私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

冠山城の落城後は

2016-07-30 09:38:55 | 日記

 華々しい清正と竹井將監との一騎打ち等の戦いの後、さしもの冠山城も、たやすく落城してしまいます。清正はその戦況報告のため、毛利軍を寝返った黒崎団衛門を連れて、太閤の前に出てその戦いについて報告します。

 話が前後しますが。この黒崎団右衛門について少々。
 この人は、元々藝州吉田の出身者です。妹と弟の3人姉妹だったのですが、その妹が毛利家に宮仕えし、大変な美人だったため毛利輝元の眼にとまり寵を受けます、その為に兄である団衛門も足軽頭までに取り立てられ出世しており、そして、この時の秀吉軍と戦うべく冠山城に毛利軍の一人として立て籠っていたのです。

 その前夜です。明日にも、秀吉の大軍が、この城にも押し寄せるだろう事を予想して、城将林三郎左衛門など総ての兵士が集まって、明日からの戦勝祈念のための酒宴を開きました。夫々の兵士は、夫々に謡を歌い舞いを舞います。しかし、団右衛門は足軽頭ですが、出が土民ですから、歌は、勿論、踊りも出来ず、その上、打つ手拍子すらはずれてみんなと揃わず、何て無粋の輩だろうかと疎んじられていたのです。
 中でも、城の大将格の一人、松田左衛門は、日頃から、これと云った戦功もなく、ただ妹のために足軽頭までに出世したこの団右衛門を少なからず憎々しく思っていたのです。また、その時は少々酩酊していたと言うこともあって、
 
 「やいやい、そこの団衛門とやら。貴様、先程から酒ばかり飲みやがって、何にも云わんで、手拍子だって間抜けで調子ぱずれじゃあねえか。聞いた所じゃあ。貴様は船頭上がりと云うじゃあねえか。ほんなら、舟歌ぐれは歌えるじゃろうが。どうじゃ。肴に一声歌わんか」
  
 と、さも小馬鹿にしたように、みんなに聞えよがしに、大声を張り上げます。事がそれだけだったらすんなりと終わる所でしたが。団右衛門も足軽頭です。すくっと、その場に立ち上がります。


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1 コメント

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続きが (ルーファウス)
2016-07-30 22:18:34
楽しみ☆彡

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