― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳。
記憶を鮮明にさせてくれる画像や思いが大事な宝物になっています。

おばあちゃん家へ

2023-03-02 | 孫・家族 に関するお話
 
久しぶりに 娘たちと一緒に母のところに行きました。
この日は母のお誕生日でした。

   娘たちが生まれて成長していく中、
   いつしか 父のことは おじいちゃん、母のことは おばあちゃん。
   そう呼ぶようになっていきました。(父だけは 大じじ と呼ばれた時期もありました。)
   孫が生まれてからもそれは変わらず、(本当なら曾祖夫、曾祖母になります。)
   なので 実家は おばあちゃん家。
   父が生きている時からそう呼ばれていたのは
   女系家族だったので 女同士のほうが気安さが勝り、
   おじいちゃん家 というよりは しっくりいく感じだったのだろうと思います。
   
   今回行かれることになったのは急な話。
   コロナになってからは特に プレゼントを贈る程度になっていたのを
   久しぶりに娘たちとお祝いに行こうということになりました。
   母がデイサービスに通っていることや
   娘たちも 子どもが幼稚園や学校に通っていると
   帰宅時間なども気にしなければいけないなどの制約があって
   人が増えるとスケジュールを合わせるのが大変。
   行かれる日も限られてきてしまいます。
   それが今回 都合がつくことになり 一緒に行くことが出来ました。





おしゃべりをしていたら あっという間に お昼。
予定していたお店から予約がいっぱいだと断られて 違うお店になったとはいえ
予彩りもきれいな「自然薯とろろの仕出し弁当」は目の保養にもなりました。




テーブルの上を片付けた後 花束とプレゼントを渡しました。


食べ切りサイズのケーキでお祝い

ロウソクを消すのは やっぱり嬉しいみたいでした。

お誕生日おめでとう。 いつまでも元気でいてね!

   母もけっこう認知症が進行しているので
   久しぶりに会う娘たちのことがわかっているのかいないのか
   はっきりしない面はありましたが 他人ではないのは理解しているような…!?
   妹のほうにも娘が二人いるので 誰が誰だか… という感じなのかもしれません。
   孫(母から見たらひ孫)に至っては もう全然わからない可能性もあります。
   昔は 年に2~3度は 大集合イベントが行われたものだけれど
   コロナで会えなくなって もうずいぶん経ってしまったので
   成長の早い子供たち、姪っ子や甥っ子ともなれば 私でも戸惑いそう!
   だから母には全員まとめて 子どもたち という括りになるのかもしれません。


夜に連絡を入れたら、
本日の出来事はもう忘れてしまったようで
今日もデイサービスに行ったことになっていたようでした。

   「えーっ!」とは思いましたが、認知症なら あるあるそう!
   重度の方々のことを思えば まだ困り果てるという域にまではいっておらず
   前ほどではないにしろ 食欲が減退しているというような様子もなく、
   家の中で 好きなように過ごせているのは まだまだ幸せであるとは言えそうです。
   とはいえ 足腰は弱っているので 転んだりしないよう注意してね とは思います。

認知症の人は 同じ話を何度も何度も繰り返し話します。
 〔今 言い終わったばかりなのに…!〕
 〔たった今 言ったことを忘れちゃうの!?〕
とても不思議に思えます。
それでも 何度かは 初めて聞くような顔をして 同じように聞き 相槌を打つ。
しかし これがあまりにも繰り返させると だんだん疲れてきて
違う話題を振ってみたりはするのだけれど その返事もまた繰り返される。
そして時には 口から出まかせを言うこともあって
これには 騙されてしまうことも しばしば!
ただ 本人は嘘を言っているという意識はなく
そう思い込んでいるように見えます。
 〔きっと 聞いてくれるのが嬉しいからテンションがあがっちゃって
  思いついた妄想のお話なんかもしちゃうんじゃないかな!〕
デイサービスに行っても すべての人に思い切り付き合ってくれる職員さんは
いないんだろうなと推測されるので
楽しい気分でお話が出来るのであれば 多少のいい加減さは
ご愛敬と思えばいいんじゃないかなと思えてきます。

   だけど 笑っちゃうこともあって、たとえば
    「デイサービスに自転車で来ている人もいるんだよ。」という母。
   一瞬 「へー!」となったものの、
    「ん、自転車!?」
    「そんなに元気な人がデイサービスに来るの?」と疑問に思ったら
    「それって 従業員なんじゃない!」で納得。
   確かに 通ってはいるから間違いとは言えないけれど
   母にはその違いは理解できていないらしい。
   また、「毎日違う人が来るから友達はいない。」って言っていますが
   曜日では同じ人たちが来るはずですし、けっこうおしゃべりもしているらしく、
   行けば楽しいようなので 適度に適応はしているように思います。
   ただ 目を合わさないようにしているのも 症状のひとつなのか、
   そう思わせる場面が多かったのが気になるところではありました。


認知症は 日によって 気分に差が生じることもあるようで
この日はとても穏やかな母でしたが 時にはテーブルを叩くこともあるといいます。
思い通りにならないことが気に障るということなのでしょうが
幼児のような自分本位さが出てきてコントロールが効かない時もあるのでしょうね。
まぁ 普通の大人だって そんな人はいっぱいいるって気もしますが
脳に起こる障害としては進行しないでほしいと願うばかりです。


認知症の人とは
大らかな気持ちで向き合わないといけないのだろうと思います。
表現もオーバーめでわかりやすくしてあげると
気持ちが安らいで 結果 お互いがイライラさせずに済むのでは?
だけど対応する方はけっこう疲れるから
いいことばかりは言っていられない時もあるよね!


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2 コメント

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認知症状 (アナザン・スター)
2023-03-02 13:52:34
認知症状は、病気ではなく症状ですので個人差は否めません。

通いなら、未だしも施設にじっとしていると、自分自身が判らなくなってしまいます。
自宅なのか?
娘や息子の家なのかも。
子どもの頃や、元気であった頃の記憶は確かです。
今まで、心中に潜んでいた気持ちが、堰を切ったように迸ることもあり得ます。

昔のように、大家族で暮し、高齢者も赤んぼも居た時代でなくなったのが、もしかしたら症状を速めているのかもしれませんね。

症状を改善するには、ドクダミ茶や枇杷葉茶は効きますが、そういった暮らしに於いてであって、強制では無理でしょうね。
戦後に、医学が進歩し、核家族になるのが広まってしまったからでも。

高齢者には、生き難い世の中に転じて淋しいです。
アナザン・スター様 (mie)
2023-03-03 23:02:09
コメントありがとうございます。
昔の記憶はしっかりしているというお話はよく耳にします。
心に潜んでいた気持ちが口に出るというのもわかるような気がします。
確かに。核家族がすっかり主流となってしまった現代。
その影響の大きさも感じます。
自分もいつそうなってしまうのかわからないだけに
不安を感じることもあります。
3世代同居が普通で ご近所との行き来も頻繁だった昔が懐かしいですね。

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