、要するにイスラム教徒による反ユダヤは怖いから何も言えない。
 日本のアイドルやその他アジアのコスプレは、他意がないので文句を言えば直ぐに謝罪する。
 だから安直に叩きやすい所を叩いて見せるだけ、と言う極めて姑息な対応だとしか思えません。
 なるほどユダヤ人が長い間迫害されたのは気の毒です。
 しかし今はイスラエルと言う結構な強国を作り、近隣諸国を圧迫している立場です。
 だから好い加減に被害者専業と言う立場は捨てて、反ユダヤ主義には強国としての品位ある対応を取るべきでしょう。
 そうしないといつまで経っても差別される側にいるしかないでしょう。
 本当の意味でユダヤ人がその知性と能力に相応しい敬意を受ける為には、強国イスラエル国民としての品位を雅量を身に着けるべきです。
 それにしても、そもそもナチズムが非難されるのは、ドイツ民族至上主義を掲げて、他のヨーロッパの民族を隷属支配、或いは抹殺しようとしたからです。
 だからヨーロッパ人がナチズムを非難し、ヒトラーを憎むのはわかります。
 しかしアジア人がそれ付き合う義務はないでしょう?
 だってヒトラーがナチズムを掲げていた頃、欧米では白人至上主義が当然視されていました。
 ウッドロー・ウィルソンは民族自決原則から、アジア・アフリカの民族は除外しました。
 ルーズベルトは「日本人の頭蓋骨は我々白人から2000年遅れている」と言いました。
 こんな事を言っている人間がナチスの人種科学を非難できるのでしょうか?
 しかしこれが当時の欧米のリベラリズムだったのです。
 白人が白人を隷属化し抹殺するのがナチズム。
 白人が有色人種を隷属化し抹殺するのが、当時の欧米リベラリズム。
 前者は絶対悪だが、後者は人道主義と言うのは、レイシズムの極致でしょう?
 ヒトラーが悪人と言うのは、欧米の立場の話です。
 欧米の植民地化に苦しめられたアジア・アフリカの人々からすればヒトラーは邪悪な欧米人を懲らしめる為に神様が送ってくれた英雄です。
 第一次湾岸戦争の時、イスラム諸国ではサダム・フセイン支持のデモが吹き荒れました。
 インドネシアでもデモ隊の人達が、「サダム・フセインもヒトラーもユダヤ人と戦った英雄だ!!」と言っていました。
 インドネシアの総人口の90%はイスラム教徒ですから、コーランの規定からも、また現在のパレスチナ問題からも当然反ユダヤなのです。
 そして歴史を学べば、インドネシアの植民地支配で苦しめたオランダを倒してくれたのはヒトラーです。
 そういうヒトラーをインドネシア人が英雄と思うのは当然ではありませんか?

引用以上

確かに第一次世界で敗れたドイツはその植民地を全て失いました。ヒトラーの頃ドイツは植民地を持っていません。イスラム教徒から見ればユダヤ人と戦った英雄と言えるかもしれません。私は英雄とは思わないけどね。
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沖縄歴史

2017-01-14 10:07:21 | 歴史
正しい歴史認識〜さんのブログです

http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-6496.html?sp


引用


これを読むと、日本の明治政府が独立国だった琉球王国を武力で侵略したように錯覚していしまう。

しかし、そのような事実は全くない。

薩摩藩が琉球王国に軍事行動(琉球征伐)をしたのは、1609年だ。

それ以後、琉球王国は、薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣するようになった。

明治に日本が琉球王国に行ったのは、廃藩置県であり、武力行使ではない。


また、念のため言っておくが、それ以前の琉球王国についても、支那に実効支配はされていなかった。







琉球王国は支那の冊封国ではあったが、冊封国というのは支那領ではない別の国だった。

そして、琉球王国は、1609年には薩摩藩の付庸国となった。

以上のことから、日本国民は、かつて琉球王国が支那領だったことが一度たりともないことを改めて肝に銘じるべきだ。

近年、支那は、尖閣諸島だけではなく、沖縄を丸ごと乗っ取ろうとする嘘工作も展開しているので要注意!



引用以上


翁長知事については家族や近親者が中国人と結婚しているなどと噂も有りました。デマだったようですが……。不確かな情報は諸刃の剣ですね。事実に基づいた批判をしましょう。
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