晴不耕雨読家庭菜園日記

趣味が山登りから家庭菜園に変わった経緯。その1

2009年頃からの約10年間(30代の頃)は、殆ど週末は妻と一緒に山登りばかりしていました。金曜日の夜に支度をし、夜中の2:00とか3:00に家を出て、日帰り、あるいはテントを担いで一泊の山登り。

そんな事を続けていた2016年秋。長野、新潟、群馬の県境の山「白砂山」へ山登りをしてた時、遠くの景色を眺めると風景が二重に見える症状がありました。


その後少しずつ悪くなって来たので近所の病院で色々な検査を受けるも特に異常なし。仕方なく紹介状を書いてもらい東京の大学病院へ通院しました。

そして最終的に医師から

「脳腫瘍の疑いあり」と言われたのです。

さすがにそう言われた日はショックで、病院の帰り道に神社で手を合わせた時、涙がボロボロ出て来てしまいました。


そして201711月、2週間の検査入院をする事になり、また振り出しから同じような検査を何度も何度もやり、結果は、結局ハッキリと分からず、病変部位の組織を採取する手術も難しい所にあるらしいので、外来で経過観察をし、大きくなって来たら内視鏡や放射線や化学療法の治療になる。と言われました。

総合して考えると、神経膠腫という腫瘍の可能性が一番高いのだそうです。


ただ、ここまで聞いて思ったのは

「これは治療なのか?」ということです。

検査をしてもハッキリと分からないから結局何もせず、病変が大きくなって来たら

人の力で"取り除く" 

これはとても「治療」とは言えないのではないか? 

「治療」とは言葉通り「おさめて、いやす」事であり「人の力で"取り除く"」というのは真逆の考えで、人間の体に対してあまりにも乱暴なやり方だと感じました。


自分は以前から現代医療(西洋医学)に対して不信感を抱いていました。

例えば、風邪を引いて病院へ行ってもウイルスを退治する薬は無く、対症療法の薬(病気を治す薬ではなく病気によって発生する症状を抑えるだけの薬)や、ウイルスに何の効果もない抗生剤(抗生物質)しか処方されない事に疑問がありました。

また、がんの治療に被曝をする放射線や遺伝子合成阻害剤である抗がん剤(化学療法)が使われる事にも納得がいきませんでした。


診察の時、恐る恐る医師にこう聞いてみました「手術、放射線、抗がん剤治療の他に何か方法はありますか?」すると医師はこう答えました

「まぁ、ないですね」

しかし自分は、以前、本やネットで代替医療や免疫療法の事を調べて少し知っていたので「ない」事はないのではないか。と思っていました。


実は検査入院をしている間、既にこのままではいけない。と感じ、自分でも色々と調べて知識を身につけようと病院を抜け出して本屋へ行きました。幸い病院は御茶ノ水にあったので、近くに大きな書店が何店かあり、入院中は時間もたっぷりあったので本を数冊買ってじっくり読みました。


2週間の検査入院を終え、その後、経過観察のため1年ほどで2回通院しましたが、病変に特に変化は無く、このまま通院しても病院は病変が大きくなるのを待っているだけだし、毎回、体に悪い検査ばかり。しかもお金も時間もかなりかかり、病変が大きくなれば、手術、放射線、抗がん剤治療です。なんだか何のために通院しているのだろう? と思い、2回目以後は行くのをやめました。


病院は一番重要な事を教えてくれませんでした。それは「病変を大きくしないために何をするべきか」という事です。現代医療では病変が大きくなってからの処置しか方法が無いのかもしれませんが、何もせず今までと同じ生活をしていたら病変は必然的に大きくなるはずです。


登山で例えるならば、遭難後の準備ばかりして一番肝心な「遭難をしないための技術や技能を身につける事」を全くしない状態です。これでは遭難をしに山へ行くようなものです。


自分は目の調子が悪くなってから、とにかくお医者さんに何とかしてもらおうと、ワラをもつかむ気持ちで縋って来ました。まず、その考え方が間違っていたのだと思います。

自分の体の事を自分で把握せず他人任せにしてはいけない。自分の体は自分で治すべきなんだと考え直しました。


とは言っても、何をどうすれば良いのか全く見当がつかず、教えてくれる様な所もどこにもありません。そんな時によく行くブックオフでこんな本を見つけたのです。


「がんで余命ゼロと言われた私の死なない食事」

神尾 哲男


フランス料理のシェフ神尾哲男さんは200351歳の時に末期ステージ4の前立腺がんと診断され、診察した医師からは「ここまでになって、なぜ生きていられるのか? 死んでいてもおかしくない」と言われたそうです。

その後、即入院して手術やホルモン薬の投与などをされたそうですが病状が良くなるわけもなく、違和感を感じ、抗がん剤治療を断って病院と決別したそうです。そしてその後、自分の体を「実験台」にし、料理人らしく「食」の力で生きていこうと決心されたそうです。本業のフランス料理ではなく、マクロビオティックの良い点と、昔の日本の食事法が相まった人間本来の正しい食事を摂ることが、免疫力や自然治癒力を正す事に繋がったのです。そして末期がんと診断されてから14年間がんを抑えて生きました。


この本は、いち料理人が書いた本なので、病気に対するアプローチが医学的ではなく、僕にとってはとても分かりやすく納得のいく内容でした。現代医療に縋るより、末期がんから14年間がんを抑えて生きたという実績がある人の本の方が、よっぽどリアリティがあると感じました。


状況は違うけれど何もしないより、何か体に良い事をしたかったので、この本の「食」を実践してみようと思ったのです。


趣味が山登りから家庭菜園に変わった経緯。その2




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